作品タイトル不明
帳簿を締めてゴロゴロしながら思ってたんと違うとブーブー言う博之。うなぎの噂を聞いた九鬼水軍から作ってくれと手紙が来る。わしゃ友達かwww
帳簿締めが終わったあと、博之は畳の上に転がっていた。
三億五千万文。
半月で二千六百七十万文の積み上げ。
拠点別利益は黒。買い付けも黒。遊び代は半月ごとに三十万文。数字だけを見れば、
伊勢松坂屋は順調そのものだった。
だが、博之の顔は妙に晴れない。
「……なんか、思ってたんと違う」
お花が茶を置きながら首を傾げる。
「何がですか」
「いや、わし、もともとモテたいから頑張ってたんやで」
「はい」
「飯屋を始めたのも、生きるためやけど、どこかでええ感じになりたいとか、
女の子にキャーキャー言われたいとか、そういう下心もあったわけや」
「はい」
「なんで今、半月締めの帳簿と、拠点別利益と、遊び代の制度と、熱田神宮の
仕組みばっかり考えてるんや」
ヨイチが帳面を閉じながら、静かに言った。
「それが旦那様の仕事になってしまったからでは」
「嫌な正論やめろ」
博之は、ごろんと寝返りを打った。
「もっとみんなも考えてくれ。飯でも遊びでも、なんでもええから三つ出せって言うたやろ。
わしだけ考えたら、どんどん仕組みの話になる」
お花が笑う。
「旦那様、仕組みを考えるの好きじゃないですか」
「好きやない。気づいたら考えてまうだけや」
「それを好きと言います」
「違う。わしは本当は、もっとこう、うなぎの二階で一緒に休みたい子はおらんか、
みたいな話をしたいんや」
その瞬間、近くで作業していた女衆たちが一斉に振り向いた。
「旦那様、また変なこと言うてる」
「二階で休むって、あの湯浴み付きのやつですか」
「不心得なことをしたら出禁ですよ」
「布団買い取りですよ」
「旦那様、自分で作った決まりに引っかかるんですか」
女衆たちが、きゃあきゃあと笑い始めた。
博之はむっとした顔をする。
「わしは別に不心得なことをするとは言うてへんやろ」
「顔が不心得です」
「ひどい」
「でも旦那様と二階でうな重食べて昼寝したら、あとで店中の噂になりますよ」
「それは困るな」
「でしょう」
お花が勝ち誇ったように頷く。
「旦那様は、もう変なことができない身分になったんです」
「それが一番思ってたんと違う」
座敷に笑いが広がった。
そんな時だった。
九鬼水軍の者から手紙が届いた。
ヨイチが開いて読み上げる。
「最近、松坂でうなぎがうまいと聞いた。うちでも一度やってくれへんか。
こちらでうなぎは用意する。調味料と料理人を連れて来られたし……とのことです」
博之は半身を起こした。
「……わしゃ友達か」
「かなり気軽な文ですね」
「“来られたし”やないねん。なんで飯を作ったら呼ばれるんや」
お花が笑う。
「松坂の殿様にも言われてますしね」
「そうや。殿様にも“新しい飯持って来い”って言われる。水軍にも“うなぎやってくれ”って言われる。
わし、料理人ちゃうぞ」
「でも、行くんでしょう」
「行くけど」
「行くんですね」
「九鬼水軍には世話になってるからな」
博之はぶつぶつ言いながらも、すぐに段取りを組み始めた。
「うなぎはそっちで用意してもらう。川筋か松阪港近くで取れるやつを集めてもらえ。
こっちはタレ、酒、醤油、砂糖、米、卵、料理人を連れて行く」
「うな重とう巻ですね」
「せや。まずはそこからや」
数日後、博之は料理人たちを連れて松坂の港の九鬼水軍の拠点へ向かった。
九鬼水軍の者たちは、すでにうなぎを桶に入れて待っていた。ぬるぬると暴れるうなぎを見て、
若い水夫たちが笑っている。
「旦那、これがうまい飯になるんか」
「なる。たぶん」
「たぶんかい」
「料理はだいたい試しや」
博之は袖をまくり、料理人に指示を出す。
ぬめりを落とす。
頭を押さえる。
開く。
骨を外す。
軽く焼く。
蒸す。
また焼く。
タレを塗る。
炭火の上で、うなぎの脂が落ちた。
じゅう、と音がして、甘辛い香りが水辺に広がっていく。
水軍の男たちが、急に黙った。
「……おい、なんやこの匂い」
「腹減るな」
「これ、飯に乗るんか」
「飯を持ってこい、飯」
博之は苦笑する。
「まだや。焦るな」
まず出したのは、う巻だった。
出汁を入れた卵で、焼いたうなぎを巻く。切ると、黄色い卵の中に濃い色のうなぎが見えた。
水軍の頭が一口食べ、目を細めた。
「……旦那、これ酒に合うな」
「酒に合うと思う」
「いや、うまいわ。卵が柔らかい。中のうなぎが濃い。これはええ」
次に、うな重を出す。
白飯の上にうなぎを乗せ、タレをかける。さらに飯の下にも少しだけうなぎを忍ばせておく。
水軍の者たちは、黙って食べ始めた。
そして、すぐに騒ぎ出した。
「飯に合う!」
「骨が気にならん!」
「下にも入っとるやないか!」
「旦那、これずるいぞ!」
九鬼水軍の頭は、満足そうに笑った。
「旦那って、やっぱ料理人やったんやな」
博之は箸を置き、少し嫌そうな顔をした。
「いや、根は料理人というより、空腹で苦しかっただけです」
「空腹?」
「最初は、腹が減って死にそうやったから、ボロ小屋で飯を炊き始めただけです。
ちゃんとした料理人ではないですよ」
「いやいや、こうして新しい飯を作っとるやないか」
「それが困るんです」
博之は真面目に言った。
「松坂のお殿様にも、新しい飯を作ったら持って来いって言われる。九鬼水軍からも呼ばれる。
わしは料理人やないんです。たまたま思いついてるだけで」
水軍の者が笑った。
「その空腹が、食の神様に認められたんちゃうか」
「食の神様?」
「空腹で苦しんだ男やから、時々天から飯が降ってくるんや」
博之は少し黙った。
「……それは、否めないです」
お花が横で吹き出した。
「否めないんですか」
「いや、たまに自分でも分からんもんが降りてくるからな」
「恋愛運は?」
博之は遠い目をした。
「それは完全にゼロになりました」
水軍の男たちは、げらげら笑った。
「飯の神様に全部持っていかれたんやな」
「ひどい話や」
「でも旦那、女にモテんでも飯にはモテとるぞ」
「それは嬉しくないようで、ちょっと嬉しいな」
また笑いが起きた。
そんな中、水軍の頭がふと思いついたように言った。
「ついでに、穴子もなんとかならんかね」
博之は顔をしかめた。
「穴子ですか」
「海で取れるやろ。うなぎみたいに長いやつや」
「うなぎとは物が違いますよ」
「ぬるぬるした感じは一緒やろ」
「その雑なくくり、やめてもらえます?」
「でも似とるやん」
「似てるけど、違うんです」
博之は少し考え込んだ。
穴子。
海のもの。
うなぎほど脂は強くないかもしれない。だが、揚げる。煮る。甘辛く炊く。飯に乗せる。
天ぷらにする。可能性はある。
「……まあ、ちょっと考えます」
「お、やっぱり考えるんやな」
「言われたら考えてまうんです」
「料理人やないか」
「違う言うてるやろ」
水軍の者たちはまた笑った。
その日の九鬼水軍の飯場は、うなぎの香りと笑い声で満ちていた。
博之は、空になっていく重箱を見ながら、少し複雑な顔をしていた。
帳簿から解放されたと思ったら、今度はうなぎで呼ばれる。
モテたいと思って頑張っていたはずが、飯と仕組みと新しい商いばかり考えている。
それでも、目の前の者たちがうまそうに飯を食い、笑っている。
それを見ると、やはり悪くないと思ってしまう。
「……まあ、腹減ってるやつが笑うなら、それでええか」
博之がぽつりと言うと、お花が隣で笑った。
「旦那様、やっぱり根は飯屋ですね」
「飯屋やけど、料理人ではない」
「そこ、まだこだわるんですね」
「こだわる」
遠くで水軍の者が叫ぶ。
「旦那、穴子も頼むで!」
博之は頭を抱えた。
「また話が増えた……」
けれど、その顔はどこか楽しそうだった。