軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

博之44歳六月の三週目。3億2,400万文→3億5,000万文。

伊勢松坂屋では、六月二週目末の帳簿締めが行われていた。

帳面を前にして、博之は畳の上で腕を組んでいる。横にはヨイチが座り、何冊もの帳面を開いていた。

「……今回は、いろいろありすぎたな」

博之がぽつりと言った。

「ありすぎましたね」

ヨイチは淡々と答える。

うなぎは盛り上がった。

松坂で試したうな重とう巻は評判になり、郊外の市でも話題になった。湯浴み付きの

二階座敷も思ったより反応がよく、西瓜割りも夏市の目玉になりかけている。

だが、それらはまだ帳簿には大きく載ってこない。

「うなぎは盛り上がったけど、まだ数字にはならんか」

「まだです。試し売りが中心ですし、仕入れや人の手間も見ています。今回の帳簿には、

本格的な利益としてはほとんど入れません」

「せやな。変に盛ると後で分からんようになる」

ヨイチは頷いた。

「今回は、全拠点を一度洗い出した時の数字を基準にして、半月分の利益を出します」

「で、どうや」

ヨイチは帳面をめくった。

「まず松坂ですが、かなり下がっています」

「松坂が?」

「はい。殿様から、少し安くしろという話がありましたので」

博之は顔をしかめた。

「ああ……あれか」

「結果、松坂単体では半月で六十一万文ほど利益が削れています」

「半月で六十一万文って、どんだけ下げてんねん」

博之は思わず声を上げた。

「かなりです」

「まあ、世話になってるし、しゃあないけどなあ」

松坂の城主には、何度も助けられている。伊勢松坂屋が松坂で大きくなれたのも、

城主の後ろ盾があってこそだった。

だから、多少の値引きや無理は飲む。

飲むが、帳面を見るとやはり痛い。

「それ以外は?」

「蟹江、雇い入れの多い拠点、蟹江、京都郊外、津島、熱田、瀬戸。このあたりは

立ち上げや人件費が重く出ています」

「熱田と瀬戸は、まだ銭を食うわな」

「はい。瀬戸物の買い付け、熱田の下準備、人の配置、見習いの増員。今は先に出ていく銭が多いです」

「そらそうや」

博之は寝転びかけて、また起きた。

「で、全部丸めると?」

ヨイチは少し間を置いて言った。

「それでも、拠点別の売り上げ利益だけで見ると、だいたいプラス一千六百万文です」

博之は少し黙った。

「……プラスか」

「はい。松阪の値下げや、立ち上げ拠点の人件費を吸収しても、全体では余裕の黒です」

「それはすごいな」

「店数が増えていますし、既存の拠点がかなり稼いでいます。赤の拠点はありますが、

全部を合わせれば十分に利益が出ています」

博之は、少し安心したように息を吐いた。

「拠点が増えると赤字も大きいけど、黒字も大きいな」

「はい。そこが今の伊勢松坂屋の強みです」

ヨイチは別の帳面を開いた。

「さらに、買い付けの利益があります」

「瀬戸物とか常滑とかか」

「はい。瀬戸物、常滑焼、信楽焼、伊勢小物、干物、その他の回し分。買い付けと転売の利益で、

だいたい一千百万円文ほど出ています」

「おお」

「そこに、今回から始めた遊び代を引きます」

博之の顔が少し曇った。

「半月締めごとの三十万文か」

「はい。各拠点に一万文ずつ。合計三十万文」

「まだ何も返ってきてへんやろ」

「今回はまだ出したばかりですから」

「せやな」

ヨイチは筆で数字を追った。

「拠点別利益が一千六百万文。買い付け利益が一千百万円文。そこから遊び代三十万文を引きます」

「つまり?」

「今回の増加分は、二千六百七十万文ほどです」

博之は少し考え込んだ。

「前期の残りが?」

「三億二千四百万文です」

「そこに二千六百七十万文足して……」

「三億五千七十万文です」

「もう、三億五千万文でええんちゃうか」

ヨイチがぴたりと筆を止めた。

「旦那様」

「なんや」

「七十万文を雑に消さないでください」

「もう桁が分からんねん」

「分からなくても、帳面では残します」

「帳面では残してええ。わしの頭では三億五千万文や」

ヨイチはため息をついた。

「では、旦那様の頭の中では三億五千万文。帳面上は三億五千七十万文で残します」

「それで頼む」

お花が横から笑う。

「旦那様、だんだん銭の単位が雑になってきましたね」

「雑にもなるやろ。半月で何千万文とか言われても、実感がないねん」

「でも、松阪で六十一万文削れた時は痛そうな顔をしますね」

「減るのは分かる。増えるのはよう分からん」

「都合のいい感覚ですね」

博之は苦笑した。

ヨイチは、さらに帳面の端に書き込みながら言った。

「ただ、遊び代については少し考えた方がいいです」

「年間にしたら、七百二十万文やな」

「はい。半月ごとに三十万文。年二十四回で七百二十万文です」

「なかなかやな」

「かなりです」

ヨイチは淡々と言った。

「ただし、各拠点から何かしら案や報告が上がってくるなら、無駄ではありません。飯の種、

客寄せの種、土地ごとの失敗談。そういうものが集まれば、十分に元は取れる可能性があります」

「形にしたいな」

博之は天井を見上げた。

「せっかく七百二十万文も使うんや。何か一つ二つ、当たりが出てほしい」

「すでに西瓜割りみたいなものは出ていますね」

「あれは思いつきや」

「旦那様発です」

「だから、そういうのを現場から出してほしいんや」

お花が茶を置きながら言った。

「良い手紙があったら、それを基準にして、こちらでも少し遊ぶんですか」

博之がにやりとした。

「それはありやな」

ヨイチがすぐに顔を上げた。

「遊ぶ前提で言わないでください」

「いや、遊び代やし」

「制度です」

「遊びの制度や」

「嫌な言葉ですね」

博之は笑いながらも、少し真面目な顔になった。

「でもな、遊びと言うても、形は変わるかもしれん」

「どういうことですか」

「最初は“遊べ”でええと思ったんや。けど、現場によっては、遊ぶのもしんどいってなるかもしれん」

お花が黙って聞く。

「忙しい店もある。人が足らん店もある。真面目な者ほど、“面白いことを考えろ”って言われると、

逆に苦しくなるかもしれん」

「それはありますね」

ヨイチが頷いた。

「なので、最初の形にこだわりすぎない方がいいかもしれません」

「せやろ」

博之は言った。

「“三つ案を出せ”が重いなら、“変な客の話を一つ書け”でもええ。“売れ残った物をどうしたか”

でもええ。“子どもが喜んだこと”でもええ」

「つまり、遊びというより、現場の気づきを集める仕組みにする」

「そうや」

博之は起き上がった。

「面白いの形は変わる。飯でもええ。客の話でもええ。小物でもええ。失敗でもええ。とにかく、

現場で何かが動いていることを拾いたい」

ヨイチは帳面に新しく書き足した。

「半月ごと遊び金。各拠点一万文。報告は三つを目安。ただし、負担になる場合は、

客の声、失敗談、土地の品、季節の困りごとでも可」

「それでええ」

お花が少し笑った。

「旦那様、少しまともになりましたね」

「最初からまともや」

「最初は三十万文配って遊べと言ってました」

「今もそれは変わってへん」

「変わってないんですか」

博之はにやりとした。

「ただ、遊び方は自由や」

夜市は小さくため息をついたが、どこか楽しそうでもあった。

半月で見れば、松坂では利益が削れた。

立ち上げ拠点では、人件費が重くのしかかった。

遊び代も出ていく。

それでも、拠点全体では一千六百万文の黒字。

買い付け利益を合わせれば、今回だけで二千六百七十万文が積み上がる。

伊勢松坂屋は、もう一つの店ではなかった。

いくつもの土地、いくつもの拠点、いくつもの人の動きが絡み合う、大きな商いになっていた。

博之は帳面を眺めながら、ぽつりと言った。

「銭はある。けど、銭だけ見てたら固まる」

お花が頷いた。

「だから遊ばせる」

「そう。遊びながら、次の飯の種を探す」

夜市が静かに言った。

「では、次の半月締めを楽しみにしておきます」

「怖いけどな」

「旦那様が始めたことです」

「それを言われると弱い」

座敷に小さな笑いが起きた。

三億五千万文。

半月ごとの三十万文。

利益の出る既存拠点。

まだ銭を食う立ち上げ拠点。

伸び始めた買い付け。

まだ帳簿に載りきらないうなぎ。

そして、各地から届くかもしれない小さな気づき。

博之は畳に寝転がり、天井を見上げた。

「まあ、形を変えながらやな」

そう言って、少しだけ笑った。

伊勢松坂屋は、また次の半月へ進んでいく。