作品タイトル不明
松坂郊外で市を開くと同時にうなぎのお披露目もする。料理人の練習の場兼噂話の場。うなぎの湯あみの話も広まっているwww
松坂郊外で市を開くことになったのは、熱田や瀬戸物の話が少しずつ形になり始めた頃だった。
場所は、いつものように寺の近くである。
和尚さんに挨拶をし、少し世間話をしながら、博之は今回の市の目玉を伝えた。
「今回は、お好み焼きやなくて、うなぎを出してみようかなと思ってます」
和尚さんは、少し目を丸くした。
「うなぎですか」
「はい。うな重です」
「また、えらいものを持ってきましたな」
「試しです。十匹ほど用意して、若手の料理人に捌かせて、蒸す、焼く、タレを塗る。
この辺を練習させようかと」
和尚さんは笑った。
「市が、だんだん料理修行の場にもなってきましたな」
「人が集まるところで試すのが一番分かりやすいんです」
とはいえ、集まった者たちの反応は半信半疑だった。
「うなぎなんか食えるんか」
「骨がごりごりしてるやろ」
「ぬるぬるして気味悪いやつやんけ」
そんな声もある。
だが、すぐに別の者が言った。
「でも、松坂の殿様が食うたらしいぞ」
「ほんまか」
「城で出したら、うまい言うたらしい」
その一言で、空気が少し変わった。
さらに噂好きの者が、声を潜めるようにして言う。
「城下町の伊勢松坂屋では、安いのと高いのがあるらしいで」
「高いの?」
「下では普通にうな重を食う。上では、湯浴みして、二階でうなぎ食うて、布団で昼寝できるらしい」
「なんやそれ」
「しかも、不心得なことを始めたら、布団買い取りらしい」
その場が、げらげらと笑いに包まれた。
少し離れたところで聞いていた若い男女が、そろって顔を赤くする。
男の方は笑ってごまかし、女の方は小さくうつむいていた。
博之はそれを見て、少しだけにやけた。
すぐにお花が横から小声で言う。
「旦那様、その顔やめてください」
「してへん」
「してます」
和尚さんも、穏やかな顔で笑っていた。
「まあ、きっかけは何でもよろしいのでしょうな。人が集まり、話し、少し近くなる。それも縁です」
「そうなんです」
博之は頷いた。
「ご縁の会みたいなものにしたいんです。飯を食いながら話す。市を見ながら話す。
気になったら、また城下の店に行く。それぐらいでええんです」
市の一角では、若手の料理人たちが真剣な顔でうなぎと向き合っていた。
ぬめりを取る。
板に押さえる。
開く。
骨を外す。
軽く焼く。
蒸す。
もう一度焼く。
甘辛いタレを塗る。
じゅう、と音がして、煙が上がった。
その匂いが市の中に広がった瞬間、人の流れが明らかに変わった。
「……めっちゃええ匂いしますね」
「これ、ほんまにうなぎか」
「飯に乗せたら、絶対うまいやつや」
うな重は、小さめの重に詰められた。
上にうなぎを乗せ、タレを少し垂らす。中にも少しだけ身を忍ばせる。
蓋を開けた時の香りで、客はまず驚いた。
「骨、気にならんな」
「身が柔らかい」
「タレが飯に合う」
うなぎ巻も出された。
出汁の入った卵で、細く切ったうなぎを巻いたものだ。
「これは酒が欲しくなるな」
「卵があるから、重すぎへん」
「うなぎだけやと濃いけど、卵でええ具合になる」
食べながら、自然と話が弾んでいく。
ある若い男が、隣に座っていた女に、思い切ったように言った。
「今度、城下の湯浴み付きのうなぎでも行きませんか」
女は一瞬固まり、それから顔を真っ赤にした。
周りの者たちが、気づいているのに気づかないふりをする。
和尚さんはそれを見て、楽しそうに目を細めた。
「なんやかんや、飯は縁を作りますな」
「きっかけがあれば、何でもええんです」
博之が言うと、和尚さんは笑った。
「しかし、旦那様の煩悩も見えますなあ」
「和尚さんのお笑いも、なかなか俗物的ですよ」
「寺も人の世にありますからな」
「それはずるい言い方です」
二人はそう言って笑った。
博之は、焼き場の方を見ながら続けた。
「でも、うなぎの新しい食い方が広まれば、面白いと思うんです。熱田だけやなくて、
松坂でも、伊勢でも、川筋のある場所なら試せる。うなぎが取れるところはありますから」
「それが伊勢松坂屋の領内で広まれば、また儲けにもなり、寄進の元にもなる」
「はい。儲けるだけやなくて、寺や神社に返す。炊き出しにも使う。読み書きにも使う。
小さな気づきを、少しずつ巻いていきたいんです」
和尚さんは頷いた。
「そういうところは、旦那様のよいところですな」
「そういうところは?」
「下世話なところが、たまに傷ですが」
「いやいや、それは寝たきりで腐るよりはましですから。下世話も生きる力です」
「開き直りましたな」
「開き直らないと、やってられません」
また笑いが起きた。
市には、瀬戸物も少しだけ並べていた。
小皿、湯呑み、薬味皿。
大きなものではないが、信楽焼や常滑焼とはまた違う白さと軽さがあり、見る者の足を止めた。
「今日、瀬戸物も少し入れてるんです」
博之が言うと、和尚さんは棚を見た。
「これは、すぐ売れてしまいそうですな」
「賑やかしになればと思ったんですが」
「賑やかしで終わらんでしょう」
瀬戸まで行けない者にとって、瀬戸物を手に取る機会は貴重だった。
旅に出られない者にも、遠くの品を見せる。
伊勢に行けない者にも、伊勢の小物を見せる。
熱田を知らない者にも、熱田の飯の噂を届ける。
市は、ただ物を売る場所ではなく、遠くの匂いを持ち込む場所になっていた。
博之は、その様子を見ながら、少し息を吐いた。
うなぎの煙。
人の笑い声。
小皿を選ぶ女衆。
湯浴み付きのうなぎに誘って、顔を赤くする若い男女。
和尚さんの軽口。
こういう時間があるから、また戻ってこられる。
戦や商いの大きな話ばかりではない。
飯を作り、人が集まり、笑い、縁が生まれる。
「やっぱり、ここが戻ってくるところやなあ」
博之がぽつりと言うと、和尚さんが静かに頷いた。
「そういう場を作れるのは、立派なことです」
お花が横から言った。
「下世話なところがなければ、もっと立派なんですけどね」
「最後にそれ言う?」
博之が言うと、市の一角にまた笑いが広がった。
松坂郊外の小さな市。
そこで試した十匹のうなぎは、ただの新商品ではなく、また一つ、飯の道を広げる種になっていた。