作品タイトル不明
熱田から津島へ戻る。唐突にうなぎをもってこさせ腹を骨に沿ってさばく。蒸して焼いて味付ける。いい匂いが充満。新しい食べ方に一同感動
熱田で一通り挨拶を済ませ、津島まで戻ったところで、博之は唐突に言った。
「うなぎ持ってきて」
周りの者たちは、思わず顔を見合わせた。
「うなぎ、ですか」
「五、六匹でええわ。生きてるやつ」
何を始めるつもりなのか、誰にも分からなかった。
それでも津島の者たちは、川筋の者に頼み、うなぎを集めさせた。しばらくして、
ぬるぬると暴れるうなぎが桶に入れられて運ばれてくる。
博之はそれを見て、腕を組んだ。
「やっぱり、このぬめりが嫌なんやろな」
「嫌です」
「触りたくないです」
女衆や料理番たちが、すぐに顔をしかめる。
博之は苦笑した。
「そら嫌やわな。まずは水で洗う。ぬめりを少し落とす」
井戸水を多めに汲ませ、桶の中のうなぎを一匹ずつ押さえながら洗わせる。うなぎは当然のように暴れ、料理番たちは腰が引けていた。
「旦那様、これ、普通はぶつ切りにして煮るんちゃいますか」
「それやと骨が邪魔やろ」
「骨ごと食うもんかと」
「いや、たぶん違う」
「たぶん?」
「たぶんや」
周囲がざわつく。
博之は平然としていた。
「かんな持ってきて。いや、切りでもええ。細くて先の尖ったやつ」
「なんでかんなですか」
「頭を押さえるのにいる」
道具が運ばれると、博之は洗ったうなぎを板の上に置いた。ぬるりと逃げようとする頭を押さえ、切りのようなもので頭の近くを板にぷすっと刺す。
「ええっ」
「旦那様!?」
周りの者たちは、恐ろしいものを見るような顔をした。
博之は真顔で言う。
「こうせんと動くやろ」
そして首の下あたりに包丁を入れた。
「ここから、骨に沿って横に開く」
包丁を寝かせるようにして、ゆっくり滑らせる。
とはいえ、博之も慣れているわけではない。途中で身が崩れ、骨に引っかかり、
決してきれいな仕上がりではなかった。
「……難しいな」
「旦那様でも難しいんですか」
「初めてやもん」
それでも、どうにか一枚の開きのような形になった。
料理番たちが身を乗り出す。
「おお……」
「なんか、それっぽい」
「それっぽいやろ」
博之は少し得意げに言ったが、すぐに真面目な顔に戻った。
「この切り方、何人かに教えろ。もっと綺麗に切れるやつが出たら、逆に俺に教えてくれ」
「旦那様に、ですか」
「うん。俺も習う」
料理番たちは顔を見合わせた。
博之は、自分が知らないことを平気で認める。分からないまま試し、うまくいけば人に任せ、
さらに上手い者から習う。それが、この店の妙な強さだった。
次に、骨を取り除き、串を打つ。
「これで焼く」
「焼くだけですか」
「焼くだけやと味がつかへん」
博之は少し考えた。
「うち、天ぷらの時につけてるタレあるやろ」
「あります」
「あれに酒を混ぜて、少し煮詰めて。で、刷毛で塗る」
「刷毛で」
「焼きながら、ちょっとずつ塗る」
料理番が頷くと、博之はさらに言った。
「もう一つは蒸せ」
「蒸す?」
「うん。たぶん、焼くだけやと中が硬くなる。蒸して少し柔らかくして、そこにタレの香りを入れる」
「蒸してから焼くんですか」
「そう。蒸して、焼く。焼きながらまた塗る」
「二度手間ですね」
「うまけりゃええねん」
周囲が笑った。
まずは軽く焼く。
脂が落ち、火に当たって、じゅっと音がする。
そこへ、酒を混ぜた甘辛いタレを刷毛で塗る。
煙が立った。
甘い香りと、魚の脂が焼ける匂いが混ざる。
「……お?」
誰かが顔を上げた。
「これ、いい匂いしますね」
「まだや。ここで一回蒸す」
鍋と竹ざるで簡単な蒸し器を作り、焼いたうなぎを少し蒸す。それをまた取り出し、火にかける。
再びタレを塗る。
じゅう、と音がして、さらに濃い香りが立ち込めた。
料理番の一人が、思わず呟いた。
「旦那様、これは……正解かもしれません」
周りの者たちも、鼻をひくつかせている。
「これ、飯に乗せたら絶対うまいですよ」
「飯に乗せるか」
「混ぜ飯ではなく、白飯がええかもしれません」
「白飯か……」
博之は目を細めた。
「タレが飯に染みるからな」
「はい」
「じゃあ、白飯に乗せて、上から少しタレをかける」
「高く売れますね」
「高く売るな。最初は試しや」
すぐにお花が突っ込んだ。
「旦那様が言う“試し”は、だいたい大ごとになります」
焼き上がったうなぎを、少しずつ切り分ける。
皆でおそるおそる口に運んだ。
皮は香ばしい。
身は思ったより柔らかい。
甘辛いタレと酒の香りが、脂に絡む。
一瞬、誰も喋らなかった。
そして、料理番の一人が小さく言った。
「……うまい」
その瞬間、場が一気に騒がしくなった。
「うまい!」
「これ、ほんまにうなぎですか」
「ぶつ切りより全然食いやすい」
「骨がないのがええ」
「飯、飯持ってきて!」
博之は少し満足そうに頷いた。
「やっぱり開くのが肝やな」
「あと蒸しです」
「焼きもです」
「タレもです」
「全部やな」
津島の料理番たちは、もう真剣な顔になっていた。
「旦那様、この切り方、覚えます」
「熱田でも使えます」
「川筋の飯として出せます」
博之はすぐに釘を刺した。
「ただし、うなぎは扱いが難しい。慣れた者だけや。生焼けも怖い。ぬめりも落とさなあかん。
骨も抜かなあかん。雑にやるな」
「はい」
「あと、これは高く売れるけど、出しすぎるな」
「また限定ですか」
「限定や。うなぎは数が読めん。乱獲したらあかんし、扱える人間も少ない」
お花が笑った。
「旦那様、海鮮焼きで覚えましたね」
「持っていきすぎる飯は危ない」
博之はそう言って、焼き上がったうなぎを見た。
香ばしい煙が、津島の夕方の空気に溶けていく。
熱田。
津島。
川筋。
そして、飯場。
また一つ、新しい飯の道が見えかけていた。
「……これ、名前どうするかな」
博之が呟くと、周りが一斉に笑った。
「旦那様、もう売る気満々じゃないですか」
「いや、試しや試し」
「絶対嘘です」
その夜、津島の飯場では、うなぎを開いて焼くという奇妙な実験が、
いつの間にか大きな希望に変わっていた。