作品タイトル不明
蟹江の国人衆と一向宗が民が戻ってこない。博之に炊き出しの教えを乞う。織田と伊勢松坂屋の関係もよく思っていない
蟹江の国人衆と一向宗の代表たちが伊勢松坂屋へ来たのは、昼を少し過ぎた頃だった。
いつもなら、武張った空気をまとって入ってくる者たちである。
だが、その日は違った。
顔に疲れが出ている。
言葉にも勢いがない。
ただ、どうにもならなくなった者の重さだけがあった。
座敷に通されると、国人衆の代表が、いきなり頭を下げた。
「頼む。教えてくれ」
博之は、少し目を丸くした。
「何をですか」
「蟹江のことや」
一向宗の代表が続ける。
「城の普請もしてる。復旧工事もしてる。城下を立て直そうとはしてる。けど、人が戻ってこん」
博之は黙って茶を置いた。
「みんな、伊勢松坂屋の港や郊外に行ったままや。飯はうまい。仕事もある。寝るところもある。
湯もある。そら戻らん」
国人衆の男が、悔しそうに膝を握る。
「こっちは城を取り返した。けど、民からしたら、城下を荒らした連中や。
何してくれたんや、という顔をされる」
「炊き出しはしてはるんでしょう」
「した。けど、松坂屋の方がうまいと言われる」
「……」
「粥を出しても、あっちは混ぜ飯や汁物や魚まで出す。こっちは施しのつもりでやっても、
“また上から配ってるだけや”みたいに見られる」
一向宗の代表も苦い顔をした。
「城だけもらっても、民がおらんかったらどうしようもない。税も取れん。市も立たん。
普請する人間もおらん」
そして、深々と頭を下げた。
「炊き出しの仕方も、人が戻ってくる術も、わしらは知らん。だから教えてほしい」
博之は、困ったように頭をかいた。
「なかなか難しい課題ですね」
「難しいのは分かっとる」
「私たちも、どうしたらいいかと言われても……」
「でも実際、人はそっちに行っとる」
そう言われると、博之も反論できなかった。
「だからといって、連れ戻すわけにもいかんしな」
「それは絶対にやめてください」
博之の声が少し強くなる。
「無理に連れ戻したら、もう戻りません。次に織田が来た時、みんな織田の方へ流れます」
「織田へ?」
「はい。織田は蟹江で二十五万文を払って、頭を下げました。“悪かった。復旧に使ってくれ”と」
座敷が重く沈む。
「皆さんが何もせず、あるいは無理に民を戻そうとしたら、民は思いますよ。
織田の方がまだましや、と」
国人衆の代表は唇を噛んだ。
「……それは困る」
「困るでしょう」
一向宗の男が、探るような目を向ける。
「お前、織田とも仲ええらしいな」
「飯屋として付き合ってるだけです」
「熱田神宮とか、瀬戸物とか、尾張全域の商いとか、そういう話も来てるんやろ」
「来ています」
「なら、もう飯屋の付き合いやないやろ」
博之は、少しだけため息をついた。
「織田は、私たちに機会をくれています。熱田神宮を見ろ。瀬戸物を買え。常滑、津島、
蟹江で商いをしていい。うまくいけば尾張全域の商いも任せる、と」
「……」
「逆に聞きますけど、北伊勢の国人衆や一向宗は、私たちに何をくれますか」
座敷が静まり返った。
誰もすぐには答えられない。
「……何かあげられるものは、正直ない」
国人衆の代表が、苦々しく言った。
「でも、なんとかしたいんや」
一向宗の代表も、もう一度頭を下げた。
「教えてくれ」
博之はしばらく黙った。
そして、ゆっくり頷いた。
「分かりました。ただし、施しでは駄目です」
「施しでは駄目?」
「はい。上から粥を配って、“ありがたく食え”では、人は戻りません」
「では、どうする」
「炊き出しとして、我々と一緒にやりましょう」
博之ははっきり言った。
「国人衆、一向宗、伊勢松坂屋、町の人。みんなで飯を炊く。配る。片付ける。話を聞く」
「武士が飯を配るのか」
「はい」
「坊主もか」
「はい」
「……」
「それを見せるんです。あなた方が、民を戻したいと思っていることを」
お花が横から静かに言った。
「頭を下げる姿も、飯をよそう姿も、全部見られます。でも、それを続けることが大事です」
博之は続ける。
「それと、市をやりましょう」
「市?」
「はい。蟹江の城下で、復旧市を立てます。食べ物、古道具、布、器、仕事の受付、
子どもの読み書き。小さくていいです」
「売上はどうする」
「一部は一向宗への寄進にしてもいいです」
一向宗の代表が驚く。
「ええのか」
「はい。ただし、札を出しましょう。“この市の売上の一部は寺の修繕と炊き出しに使います”と」
博之は国人衆の方を見る。
「国人衆の収入にしても構いません。ただし、“城下復旧費”として見える形にする。
普請、寝床、道具の買い直し、炊き出しに使う」
「懐に入れるな、ということやな」
「そうです」
国人衆の代表は、苦笑して頷いた。
「耳が痛い」
「今、民は見ています。“また取られるのか”“また普請に駆り出されるのか”と」
博之は静かに言った。
「だから、最初は取らない。まず戻す」
座敷の空気が少し変わった。
敵意ではなく、現実を受け止める空気になった。
「すぐには無理ですよ」
博之は念を押した。
「一回炊き出しをしたから許される、なんてことはありません。ちょこちょこやるんです。
何度も顔を合わせる。怒られても逃げない。飯を出す。仕事を作る。市を立てる」
「続けるしかないか」
「はい」
博之は頷いた。
「ただし、粥だけは禁止です」
「またそこか」
「そこからです。腹と心、両方を温めないと人は戻りません」
国人衆と一向宗の代表たちは、深く頭を下げた。
城を取り返すだけでは足りない。
人を戻すには、飯と仕事と、頭を下げる覚悟がいる。
蟹江の復旧は、ようやくそこから始まろうとしていた。