作品タイトル不明
屋敷の奥で寝ようとしてたら九鬼水軍が港まで遊びにおいでと圧をかけてくる。関係性の問題で港でご飯食べながら近況報告
松坂の城から戻った博之は、屋敷の奥でようやく畳に転がった。
「もう今日は、ほんまに何もせえへん」
そう言って、布団でもかぶろうとしたところで、表の方が少し騒がしくなった。
お花が顔を出す。
「旦那様、九鬼水軍の方からお使いです」
「また?」
「松坂の港まで遊びにおいで、とのことです」
「遊びにおいでって、絶対遊びちゃうやん」
「何度もそう言われたそうです」
「それはもう圧やん」
博之は畳の上でごろごろ転がった。
「松阪の港まで遊びにおいで。松阪の港まで遊びにおいで。松阪の港まで遊びにおいで……って、
呪文か」
ヨイチが横で言った。
「行かない選択肢はありませんね」
「なんでや」
「蟹江の件で、九鬼水軍もだいぶ絡んでおります。しかも常滑、津島、蟹江の海の道は、
今後かなり大事になります」
「正論で殴るな」
結局、博之は簡単な飯と手土産を持って、松坂の港へ向かった。
港に着くと、九鬼水軍のまとめ役が待っていた。
「おう、天下を語る飯屋が来たな」
「それ、もうやめてください」
「織田の殿様に飯を食わせて、一年の休戦を取った男やろ」
「飯だけで取ったわけじゃないです」
「海鮮焼きで取ったんやな」
「それも違います」
九鬼の者たちは、面白そうに笑っていた。
博之は席に通され、港の飯を出された。魚の汁、焼いた貝、軽い酒。水軍衆らしい、
荒っぽいがうまい飯だった。
まとめ役は、酒を一口飲んでから言った。
「しかし、常滑と津島の話はありがたいな」
「まだ一年見てもらえるだけですから、慎重にですよ」
「それでもや。松坂屋で仕入れてもらったもんを、常滑や津島、その先まで売れる算段がついた。
こっちは船を出す。帰りの積み荷で常滑焼きを伊勢へ持ってくる。そうなれば空船が減る」
「そこは大きいですね」
「しかもや」
まとめ役は、にやりと笑う。
「伊勢松坂屋と仲良しの九鬼水軍が、買い付け隊と一緒に買ってきた、となれば信用が乗る。
常滑焼きも、ただの焼き物やなくなる」
「信楽焼きと同じですね」
「そうや。遠方へ持っていくだけで値が上がる。運賃を乗せ、利益も乗せ、それでも買う者がおる。
うちは船賃が入る。港の者は仕事が増える。水夫も食える。海の男は仕事がきついが、
稼ぎがあれば辞めへん。人も雇える」
博之は頷いた。
「潤いますね」
「潤っとる」
まとめ役は上機嫌だった。
「だから、ますます旦那のところとは仲良くせなあかん」
「いや、でもほんまに休戦期間は一年ですからね。津島、常滑もまだどうなるか分かりません」
「そこは分かっとる。ただ、信長公は旦那にかなり興味を持ったやろ」
「怖い興味ですけどね」
「飯一つで半年休戦を延ばしたんや。興味を持たん方がおかしい」
「飯一つ言わんといてください」
「ほな、飯と海鮮焼きと天下の話で一年取った男や」
「もっと嫌です」
九鬼の者たちはまた笑った。
まとめ役は、少し真面目な顔になった。
「しかしな、あの話を聞いて思った。もし織田領での商いがうまくいって、
さらに南近江を押さえるような流れになったら、旦那の飯の道はまたでかくなるぞ」
「でかくしたいわけじゃないんですけどね」
「でも、飯の道は楽しいやろ」
博之は黙った。
少しして、観念したように言う。
「楽しいです」
「ほれ見ろ」
「ちぐはぐなんですよ。大きくなるのは怖い。でも道がつながるのは面白い。遠くの品が来て、
こっちの品が向こうへ行って、従業員が喜んで、港が潤って、炊き出しの銭も出る。
それは楽しいんです」
「旦那はちぐはぐやな」
「わしはちぐはぐですわ」
博之は苦笑した。
「でも、飯がうまいのも大きいです。結局、飯がまずかったら何も始まらない」
「それはあるな。海鮮焼きも、見て楽しいだけでまずかったら二度目はない」
「はい。ただ、海鮮焼きは港でしかできません」
「そこが問題か」
「問題です。鮮度もありますし、海の匂いもありますし、港のにぎわいと合わさって
強くなる飯です。内陸で同じようにやっても、たぶん少し力が落ちます」
まとめ役は、にやりとした。
「じゃあ今度は松平か」
「いやいやいや。そこまでガンガン伸ばす計画はないです」
「先方から要望があれば?」
「それは……まあ、先方から要望があれば考えますけど」
「ほらな」
「誘導しないでください」
まとめ役は笑ったが、すぐに少し慎重な顔になった。
「ただな、そこまで伸びると、今度は水軍衆の縄張り争いに巻き込まれる可能性がある」
「それは怖いです」
「伊勢、鳥羽、白子、蟹江、常滑。海の道が伸びれば伸びるほど、船を出す者、港を押さえる者、
通行を見張る者が絡む。うちら九鬼だけで全部どうこうできるわけでもない」
「だから無理せずですね」
「そうや。無理せずや」
博之は真面目に頷いた。
「でも、基本的には、常滑焼きとか信楽焼きの利益を分け合う形なら、話は通じやすいと思うんです」
「ほう」
「別に勢力を取るわけではなく、積み荷の卸です。こちらは買い付けたい。向こうは売りたい。
船に乗せたい。だったら、船賃、用心棒代、港の礼銭を払う。そうすれば、領海というか、
通してもらう筋は立てやすいかなと」
まとめ役は腕を組んだ。
「なるほどな。港を取るんやなく、荷を通す。水軍を従わせるんやなく、船賃を払う。用心棒代も払う。
そうすれば、相手も面子が立つ」
「はい。伊勢松坂屋が海を支配するなんて無理です。そんなことしたら殺されます」
「そこは分かっとるんやな」
「分かってますよ。私は飯屋です」
「飯屋が領海とか用心棒代とか言うな」
「言わされてるんです」
九鬼の者たちはまた笑った。
だが、まとめ役は笑いながらも感心していた。
「旦那のやり方は、奪うというより、食い口を作るんやな」
「そうですね。売る人、運ぶ人、買う人、食う人。それぞれに少しずつ得が
あるようにしたいんです。もちろん、うちも儲けますけど」
「そこを隠さんのがええ」
「儲けないと炊き出しもできませんから」
「ほんまそれや」
港の方では、荷を下ろす声がしていた。
常滑から届いた壺や皿が、いくつか試しに並べられている。
伊勢松坂屋の者がそれを手に取り、松阪で売れるか、伊勢で売れるか、鳥羽で使えるかを話していた。
まとめ役は、その様子を見ながら言った。
「これがぐるぐる回り出したら、ほんまに大きいぞ」
「怖いです」
「楽しいやろ」
「楽しいです」
「やっぱりちぐはぐや」
博之は、港の風を受けながら笑った。
「まあ、じゅんぐりじゅんぐりです。急いで伸ばすと、どこかで揉めます。
蟹江も一年ありますけど、一年しかありません。常滑も津島も、まずは丁寧にやります」
「それでええ。うちらも船を出すが、無理はせん。縄張りに触れるところは、ちゃんと話を通す。
銭を払う。飯を出す。礼をする」
「飯は大事です」
「知っとる。旦那を見てたら嫌でも分かる」
九鬼のまとめ役は、酒を飲み干した。
「ただな、旦那」
「はい」
「信長公も、松阪の殿様も、うちらも、皆もう分かっとる。旦那が大きくしたくないと言っても、
飯の道は勝手に大きくなる」
「嫌なこと言いますね」
「だから、道が大きくなるなら、その道に船を出す者、荷を守る者、飯を出す者、
銭を数える者をちゃんと増やせ。旦那一人がごろごろしながら全部見ようとしたら、いつか沈むぞ」
博之は、少し黙った。
「それは、本当にそうですね」
「ごろごろはしてええ。けど、任せる者は育てろ」
「最近、みんなそれ言いますね」
「信長公も言うてたやろ。猿に分身を作れと」
「聞こえてたんですか」
「水軍は耳がええんや」
「怖いなあ」
まとめ役は笑った。
「まあ、とりあえず今日は飲め。蟹江で生きて帰った祝いと、一年取った祝いと、
常滑焼が売れそうな祝いをまとめてや」
「飲みすぎると帳簿ができません」
「今日は帳簿を忘れろ」
「それはありがたい」
博之は、ようやく少し肩の力を抜いた。
松坂の港には、潮の匂いと、焼いた魚の匂いが混じっていた。
常滑焼。
信楽焼。
津島。
蟹江。
白子。
鳥羽。
そして、まだ見ぬ瀬戸物。
道はまた伸びようとしている。
怖い。
けれど、楽しい。
博之は小さく笑った。
「飯の道、ほんま厄介やな」
まとめ役が杯を掲げた。
「厄介でええ。儲かる厄介は、海の男は嫌いやない」
その言葉に、博之も杯を上げた。
「じゃあ、無理せず、じゅんぐりじゅんぐりで」
「じゅんぐりじゅんぐりや」
松阪の港で、飯屋と水軍衆は笑いながら杯を合わせた。