軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

楽しい楽しい帳簿の時間。2億6,800万文→2億9,600万文。飯で天下を語る飯屋はやることがいっぱいあるwww

松阪へ戻ってきた博之は、屋敷の奥でごろりと横になった。

今日はもう何もしたくない。

織田信長公に飯を出した。

海鮮焼きを見せた。

蟹江の停戦を一年に延ばしてもらった。

しかも途中で、美濃や南近江や京都の話までしてしまった。

もう十分すぎるほど働いた。

そう思っていたところへ、ヨイチが帳面を抱えて現れた。

「旦那様。楽しい楽しい帳簿の時間でございます」

「全然楽しくねえし」

博之は畳に突っ伏した。

「俺、今日殺されそうやったやんか。織田信長公やぞ。なんで帰ってすぐ帳簿なん」

「それは、旦那様が国家を論ずるから悪いんです」

「そんなひどいこと言わんといてくれ」

「飯屋が織田様の前で、美濃、南近江、京都、伊勢を語ったのですから、こちらも帳簿くらい

語らせてください」

「帳簿で仕返しすな」

お花が茶を置きながら、くすくす笑った。

「でも、旦那様。一年に延びたのは大きいですよ」

「それはそうなんやけどね」

博之は、ようやく顔を上げた。

「蟹江の人らが、ちょっとでも落ち着けるならよかったわ。ほんま、命あってよかった」

「では、命があるうちに数字を見ましょう」

「言い方が怖い」

ヨイチは帳面を開いた。

「今回は、細かいところだけ見ていきます。蟹江の会談で大きく動いた分もありますが、

全拠点を洗いざらいではありません」

「それならまだ耐えられるかもしれん」

「まず、各拠点の立ち上がり、改善、追加の横丁、蟹江・津島・常滑まわりの増減を合わせますと、

拠点利益は千七百五十万文でございます」

「千七百五十万……」

博之は、もう数字を聞いただけで疲れた顔になった。

「前より増えてるやん」

「増えております。蟹江の件でかなり手を取られましたが、常滑と津島、蟹江の港と

郊外が思ったより動いています。あと、鳥羽、宇治、藤井寺、京都の端、大津草津まわりも、

じわじわ効いております」

「じわじわが怖い」

「買い付け隊も見ます」

「まだあるんか」

「当然です」

ヨイチは淡々と言った。

「買い付け隊、取寄せ札、市での回転分を合わせまして、今回は千五十万文。拠点利益と

合わせまして、二千八百万文でございます」

博之は天井を見上げた。

「二千八百万文……半月かそこらの話やろ」

「はい」

「飯屋とは」

「最近は、旦那様も飯屋の範囲から少し出ている自覚がおありでしょう」

「多少はあるけど、言われると嫌や」

お花が笑った。

「織田様にも言われていましたね。飯屋のくせに国の話ができすぎる、と」

「それも忘れてくれ」

「無理です」

ヨイチは帳面をさらにめくった。

「累計ですが、前回が二億六千八百万文。今回の二千八百万文を足しまして、

二億九千六百万文……細かくは二億九千六百四十万文でございます」

「桁が怖い」

「はい。怖いので、帳簿上は二億九千六百万文で見るか、二億九千六百四十万文で残すか検討中です」

「四十万文を誤差にするな」

「旦那様が国家を語った後ですので、四十万文くらい小さく見えます」

「見えへんわ」

博之は、茶を一口飲んだ。

「しかし、二億九千六百万文か……」

思わず声が小さくなる。

金が増えて嬉しい、という感覚はもうあまりない。もちろん銭は必要だ。飯場を作るにも、

湯浴みを増やすにも、炊き出しをするにも、買い付け隊を動かすにも銭はいる。

だが、ここまで来ると怖い。

これだけの銭が動く飯屋は、もはや周りから放っておかれない。

「じゅんぐりじゅんぐり回していかんとな」

博之はぽつりと言った。

「貯め込んだら狙われる。使いすぎたら潰れる。回さんとあかん」

「その通りです」

ヨイチは頷いた。

「次は、織田様のところでどれだけ回せるかです。蟹江、津島、常滑。

この三つを丁寧にやることが、当面の大事な仕事になります」

「一年あるからな」

「一年しかありません」

「言い直すな」

「一年の間に、港と郊外の飯場を安定させ、城下に戻る人、港に残る人、

常滑や津島へ移る人を整理する必要があります」

お花も口を開いた。

「蟹江の人たちは、旦那様にかなり期待しています。でも、全部は抱えられません。

面接、見習い、炊き出し、寝床、湯浴み。その線引きが大事です」

「そうやな」

博之は頷いた。

「施しだけでは無理や。働ける人には働いてもらう。働けない人には寺社や顔役と連携して支える。

織田様にも筋を通す。九鬼水軍にも迷惑かけすぎない」

「あと、常滑焼です」

ヨイチが言う。

「常滑の品は、すでに松阪、伊勢、鳥羽、蟹江で反応があります。瀬戸物の前段として、

ここは強く育てたいです」

「瀬戸物なあ」

博之は少し遠い目をした。

「信長公に言うてしもたからな。瀬戸物を仕入れたいって」

「むしろ、よくそこに戻しましたね。天下取りの話から器の話に」

「飯屋やからな。器は大事や」

「ただ、瀬戸まで見るとなると、美濃方面の道が絡みます」

「そうなんよ」

博之は起き上がり、簡単な地図を見る。

「観音寺城の周りに横丁を持ち始めてる。佐和山から美濃に入って、尾張につながれば、

巡回の道ができる。信楽、奈良、京都の端、大津、草津、関、亀山、松阪。そこに美濃、

尾張がつながると、飯の道がまた一つ太くなる」

お花が苦笑した。

「旦那様、また楽しそうです」

「楽しいんや。怖いけど」

「飯の道を作る楽しさを覚えた、と織田様の前でも言ってましたね」

「言うてしもたな」

博之は頭をかいた。

「でも本当に、道がつながると面白い。従業員が喜ぶ。遠くの品が来る。地元の品が遠くで売れる。

金が回る。飯が増える」

「その分、帳簿も増えます」

「そこは嫌や」

ヨイチは静かに続けた。

「官位の話もあります」

「出た」

「大膳亮の話です。もし正式にもらえた場合、京都のどこかで商売の筋を作れる可能性があります」

「京都の真ん中は怖いぞ」

「もちろんです。いきなり真ん中へ入るのは危険です。ただ、郊外を六か所持ち始めています。

これ以上増やすか、既存の六か所を太くするか、判断が必要です」

「六か所あるんやろ。これ以上増やすのもどうかな」

「私も、今は増やすより太くする方がよいと思います」

ヨイチは帳面に印をつけた。

「宇治、大津、草津、京都の端。このあたりをつなぐことで、奈良の物資を伊賀を通さずに回せます。

そこに官位があれば、寺社や商人への挨拶も少し楽になります」

「でも官位もらったら、飯屋じゃなくなりそうで嫌なんよな」

「今日、織田様の前で天下の道筋を語った時点で、もう普通の飯屋ではありません」

「ひどい」

「事実です」

お花がやわらかく言った。

「でも、官位は旦那様が偉くなるためというより、伊勢松坂屋で働く人や、

飯場を守るための札みたいなものだと思えばよいのではないですか」

「札か」

「はい。お礼札みたいなものです」

「大膳亮がお礼札扱い」

博之は少し笑った。

「それなら、まだ耐えられるかもしれん」

ヨイチは真面目に頷いた。

「官位をもらっても、掟を変えなければよいのです。飯を出す。寝床を作る。湯浴みを整える。

働ける者には仕事を作る。取り過ぎない。周りを潰さない。銭を回す」

「根っこは変えない」

「はい」

博之は、しばらく黙ってから頷いた。

「とりあえず、当面は織田様のところでぐるぐるやらせてもらう。蟹江、津島、常滑を丁寧に。

瀬戸物は見るけど、急ぎすぎない。京都の端は増やすより太くする。官位は、

もらうなら飯場を守る札として考える」

「よろしいかと」

「あと帳簿は、もう少し優しくしてくれ」

「それは無理です」

「即答すな」

その場に笑いが起きた。

博之は再び畳にごろりと転がった。

「二億九千六百万文か……怖いなあ」

「怖いですが、使い道は山ほどあります」

「そうやな。蟹江の立て直し、常滑、津島、瀬戸物、京都の端、官位、炊き出し、湯浴み、

寝床、買い付け隊」

「そして帳簿係の増員です」

「それはいるな」

博之は真顔で頷いた。

「今日一番大事な話かもしれん」

お花が笑った。

「織田信長公に飯を出した日の結論が、帳簿係の増員ですか」

「飯屋らしくてええやろ」

「はい。旦那様らしいです」

ヨイチは帳面を閉じた。

「では、今日のまとめです。累計二億九千六百四十万文。織田方での動きは一年の猶予。

蟹江、津島、常滑を重点。京都の端は拡張より安定。瀬戸物は視野に入れるが慎重に。

官位は飯場を守る札として検討」

「まとめると、やること多すぎやな」

「はい」

「寝てええ?」

「明日の朝からでよろしければ」

「よかった」

博之は目を閉じた。

「今日はもう、信長公に殺されんかっただけで十分や」

お花がそっと布団を持ってきた。

「お疲れさまでした、旦那様」

ヨイチも、珍しく少しだけ優しい声で言った。

「今日は休んでください。明日からまた、飯の道です」

「明日からかあ」

博之は、半分眠りながら呟いた。

「飯屋って忙しいなあ」

誰かが小さく笑った。

蟹江の一年。

尾張の道。

瀬戸物。

京都の端。

官位。

二億九千六百万文。

数字も道も、もう博之一人の手には余るほど大きい。

それでも、根っこは変わらない。

腹が減った者に飯を出す。

寝る場所のない者に寝床を作る。

湯浴みを整え、働く場を作る。

取り過ぎず、回し続ける。

博之は布団にくるまりながら、最後に小さく言った。

「まあ、明日も飯だけはうまくしよう」

それだけ言って、ようやく眠りに落ちた。