作品タイトル不明
秀吉が帰った後、蟹江の会談に備え、どの飯を出しどの飯を隠すかについて話す。特にお好み焼きと海鮮焼き
秀吉が松阪を発ってしばらくすると、博之は屋敷の奥でごろごろしながら、古参の者たちを集めていた。
お花、ヨイチ、伊賀筋の者、元長野家の若侍、港回りを見ている者たち。皆、なんとなく察している。木下藤吉郎が戻った以上、次に何が来るかは分からない。
博之は天井を見ながら言った。
「多分やけど、蟹江で織田信長公と飯を食うことになると思う」
その場が、少し静かになった。
お花がゆっくり聞き返す。
「……そこで最初に考えるのが、飯の内容ですか?」
「そこが一番大事やろ」
「まあ、旦那様らしいです」
ヨイチは帳面ではなく、献立の控えを広げた。
「普段通りなら、まぜ飯、汁物、肉あん、魚のすり身揚げ、漬物。港なら、マグロの汁物と
すり身を前に出す形でしょうか」
「そうやな」
博之は起き上がった。
「まず、マグロの汁物とすり身は出す。これがうちの港飯の基本や。もともと捨てるような魚、
下魚、マグロの端、そういうものを食える形にして価値を出してる。これで九鬼水軍とも
仲良くしてる」
伊賀筋の者が頷いた。
「それは、話してもよろしいのですか」
「そこが悩ましい」
博之は腕を組んだ。
「マグロの汁物やすり身を出すこと自体は隠せへん。蟹江でも白子でも鳥羽でも出してる。
けど、それをどういう理屈で九鬼水軍と組んでるか、魚の捨てる部分に価値をつけてるか、
港をどう動かしてるか。そこまで話すかは微妙や」
「織田様に見られるわけですからね」
「そうや。見せすぎたら怖い。けど、見せなさすぎたら“結局何を隠してるんや”となる」
お花が言う。
「では、飯としては出す。説明は、聞かれたら少しだけ。詳しい仕組みまでは話さない、
というところでしょうか」
「それやな」
ヨイチが書き留める。
「肉あんは?」
「出す」
博之は即答した。
「あれは高いけど受けてるという象徴や。高くても、うまい。高いからこそ、
払える人が払う。その銭で炊き出しや湯浴みや寝床が回る。これは、織田様にも見てもらいたい」
「高い飯を納得して食わせる、というところですね」
「そうや。飯は安く腹を満たすだけやない。高くても意味がある飯もある。そこを見せたい」
そこで、お花が少し表情を変えた。
「問題は、お好み焼きと海鮮焼きですね」
「そうなんよ」
博之は、また畳に手をついた。
「そこが悩ましい。お好み焼きは、まあ出してもええ。鉄板で焼いて、ひっくり返して、
待つ。焼ける匂いがして、周りが見て、食う前から楽しい。これは飯の見せ方として分かりやすい」
「港の市のにぎわかしにもなります」
「そう。蟹江の港の市で、ご縁の会というか、ちょっとした催しとしてやる。
銭を取るか取らんかは当日の空気次第やけど、まずは“飯は腹に入れるだけのものではない”
というのを見せる」
元長野家の若侍が、少し首をかしげた。
「尾張の殿様に、そこまで響きますかね」
「分からん」
博之は正直に言った。
「でも、尾張の殿様が飯をどう見てるかは分からんやろ。武家からしたら、
飯は兵糧、腹に溜まるもの、高いもの、安いもの。その軸が強いと思う。でも、
うちはそれだけでやってない」
「見せる飯、待つ飯、話になる飯」
「そうや。鉄板焼きはまずそれや。焼いてるところを見せる。待つのも楽しい。匂いで人が寄る。
できあがるまでの時間に会話が生まれる。飯を食う前から、市が動く」
お花が静かに頷いた。
「それを見せるなら、お好み焼きはよいですね。大きく見せられるし、海鮮焼きほど衝撃は強すぎない」
「そう。お好み焼きは、にぎやかしとしてやる」
ヨイチが筆を止めた。
「では、海鮮焼きはどうしますか」
博之は、少し黙った。
座敷の空気が少し重くなる。
「海鮮焼きは危険や」
「危険ですね」
「絶対に見て楽しい。丸いのをくるっと回す。海鮮の匂いがする。子どもも大人も寄ってくる。
しかも食ったらうまい。これは、周りが殺到する」
「伊勢神宮前でも、それで大きく当たっていますからね」
「そうや。だから、これを織田様が見て価値に気づいたら、蟹江の半年停戦が一年、二年に
伸びる可能性もある。あるいは、尾張の港でやってくれという話になるかもしれん」
「それは、良い話では?」
「良い話でもあり、怖い話でもある」
博之は言った。
「尾張の港で海鮮焼きをやるということは、うちがさらに尾張に根を張るということや。
織田様が許すなら強い。けど、価値に気づいた上で、取り上げようとする可能性もゼロやない」
ヨイチが頷く。
「道具、焼き方、人の流し方、予約の取り方。この辺を見られすぎると、模倣される可能性もあります」
「そう。だから、海鮮焼きは用意はする。でも、最初から大々的には出さない」
お花が確認する。
「話の延長線上で出てきたらやる、ということですね」
「うん。例えば、木下殿が“海鮮焼きというのがあると聞いた”とか、織田様が“それは出ないのか”
と言ったら、出す」
「名前だけが一人歩きしている可能性がありますからね」
「そうや。海鮮焼きという名を聞いて、期待して来て、出てこなかったら、
それはそれで失礼になる。だから準備はする」
港回りの者が言う。
「では、道具は隠して運びますか」
「隠しすぎると怪しい。けど、普通の調理道具として運ぶ。数は絞る。大規模にはしない。
あくまで“見本”や」
「体験は?」
「させへん」
博之は即答した。
「今回は体験まではやらない。体験は伊勢神宮前の強みや。蟹江では焼いて見せるだけ。
周りが楽しむところまでは見せる」
お花が小さく笑う。
「木下殿は食べていますが、焼いて周りが楽しむところまでは見ていませんからね」
「そこが肝や」
博之は身を乗り出した。
「木下殿は味は知ってる。うまいことも知ってる。でも、海鮮焼きの本当の価値は、食う前にある。
焼いてるところに人が寄る。子どもが声を上げる。大人が笑う。待ってる間に市の品を見る。
焼けたら拍手が起きる。これが強い」
「飯が、場を作る」
「そうや」
博之は、少し真剣な顔で言った。
「信長公と秀吉さんが、その意味に気づくかどうかで、話す内容が変わる」
「気づいたら?」
「尾張の港でやる話、蟹江の停戦延長、常滑や津島との物流、九鬼水軍との船の道、
そこまで話せるかもしれん」
「気づかなかったら?」
「普通に飯を食って、蟹江の復旧と半年停戦の延長、尾張での横丁の扱いを話すだけや」
元長野家の若侍が言った。
「信長公は、気づくと思いますか」
博之はしばらく考えた。
「分からん。でも、今川を討って、木下殿みたいな人を使う殿様や。変なものを変なものとして
見る目はあると思う」
「なら、なおさら危険ですね」
「そうや。見抜かれる可能性がある。けど、見抜かれなければ関係は深まらない」
お花が、少し柔らかい声で言った。
「旦那様、珍しく勝負に出るのですね」
「勝負というほどではない」
「でも、飯で勝負するのでしょう」
「飯屋やからな」
博之はそう言って、少し笑った。
「うちは、戦の話で織田様に勝てるわけない。武勇でも勝てない。官位でも勝てない。
銭の話も、あんまり前に出したら危ない。なら飯しかない」
「飯で、どう見せるか」
「そうや」
ヨイチが献立を整理した。
「基本膳。まぜ飯、マグロの汁物、すり身揚げ、肉あん、漬物。港の市ではお好み焼きの実演。
海鮮焼きは準備のみ。求められたら見本として焼く。体験はなし。説明は、相手の反応を見て
段階的に」
「完璧や」
「あと、炊き出しも見せますか」
お花が言うと、博之は少し考えた。
「見せる。ただし、押しつけがましくはしない。蟹江の住民が飯を食えてること、
港と郊外で仕事があること、そこは自然に見えるようにする」
「戦で荒れた城下と、飯場のある港の対比ですね」
「それが一番の薬や」
博之は静かに言った。
「信長公がどう受け取るかは分からん。でも、蟹江で飯を食うなら、ただうまい飯を
食うだけでは意味がない。戦で人が消えた場所と、飯で人が戻りかけている場所。
その両方を見てもらう」
座敷が少し静かになった。
お花が頷く。
「では、そのつもりで準備します」
「頼む」
博之はまた畳に寝転がった。
「しかし、織田信長公に出す飯を考える日が来るとはな」
ヨイチが淡々と言った。
「旦那様が飯の道を作りすぎた結果です」
「毎回それ言うな」
「事実ですので」
博之は天井を見上げた。
マグロの汁物。
すり身揚げ。
肉あん。
お好み焼き。
そして、海鮮焼き。
どこまで見せるか。
どこまで隠すか。
どこまで食わせるか。
今度の飯は、ただのもてなしではない。
織田信長に、伊勢松坂屋という飯屋が何をしているのかを、言葉より先に見せる膳になる。
「まあ、飯だけはうまくしよう」
博之がそう言うと、お花が笑った。
「そこはいつも通りですね」
「うちは飯屋やからな」
その言葉だけは、いつもより少し力があった。