軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

秀吉が織田信長に伊勢松坂屋と博之の話について丁寧に説明する。面白がり蟹江で会う約束に納得する

木下藤吉郎が松坂から戻ってきたのは、数日後のことだった。

津島、常滑、蟹江を見てきた時とは、少し顔つきが違っていた。疲れてはいる。

だが、どこか面白いものを見てきた者の顔でもあった。

信長はそれを見て、すぐに言った。

「猿。長くなる顔をしておるな」

「はい。長くなります」

「面倒やな」

「ですが、これは聞いておいて損はない話です」

信長は少し眉を上げた。

「飯屋の話やろ」

「飯屋の話です。ですが、ただの飯屋の話ではございません」

「それはもう知っておる」

信長は、手で続きを促した。

「話せ」

藤吉郎は頭を下げ、松坂で聞いたことを順に語り始めた。

まず、伊賀の地侍の話だった。

伊勢松坂屋の関係者を捕まえ、身代金一万文を要求した地侍がいたこと。博之はそこで、

身代金を取るより信楽焼を買い付けに行く荷を守った方が儲かる、目覚めもいい、

しかも飯もうまい、と説得したこと。結果として、その地侍は伊賀の道を守る者になり、

信楽焼の道が太くなったこと。

信長は、最初はつまらなそうに聞いていたが、途中でふっと笑った。

「身代金を要求したやつを、焼き物の護衛にしたのか」

「はい」

「馬鹿なのか、肝が据わっているのか、分からんな」

「本人は、罰する力がなかっただけだと言っておりました」

「そこがまた妙やな」

次に藤吉郎は、長野家の話をした。

もともと津のあたりを治めていた長野家は、北伊勢の国人衆とは違い、家として一帯を

治めていたこと。伊勢松坂屋が津の港で炊き出しを始め、やがて飯場と買い付けの道ができ、

長野家の若侍や現場の者たちが伊勢松坂屋と動く方を選ぶようになったこと。

信楽焼を自分たちで買い付けに行かされ、粗悪品をつかまされて戻ったことで、

道と信用の大切さを思い知ったこと。

そして、北の国人衆に「飯屋に舐められた長野家」と見られ、小競り合いを仕掛けられ、

殿様が消耗し、最後には隠居し、子を北畠の縁の者と婚姻させる形で北畠に入ったこと。

信長は、そこではもう完全に聞く姿勢になっていた。

「戦わずに、家の中身を変えたわけか」

「伊勢松坂屋がそう狙ったわけではないようです」

「狙っていないから厄介なのやろ」

信長はそう言って、膝を指で叩いた。

「飯場と荷の道が現場に入り、民と家臣がそちらを頼る。殿だけが取り残される。

なるほどな。これは怖い話や」

「はい。私もそう思いました」

藤吉郎は続けた。

長野家が北畠に入ったことで、北伊勢の国人衆は、南に北畠、北西に六角、東に織田を

意識せざるを得なくなった。織田につくのは怖い。北畠にすぐ下るのは面子が立たない。

六角は縁が薄い。だから、どこを差し置いても、まず伊勢松坂屋へ挨拶に行った。

信長はそこで、思わず声を上げた。

「なんで飯屋へ行く」

「それを私も突っ込みました」

「で、答えは」

「北伊勢の国人衆は、すでに伊勢松坂屋の荷と飯に頼っております。

白子、四日市、関、亀山。そこに買い付け隊が通り、市が立ち、港や街道が潤う。

自分たちだけで北伊勢をまとめる力はない。ならば、伊勢松坂屋の荷の道を太くすることで、

自分たちの価値を高めようとしたようです」

「小さい国人衆が、物流の節目として値を上げるか」

「はい」

「考えとしては悪くない」

「そこを飯屋に頼むのが妙でございます」

「妙やが、筋は通る」

信長は低く言った。

次に、六角の話に移った。

北伊勢の国人衆が北畠でも六角でも織田でもなく伊勢松坂屋へ先に挨拶したことで、

六角が不審に思った。信楽焼や草津で商いをしている伊勢松坂屋を呼び出し、

何者かを探った。博之は飯を持って行き、六角の領内でも慎重に商いすることを認めてもらい、

首を切られずに済んだ。

信長は、そこで口元を歪めた。

「また飯を持って行ったのか」

「はい。飯屋ですから、と」

「便利な言葉やな」

「本人はかなり本気で言っております」

「そこがなおさら面白い」

そして藤吉郎は、奈良の話をした。

大和八木の方へ拠点を伸ばした時、奈良の坊主から「五十万文を出せば奈良の端で店を出してもよい」

と言われたこと。博之は腹を立て、断るどころか三倍の百五十万文を投げ、「文化交流をしよう」

と言ったこと。

信長は、初めて明確に笑った。

「百五十万文を、腹を立てて投げた?」

「はい」

「馬鹿か」

「そうとも言えます」

「だが、話はそこで終わらんのやろ」

「終わりません」

藤吉郎は、奈良の年配の僧たちが松阪へ来たこと、疲れ切っていたのでまず湯浴みと飯を出したこと、松阪郊外の和尚が、貧しい寺で子どもに文字を教え、炊き出しをし、伊勢松坂屋と一緒に小さな市を

立て、売上を寄進に回す仕組みを話したことを伝えた。

奈良の僧たちは感銘を受け、時期をずらして松阪や伊勢へ来るようになった。

書物や知識を持ち込み、各地の寺を回り、一緒に炊き出しをした。奈良側にも拠点ができ、

信楽焼を寄進の返礼に使うことで、炊き出しの費用を賄うような形までできた。

信長は、しばらく黙った。

「最初は無茶苦茶やが、落としどころが綺麗やな」

「私もそう思いました」

「それで蟹江の百五十万文か」

「はい。蟹江で百五十万文という話が出た時、博之、松坂の殿様、九鬼水軍のまとめ役は、

奈良の前例を知っていたため、これはまとまると思ったようです」

「なるほどな」

信長は、深く頷いた。

「外から見れば突然の大金。だが、内側では一度“場を変える額”として使ったことがあったわけか」

「まさにその通りでございます」

「面白い」

信長は、そう言った。

最初は長い話を嫌がっていたはずだった。だが、伊賀、長野、北伊勢、六角、奈良と

話が転がるたびに、表情は少しずつ変わっていた。

「いちいち面白いな、そいつは」

「はい。扱いに困ります」

「飯屋でなければ、噺家にでもなれたな」

「本人は、飯屋でいたいようです」

「それも面白い」

信長は、手元の地図を広げた。

「それで、お前の見立てでは、蟹江で飯を食うという話やな」

「はい」

藤吉郎は、姿勢を正した。

「これは、一つの薬になると思います」

「薬?」

「伊勢松坂屋には、長野家が一兵も出さず、北畠に吸収される形で落ち着いた経験があります。

だから博之は、蟹江で住民が逃げ、城下が空になったことをかなり嫌がっています」

「わしの戦の仕方が気に入らんということか」

「正確には、殿の武勇は知っております。今川を討ったこと、修羅場をくぐっておられること、

腹が据わっていること。また、私のような出の低い者を重用していることも、

根なし草の身からすると面白い、嫌いではない、と言っておりました」

「ほう」

「ただ、蟹江で下々の武士や国人衆、一向衆ががちゃがちゃ争い、住民に迷惑がかかった。

その取り方は好かん、と」

周囲の家臣が少し緊張した。

だが信長は、怒鳴らなかった。

「言うやつやな」

「はい。ただ、本人は飯屋ですので、戦をするなと言っているわけではありません。戦の後始末、

寺社の手入れ、炊き出し、逃げ場、仕事。そういうものまで見てくれる殿や家臣なら、

土地の者は納得しやすいのではないか、と」

「耳が痛い話や」

信長は短く言った。

藤吉郎は続けた。

「蟹江で飯を食うなら、殿にも城下の様子が見えます。戦で勝つ、負けるだけでなく、

その周りで戦に関係ない住民がどうなるか。伊勢松坂屋の港や郊外が、どう受け皿になったか。

それを見ていただく場になるかと」

「松阪や伊勢ではなく、蟹江か」

「はい。松阪や伊勢は北畠の領分に深く入ります。初手では大きすぎます。蟹江なら、

織田の顔も立ちますし、伊勢松坂屋の飯場もあります」

「飯は期待してよいのか」

信長がそう言うと、藤吉郎は即答した。

「はい。そこは本人も胸を張っております」

「ならば行くか」

信長はあっさり言った。

家臣たちが少しざわつく。

藤吉郎は頭を下げた。

「では、その方向で段取りを整えます。あくまで蟹江で飯を食い、雑談をする場として」

「雑談で済むかは知らん」

「そこは、飯次第かと」

「また飯か」

「伊勢松坂屋は、飯を食わねば分かりませぬ」

信長は、少し笑った。

「おっさんの飯屋話が、ここまで面白いとはな」

そう言って、地図の蟹江を指で叩いた。

「どこぞの御大が戦で武功を立てた話より、よほど妙や。根なし草が飯を出し、

地侍を焼き物の護衛にし、長野家を飲み込ませ、坊主に百五十万文を投げる。こんな飯屋は珍しい」

「珍しいどころではございません」

「だから見ておく」

信長は、そう言い切った。

「猿。段取りを詰めろ。蟹江で飯を食う。博之という飯屋の旦那と話す」

「はっ」

「ただし、油断はするな。面白いやつは、面白いだけで終わらん」

「承知しております」

藤吉郎は深く頭を下げた。

信長は、まだ地図を見ていた。

蟹江。

伊勢松坂屋の飯場。

戦で人が消えた城下。

港と郊外に集まる民。

そこへ、織田信長が飯を食いに行く。

「飯屋か」

信長は、楽しそうとも腹立たしそうともつかぬ声で呟いた。

「いちいち面白いやつやな」

その一言で、蟹江での顔合わせは、ほぼ決まった。