軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

長野家が博之のせいで北畠に下った話。なぜ兵も出さず弓も使わずこんなことになったか。元長野家の若侍が語る

藤吉郎は、若侍の顔を見た。

まだ若い。だが、ただの使い走りではない。何度も人と人との間に挟まれ、

上の機嫌と下の不満を見てきた者の顔だった。

博之が苦笑しながら言った。

「長野家いうたら、北畠に取り込まれたみたいな形になってますけど、もともとはちゃんとした

家やったんですよ。北伊勢の国人衆は国人衆やないですか。けど、長野家は長野家として

津の方を一体で治めてた。なのに下るところまで行ったのが、全部私のせいなんですって」

藤吉郎は眉を上げた。

「全部、旦那のせい?」

若侍が、ため息交じりに頷いた。

「はい。本当に旦那様のせいですね。ひどい話です」

「本人の前で言うか」

博之が抗議すると、若侍はさらりと言った。

「事実ですので」

座敷に小さな笑いが起きた。

若侍は、膳の前で姿勢を正した。

「もともと旦那様は、松阪で店を始められました。その後、伊勢にも店を出し、

寄進や炊き出しをしながら、だんだん人を集めていかれた。そのあたりまでは、

津にも噂として届いておりました」

「伊勢松坂屋の飯がうまい、という話ですかな」

藤吉郎が言うと、若侍は頷いた。

「はい。それと、伊勢で寄進をしたところ、松坂の殿様に“伊勢に使うなら松坂にも銭を落とせ”と

言われ、買い付けを始めたという話も聞いておりました」

「そこまで津に届いていたのか」

「ええ。松阪郊外に拠点をちょこちょこ作っておられたので、こちらとしては、

いずれ津にも来たいのだろうと思ったのです」

博之が横でぼそっと言った。

「行きたい気持ちはありましたけど、行き方は考えてました」

「ところが、こちらの頼み方がまずかったのです」

若侍は苦い顔をした。

「一万文ほど出せば、津の端に店を出してもよい、というような話をしたのです」

藤吉郎は思わず笑った。

「それは、許可なのか、たかりなのか、微妙ですな」

「武家の側からすれば、許可を与えるという感覚でした。ですが、伊勢松坂屋からすれば、

偉そうに銭を求められたようにしか見えなかったのでしょう」

「そら断るやろな」

「はい。断られました」

博之が少し胸を張った。

「断りました」

「胸を張るところではありません」

お花がすかさず言い、また笑いが起きる。

若侍は続けた。

「しかし、こちらも困っておりました。松阪や伊勢の港では、魚のすり身や、マグロの汁物のような、

もともと捨てるような魚を使った飯が流行っていると聞いていたのです。津の港でも、

そういう飯を出してもらえれば、人が集まる。港も賑わう。そう思っておりました」

「頼み方が偉そうだった、と」

「はい。武家ですので」

「その一言で済ませるのもすごいな」

藤吉郎は苦笑した。

「それで、なんとか形にできないかと、港近くのお寺で定期的に炊き出しをしてもらうことに

なりました。店ではなく、炊き出しです。これなら伊勢松坂屋も受けてくれた」

博之が頷いた。

「困っている人に飯を出す形なら、まあ、やれますからね」

「ところが、その飯が殿様の耳に入りました」

若侍の顔がさらに渋くなる。

「殿様が、食いたい、持ってこい、と言い出したのです」

藤吉郎は茶を吹きそうになった。

「そこで、持って行ったのか」

「いえ。旦那様が嫌だと言いました」

藤吉郎は博之を見た。

「殿様相手に?」

「まだ拠点ができてなかったんです。急に持ってこいと言われても、飯は作り置きの

品じゃないですし、ちゃんと出せる場所もない。だから嫌ですと」

「首が飛ぶと思わんかったのですか」

「思いました」

博之は真顔で言った。

「めちゃくちゃ思いました」

若侍も頷く。

「こちらも、長野側として冷や冷やしておりました。ですが、結局、寺で食べる形になり、

なんとか事なきを得ました。その場で、津で商売をする許可も出たのです」

「そこだけ聞けば、うまくいったように見えますな」

「はい。実際、商売はうまくいきました。港の飯場は評判になりましたし、郊外にも

少しずつ拠点ができた。ですが、次に買い付けの話で揉めました」

若侍は、少し身を乗り出した。

「伊勢や松阪での買い付け量が、あまりに大きい。従業員も多い。品も動く。

それに比べて津は少なかった。こちらとしては、もっと買い付けさせてくれ、

信楽焼の道があるなら信楽焼ももっと持ってこい、と言ったのです」

「それを旦那が突っぱねた」

「はい」

博之は肩をすくめた。

「簡単に言いますけど、信楽焼を持ってくるのは大変なんですよ。伊賀を越えるんですから」

「そこで、我々は焦って旦那様のところへ行きました。すると旦那様は、“そんなに信楽焼が

欲しいなら、伊勢松坂屋の袴なしで、自分たちで買い付けに行ってこい”と言って、

一万文を渡してきたのです」

藤吉郎は目を丸くした。

「行ったのですか」

「行きました」

「長野家の者が、信楽へ」

「はい。しかも、伊勢松坂屋の拠点や信用なしで」

若侍は遠い目をした。

「辛かったです。本当に辛かった。道は悪い。伊賀は怖い。飯は粗末。宿も安定しない。

こちらは長野の者だと、多少でかい顔をしていたのですが、信楽ではまったく通じませんでした」

「それで?」

「粗悪品をつかまされて帰りました」

藤吉郎は、ついに声を出して笑った。

「それはまた、見事な失敗ですな」

「笑いごとではありませんでした。殿様に報告すると、当然不機嫌になります。

我々も面目丸つぶれです。ですが、その時に初めて分かったのです」

「何が」

「道を作るということの大事さです」

若侍の声が少し変わった。

「伊勢松坂屋が信楽焼を買ってくる。それは、ただ金を持って行って買ってくるだけではありません。

伊賀の拠点があり、道を守る者がいて、信楽の者との信用があり、運ぶ人足がいて、

売る先がある。その全部があって、初めて“信楽焼が届く”のです」

藤吉郎は、今度は笑わなかった。

「そこを、長野家は軽く見ていた」

「はい。私たちもです」

若侍は頭を下げた。

「そこから、私たちはかなり丁寧に港で働くようになりました。伊勢松坂屋のやり方を見て、

道と飯場と買い付けの大切さを学びました」

博之が小さく言った。

「この子らは優秀やったんですよ」

「優秀やからこそ、殿様が面白くなかったのです」

若侍がさらりと言う。

「その頃から、周囲では“飯屋に舐められた長野家”という、不名誉な噂が流れ始めました」

「それはきついですな」

藤吉郎が言うと、若侍は頷いた。

「きつかったです。北の国人衆が、こちらを軽く見て小競り合いを仕掛けてくる。領地を大きく

取るわけではないが、ちょこちょこつついてくる。しかも伊勢松坂屋関係の荷や飯場には

手を出さない。こちらの面子だけが削られる形でした」

「いやらしい」

「本当にいやらしいのです」

若侍はため息をついた。

「困り果てて、旦那様に相談しました。すると、郊外の道と港の飯場を厚くしてくれました。

その代わり、長野家の収入の上澄みを伊勢松坂屋へ払うような形になりました」

藤吉郎は博之を見た。

「首根っこをつかんだわけですか」

博之は慌てて手を振った。

「違います。こちらとしては、道と飯場を厚くする費用をもらっただけです」

「結果として、首根っこをつかまれた状態です」

若侍が即座に言った。

「ひどい」

「事実です」

座敷にまた笑いが起きた。

だが、若侍の話は重かった。

「殿様は、当然怒りました。飯屋にここまで頼るのか、と。ですが、我々現場は、

伊勢松坂屋とやる方が仕事がうまくいく。港も回る。民も飯を食える。荷も通る。

だから、だんだん殿様の言うことを聞かなくなっていったのです」

「それは、家としては危ない」

「はい。危なかったです。けれど、現場としてはその方がよかった」

若侍は、少し寂しそうに言った。

「殿様は、最後には自分がいても家が回らぬと感じたのだと思います。北の国人衆には舐められ、

家臣は伊勢松坂屋と組んで淡々と仕事をし、民は飯場を頼る。そこで、隠居を決め、

子どもを北畠の縁の者と婚姻させる形で、長野家は北畠に入ることになりました」

藤吉郎は、しばらく黙った。

話は長かった。

だが、いちいち面白い。

そして、面白いだけではない。筋がある。

飯屋が強引に長野家を乗っ取ったわけではない。

だが、飯屋の飯場と荷の道が、長野家の現場に入り込み、民と家臣の生活を支えるようになった。

その結果、殿様の権威が空洞化し、北畠へ下る流れができた。

「これは……」

藤吉郎は、茶を飲みながら言った。

「恐ろしい話ですな」

博之は嫌な顔をした。

「やめてください」

「いや、恐ろしい。けれど、剣で奪った恐ろしさではない。飯と荷と仕事で、

いつの間にか家の中身を変えてしまった」

「変えたかったわけじゃないです」

「でしょうな。そこがまた恐ろしい」

藤吉郎は若侍を見た。

「あなたは、今どう思っているのですか」

「私は、長野家の者としては複雑です。ですが、今は北畠の下で働きながら、伊勢松坂屋とも

関わっています。少なくとも、民が飯を食えるようになったこと、港が動くようになったことは、

悪くなかったと思っています」

「殿様は気の毒ですな」

「はい。気の毒です。ですが、あのままでは国人衆に削られ続け、もっとひどくなっていたと思います」

藤吉郎は大きく息を吐いた。

「なるほどな」

博之が不安そうに聞く。

「どう思いました?」

「長い」

「すみません」

「長いけれど、いちいち面白い」

「面白がらないでください」

「それに、よく分かりました。尾張に届いていなかった話が多すぎる。こちらから見れば、

長野家がいつの間にか北畠に飲まれたように見える。だが、実際には、飯屋の道が先に入り、

現場が変わり、殿様の立ち位置が変わっていったのですな」

「嫌なまとめ方ですね」

「正確なまとめです」

藤吉郎は少し笑った。

「伊賀の話と、長野家の話。これを聞くと、伊勢松坂屋がなぜ北伊勢の国人衆に頼られるのか、

少し見えます」

「見えますか」

「はい。あなた方は、戦で勝つのではなく、飯と荷で生活の側に入り込む。気づけば、

皆がそこに頼る。これは、普通の武家とは違う力です」

博之は、困ったように頭をかいた。

「私は飯を出してただけなんですけどね」

「その飯が、家を動かした」

「言わないでください」

藤吉郎は、また飯を一口食べた。

やはり、うまい。

このうまい飯を食いながら、伊賀の地侍と元長野家の若侍が、自分たちの変わった人生を語る。

文だけでは分からなかった。

これは、確かに松坂まで来て聞く価値があった。

「次は、殿様にどう伝えるかですな」

藤吉郎がそう言うと、博之は即座に言った。

「できれば、怖くない感じでお願いします」

「無理です」

「ひどい」

「怖い話ですから」

座敷に笑いが起きた。

だが藤吉郎の中では、伊勢松坂屋の輪郭がまた少しはっきりしていた。

これは謀略ではない。

だが、謀略よりも深く、生活に食い込む。

飯屋とは、恐ろしいものだ。

藤吉郎は、心の中でそう思った。