作品タイトル不明
博之44才5月3週目。2億4,140万文→2億6,800万文。2,700万文プラス。大きなトラブルなく拠点ごとにプラス
伊勢松坂屋の屋敷では、博之がようやく一息つこうとしていた。
蟹江、津島、常滑、北伊勢飯荷の約定、木下藤吉郎への手紙。やることが多すぎる。
畳にごろりと転がろうとした瞬間、ヨイチが帳面を抱えてやってきた。
「旦那様。楽しい楽しい帳簿の時間でございます」
「もうめちゃくちゃ動いてんねんから勘弁してほしいねんけど」
「大丈夫です」
「大丈夫って言う時、大体大丈夫ちゃうねん」
「この前は全二十三拠点を洗いざらいやりましたが、今回は増えた分だけでございます」
博之は、少しだけ顔を上げた。
「あ、じゃあちょっと気楽やな」
「気楽かどうかは、数字を聞いてからご判断ください」
「もう怖いやん」
お花が茶を置きながら笑った。
「旦那様、逃げないでくださいね」
「逃げへんけど、心は逃げてる」
ヨイチは帳面を開いた。
「まず鳥羽です。たこ焼き、海鮮焼きの運用を一つ増やしました」
「鳥羽なら、伊勢より南やし、まあええやろという判断やな」
「はい。港も強いですし、海鮮の扱いにも慣れています。一つ増やした分で、プラス三十万文です」
「いきなりでかいな」
「次に宇治と藤井寺です。こちらは新規の人を大量に雇う段階が終わり、
追加人件費が落ち着きました。二つ合わせて二十万文の改善です」
「黒字に向かってきたな」
「はい。宇治は京都の端へ、藤井寺は生駒・摂津方面へ、それぞれ道が見えてきています」
博之は少し頷いた。
「地味やけど、効いてくる道やな」
「次に観音寺城周辺。プラス八万文です」
「ちょっとだけやけど、赤字が縮んだか」
「はい。六角様の膝元ですので、大きく動かさず、慎重に改善しております」
「そこは慎重でええ。無理したら怖い」
ヨイチは、少し咳払いをした。
「次に京都の端です」
「来たか。あそこ赤字でかかったやろ」
「前回の帳簿に計算間違いがございました」
「え」
「帳簿係には、しっかり怒っておきました」
「怒るとどうなるんや」
「プラス七十万文です」
「怒って七十万も増える意味が分からんな」
博之は思わず起き上がった。
「いや、計算間違いで七十万って怖すぎるやろ」
「人件費、礼銭、炊き出し費用、荷の回転分を二重に引いていた箇所がありました。修正すると、
京都の端はまだ重いですが、かなりプラスに近づいております」
「帳簿係、大丈夫か」
「大丈夫にします」
「ヨイチが言うと怖い」
お花が苦笑する。
「でも、京都の端が改善しているのは大きいですね」
「はい。大津、草津、宇治とのつながりが見え始め、物流が動き出しています」
ヨイチはさらに続けた。
「津島、常滑です。新たに港横丁を一つずつ立ち上げました。人件費や立ち上げ費用を差し引いて、
それぞれプラス二十万文。二つでプラス四十万文です」
「もうプラスなんか」
「はい。常滑焼の見本品が強いです。津島は市そのものの力があります。
蟹江から送った人も、ぎこちないながら働き始めています」
「百五十万文で買った半年、ちゃんと使えてるな」
「はい。今のところは」
「“今のところ”って言うな。怖い」
ヨイチは帳面を閉じずに、最後のまとめへ入った。
「以上を反映すると、拠点利益は千六百五十万文です」
「千六百五十……」
「買い付け隊は前回と同じく、取寄せ札込みで千五十万文と見ます」
「合わせて?」
「二千七百万文です」
博之は、もう反応に困った顔になった。
「半月で二千七百万文増える飯屋って何やねん」
「細かくはもう少しありますが丸めます」
「また丸めるんか」
「累計で二億六千八百四十万文。帳簿上は二億六千八百万文とします」
「四十万文を丸めた」
「もう言うのも疲れました」
ヨイチが珍しくため息をついた。
「いやいや、聞いてるこっちも疲れるわ」
博之は畳に手をつき、ぐったりした。
「二億六千八百万文……飯屋やぞ」
「特殊な飯屋でございます」
「それで片づけるな」
お花が茶を差し出した。
「ですが、今回は大きな事故もなく、むしろ京都の端が改善し、津島と常滑も動き出しました。
蟹江の後始末を考えれば、かなり良い数字ではないでしょうか」
「まあ、ことなきを得たと言えばそうやな」
博之は茶をすすった。
「今は織田方の動きを見ながらや。木下殿に手紙も出したし、信長様がどう見るか分からん。
こっちから無駄に刺激せず、でも尾張の道は育てる」
「はい」
「他のところで大きなトラブルがなければ、まずはよしやな」
ヨイチが頷いた。
「京都の端については、かなり見方が変わりました。赤字の塊ではなく、物流がつながり始めた
拠点です」
「大津、草津、宇治、京都の端がつながると、奈良や伊賀を通らずに回せる道ができる」
「はい」
「そしたら、飯の道がまた見えるな」
そう言った瞬間、博之は自分で嫌な顔をした。
「嫌な話でございました」
お花が笑った。
「旦那様、道が見えるのは楽しいのでしょう」
「楽しい。楽しいけど、見えるたびに帳簿が増える」
「それは仕方ありません」
「仕方あるやろ」
ヨイチは静かに言った。
「飯の道ができれば、人が動きます。人が動けば、荷が動きます。荷が動けば、帳簿が増えます」
「最後が一番嫌や」
博之は畳にごろりと転がった。
「鳥羽で海鮮焼き、宇治と藤井寺の人件費改善、観音寺城の小改善、京都の端の計算修正、
津島と常滑の港横丁。全部飯の話やのに、気づいたら二億六千八百万文」
「飯屋でございますから」
「飯屋とは」
博之が天井を見て呟くと、お花が答えた。
「今の伊勢松坂屋は、飯の道を作る屋です」
「それもう飯屋ちゃうやん」
「略して飯屋です」
「雑やな」
座敷に笑いが起きた。
だが、地図の上には確かに新しい線が増えていた。
鳥羽から海へ。
常滑と津島から尾張へ。
宇治と京都の端から京の外縁へ。
藤井寺と生駒から摂津へ。
大津、草津、観音寺城から近江へ。
飯の道は、また一段太くなっていた。
博之は、笑いながらも小さく言った。
「慎重にいこう。ほんま、慎重に」
ヨイチは帳面を抱え直した。
「はい。次回はさらに慎重に帳簿を見ます」
「それが一番怖いねん」
楽しい楽しい帳簿の時間は、今回も博之の心を削りながら終わった。