作品タイトル不明
木下藤吉郎秀吉、伊勢松坂屋を探りに伊勢を南に下るも捕まり松坂本店に招かれるwww直接質問を博之にぶつけ半分は納得www今度はお客さんとしてご飯食べにきてください。
木下藤吉郎は、北伊勢から津の方へ下り、さらに松阪へ向かっていた。
名目としては、伊勢松坂屋の動きを探るためである。津島、常滑、蟹江ではすでに飯場を見た。
飯も食った。寺社や商人にも話を聞いた。
だが、見れば見るほど分からなくなる。
「飯屋を探って、飯を食うて、寺に話聞いて、商人に聞いて……わしら武士は何をしとるんやろな」
藤吉郎は、半ばぼやきながら歩いていた。
とはいえ、織田の者があちこちで伊勢松坂屋を嗅ぎ回れば、当然目立つ。
蟹江、津島、常滑ではまだよかった。織田の領内に近い。だが、白子、津、松阪へ下ってくると、
空気が変わる。
伊勢松坂屋の買い付け隊が多い。
北畠の目もある。
九鬼水軍とのつながりもある。
地元の寺社も、伊勢松坂屋に好意的である。
藤吉郎たちは、松阪へ入る手前で、あっさり捕まった。
捕まったといっても、縄を打たれたわけではない。だが、伊勢松坂屋の護衛衆と
北畠方の者に囲まれ、静かに道を塞がれた。
「木下殿でございますな」
護衛の一人が、丁寧に頭を下げた。
藤吉郎は、苦笑した。
「やっぱり分かるか」
「分かります。あちらこちらで、伊勢松坂屋の飯場、市、買い付け、寺社への挨拶を
調べておられましたので」
「仕事熱心と言うてほしいな」
「熱心すぎます」
そのまま藤吉郎は、松坂の城へ連絡されることになった。
北畠方では、すぐに話が上がった。
「織田の者が、松坂近くまで嗅ぎ回っております」
松阪の城主は、にやりと笑った。
「切るか」
横にいた博之は、ぎょっとした。
「いやいやいや、やめてください」
「冗談や」
「冗談に聞こえないです」
「織田の猿やろ。切ったら面倒やな」
「面倒どころじゃないですよ」
博之は頭を抱えた。
「そもそも、そんなに知りたいなら、飯を食べに来たらいいんです」
城主は、面白そうに眉を上げた。
「お前、織田の間者を飯に呼ぶんか」
「間者って言うからややこしいんです。あっちも知りたい。こっちも嗅ぎ回られるのは嫌。
だったら、松阪でもてなして、何が知りたいのか聞いた方が早いでしょう」
「ほんま、お前は変なところで肝が据わっとるな」
「据わってないです。怖いから、目の前で飯を食べてもらうんです」
城主は笑った。
「なるほど。飯で囲うわけやな」
「言い方」
こうして、木下藤吉郎は縄を打たれるでもなく、斬られるでもなく、伊勢松坂屋の屋敷へ通された。
座敷に入ると、博之が頭を下げた。
「木下殿。遠いところ、ようお越しくださいました」
藤吉郎は少しばつが悪そうに笑った。
「お招きいただいたというより、捕まったようなものですがな」
「まあ、うちの近くをうろうろされると、皆が怖がりますので」
「それは申し訳ない」
「とりあえず、飯を食べてください」
藤吉郎は、思わず笑った。
「やっぱり飯からですか」
「うちは飯屋ですから」
女衆が膳を運んできた。
まぜ飯、汁物、肉あん、魚のすり身揚げ、漬物。信楽焼の器に、常滑の小壺も添えられている。
さらに、伊勢神宮前で出している海鮮焼きの小さな試作品も並んだ。
藤吉郎は、一口食べて、また困った顔をした。
「……うまいですな」
「それはよかった」
「このうまさが困るんです」
「またそれを言われる」
博之は苦笑した。
少し腹が落ち着いたところで、博之は本題に入った。
「それで、木下殿。何が知りたいんですか」
藤吉郎は箸を置いた。
「何が知りたいか、と申しますと、全部ですな」
「全部は困ります」
「でしょうな」
藤吉郎は、少し真面目な顔になった。
「織田の殿は、伊勢松坂屋が分からないのです」
「飯屋です」
「その返事が一番困るのです」
「なんでですか」
「飯屋なら飯屋でよい。商人なら商人でよい。北畠の手先なら手先でよい。
九鬼水軍の財布なら財布でよい。寺社の施しなら施しでよい。国人衆の取りまとめなら、
それはそれでよい」
藤吉郎は、博之を見た。
「ところが、伊勢松坂屋はそのどれにも見えるのに、どれにも収まりきらない」
博之は、少し黙った。
藤吉郎は続ける。
「飯がうまい。これは分かります。高く売る。これも分かります。その儲けで炊き出しをする。
ここから少し変です。従業員に飯と寝床と湯浴みを与え、給金を貯めさせる。
けれど貯め込みすぎぬよう、市で銭を使わせる。地元にも銭を落とさせる。
これはもう、ただの飯屋の考えではない」
「そこは、うちの従業員が地元で嫌われたら困るからです」
「そういうところです」
藤吉郎は身を乗り出した。
「普通の商人なら、従業員が自分の店で食って、自分のところに銭を戻せば喜ぶでしょう。
けれど、伊勢松坂屋は、地元の飯屋にも行け、地元で使え、寺社に顔を出せ、縁を作れ、とする」
「地元に根付かないと、長続きしませんから」
「それが政治に見えるのです」
博之は嫌な顔をした。
「政治は嫌です」
「嫌でも、外からはそう見えます」
藤吉郎は、さらに言う。
「蟹江では、住民が城下を離れ、郊外と港に流れました。そこで飯と湯浴みと寝床を出した。
織田方、一向衆、国人衆の間に立ち、百五十万文で半年の休戦を買った」
「あれは、困っている人が多すぎたからです」
「分かります。ですが、結果として、飯屋が戦の流れを曲げた」
「曲げたくて曲げたわけじゃないです」
「それでも、曲がったのです」
博之は深いため息をついた。
「織田の殿様は、何を望んでいるんですか」
藤吉郎は、少し考えた。
「まずは、正体を知りたいのです」
「正体」
「はい。伊勢松坂屋が、北畠のために動くのか。九鬼と一体なのか。北伊勢国人衆をまとめて
織田に対する壁になるのか。それとも、本当に飯と荷の道だけを考えているのか」
「私は飯と荷の道だけです」
「そう言われると思いました」
「信じてもらえませんか」
「半分は信じます」
「半分」
「残り半分は、結果を見ます」
藤吉郎の言葉に、博之は小さく頷いた。
「妥協点はありますか」
「織田としては、北伊勢の国人衆が完全に北畠へ寄るのは困ります」
「でしょうね」
「しかし、蟹江のように荒れて、民が逃げ、荷が止まり、港が乱れるのも困る」
「それはうちも困ります」
「津島と常滑に伊勢松坂屋が根を張るのも、警戒はしています。ですが、
商いが動き、銭が落ち、港が賑わうなら、利もあります」
「では、そこは続けていいんですか」
「織田の殿がどう判断するかは分かりません。ただ、無茶をしない限り、
今すぐ潰すより、見て使う方が利があると私は思います」
博之はじっと藤吉郎を見た。
「無茶、とは?」
「兵を抱えること。城を持つこと。国人衆を軍としてまとめること。
織田の荷を止めること。織田方の者にだけ飯を出さないこと。そういうことです」
「それはしません」
「なら、そこをはっきりさせるべきです」
藤吉郎は言った。
「伊勢松坂屋は、飯場と荷と逃げ場を守る。軍勢にはならない。城は持たない。
織田方であっても飯を出す。商いは届け出る。九鬼水軍との荷の道も、戦のためではなく
商いのためだと明確にする」
「それで織田様は納得しますか」
「納得はしないでしょう」
「しないんかい」
「殿は、得体の知れぬものを嫌います。ですが、見える形があれば、まだ扱えます」
博之は、少し疲れた顔をした。
「だから官位の話も厄介なんですよね」
「従五位下・大膳亮の噂は、織田でも伝わっております」
「やっぱり」
「飯屋の話なら、怒りで押せます。ですが、官位がつくとやりづらい。北畠の顔がありますから」
「私は官位、欲しくないです」
藤吉郎は、少し笑った。
「それは本音ですか」
「本音です」
「なぜです」
「重いからです。私は、飯を出して、寝床と湯浴みを用意して、働ける人に仕事を作りたいだけです。
官位なんかもらったら、飯屋ではなくなりそうで嫌なんです」
「ですが、官位があれば守れるものもある」
「それも言われました」
「なら、悩まれるでしょうな」
「めちゃくちゃ悩んでます」
その素直な返事に、藤吉郎は少しだけ目を細めた。
芝居ではない。少なくとも、今目の前にいる博之は、官位を喜んでいるようには見えなかった。
「織田の殿に、どう伝えればいいですか」
博之が聞いた。
藤吉郎は少し考えた。
「こう伝えましょう。伊勢松坂屋は、得体が知れぬが、今のところ城も兵も欲しがっていない。
飯と荷の道に執着している。民が逃げることと、飯場が焼かれることを嫌う。
銭は持っているが、ためるより回す。官位は嫌がっているが、周囲が必要としている」
「だいぶ正確ですね」
「それでも、殿は警戒します」
「でしょうね」
「だから、こちらからも一つお願いがあります」
「何でしょう」
「織田方の者が飯場へ行っても、普通に飯を出してください」
「それはもちろんです。銭さえ払えば」
「それが大事です」
藤吉郎は微笑んだ。
「織田の者も飯を食えるなら、すぐに敵とは見えにくい。飯場に入れるなら、
様子も見られる。お互いに、いきなり刃を抜かずに済む」
「飯で間を作る」
「はい」
博之は少し考えて、頷いた。
「それならできます」
「では、私はそう報告します」
藤吉郎は再び箸を取り、残っていた海鮮焼きを口に入れた。
「……やっぱりうまい」
「また飯の感想ですか」
「大事なのです」
博之は苦笑した。
その後、藤吉郎は松坂を出る前に、伊勢松坂屋の飯場、湯浴み、荷置き場、市を見て回った。
捕まった間者としてではなく、招かれた客として。
そして帰り際、博之は言った。
「木下殿。次からは、嗅ぎ回らずに飯を食べに来てください」
藤吉郎は笑った。
「それが一番難しゅうございますな。仕事柄」
「じゃあ、仕事ついでに飯を食べに来てください」
「それなら、また来るかもしれません」
藤吉郎は頭を下げ、松阪を後にした。
織田に戻った時、どう報告するか。
答えはまだ完全には固まっていない。
だが一つだけ、藤吉郎には分かっていた。
伊勢松坂屋は、ただの飯屋ではない。
けれど、飯屋であることをやめた瞬間、おそらく力を失う。
その矛盾こそが、信長の恐れる「得体の知れなさ」の正体なのかもしれなかった。