軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

尾張の織田信長にも北伊勢飯の会と官位、大膳亮の噂が回る。飯屋なら潰せるが北畠の推挙の官位はまずい。さらに木下秀吉に探らせる

北伊勢で「飯と荷の道を守る約定」を作るという話は、思ったより早く広がった。

しかも、真面目な話としてだけではない。

「北伊勢飯の会ができるらしい」

「飯の会?」

「いや、正式には飯荷の約定とか何とか言うらしいが」

「結局、伊勢松坂屋の飯を食うてまとまるんやろ」

「ほな飯の会でええやないか」

そんな調子で、白子、四日市、関、亀山のあたりでは、半ば笑い話のように広まっていった。

だが、笑い話で済むほど軽い話でもなかった。

蟹江の騒動を見た北伊勢の国人衆たちは、織田に対してかなり神経質になっていた。

織田に付けば守られるかもしれない。だが、その前に矢銭、人足、普請、兵糧を求められ、

町が荒れるかもしれない。

かといって、今すぐ北畠へ丸ごと入るのも難しい。面子がある。家中の反発もある。

六角との関係もある。

だからこそ、「まず飯と荷の道を守る」という話は、妙に飲み込みやすかった。

荷を止めない。

飯場を荒らさない。

逃げる民を斬らない。

買い付け隊を通す。

港と街道を焼かない。

大きな同盟ではない。臣従でもない。けれど、今まで小競り合いをしてきた者同士が、

同じ釜の飯を食うた者として、少しずつ和解に近づく。

その中心にいるのが、伊勢松坂屋の博之だった。

さらに厄介な噂も広がった。

「伊勢松坂屋の旦那、官位をもらうらしい」

「官位?」

「北畠の推挙で、大膳亮やとか」

「だいぜんのすけ?」

「飯屋やから大膳や」

「出来すぎやろ」

人々は笑った。

だが、笑いながらも、その意味を薄々分かっていた。

ただの飯屋が北伊勢の間に立つのと、北畠の推挙を受けた従五位下・大膳亮が飯と荷の道を

守るために仲介するのとでは、見え方がまったく違う。

飯屋の旦那なら、いざとなれば脅せる。潰せる。無視できる。

だが、官位を持つ者となれば、そう簡単には扱えない。

その噂は、やがて尾張にも届いた。

織田の城では、信長が報告を聞いていた。

「北伊勢の国人衆が、伊勢松坂屋の仲介でまとまり始めている?」

「はっ。正式な同盟ではないようです。飯と荷の道を守る約定、と称しております」

「飯と荷の道」

信長は、低く繰り返した。

「荷を止めぬ。飯場を荒らさぬ。逃げる民を斬らぬ。買い付け隊を通す。そういった取り決めから

始めるようでございます」

「戦の同盟ではない、と言いたいわけやな」

「そのように見えます」

信長は、面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「だが、結束は結束や」

「はっ」

「こちらとしては、北伊勢の国人衆を一つずつ切り取っていけると思っていた。織田に寄る者、

六角に不満を持つ者、北畠に距離を置く者。そこを揺らせば、じわじわ崩せる」

信長は、指で膝を叩いた。

「それを、飯屋が横からまとめるか」

家臣たちは誰も答えなかった。

「しかも、飯の会やと?」

「民の間では、そのように呼ぶ者もいるとか」

「ふざけた名やな」

「ですが、広まりやすい名ではございます」

「そこが腹立たしい」

信長の声に、怒りが混じった。

飯の会。

笑える。軽い。馬鹿馬鹿しい。

だからこそ、国人衆も民も口にしやすい。警戒せずに広める。笑いながら受け入れる。

その結果、北伊勢で「飯と荷を守る」という共通の言葉ができつつある。

「飯屋がやることなら、怒鳴りつけて済ませることもできた」

信長は言った。

「蟹江の件もそうや。百五十万文を出してきた飯屋。津島、常滑に横丁を立てる飯屋。

うまい飯を出すから追い出しにくい飯屋。腹立つが、まだ飯屋や」

「はっ」

「だが、官位の話はまずい」

場の空気が少し変わった。

信長は続けた。

「従五位下やと?」

「そのような話が出ております。大膳亮になるのではないかと」

「大膳亮」

信長は、少し皮肉げに笑った。

「飯屋には似合いすぎる名やな」

「北畠の推挙で進むようでございます」

「そこがやりづらい」

信長は、はっきりと言った。

「ただの商人なら、銭を出せと言える。飯屋なら、店を潰すぞと脅せる。だが、北畠の推挙を受け、

官位を持ち、国人衆の間に立つ者となると、話が変わる」

「北畠の顔を潰すことになります」

「それだけではない。九鬼水軍も絡む。蟹江ではすでに九鬼が前金を運んだ。

港の道もつながっている。そこへ北伊勢の国人衆が飯と荷の約定で固まる」

信長は、地図を広げさせた。

蟹江、津島、常滑。

桑名、白子、四日市。

関、亀山。

松阪、伊勢、鳥羽。

線で結べば、海と街道が一つにつながって見える。

「飯屋が、道を作っている」

信長は低く言った。

「城を取っているわけではない。兵を並べているわけでもない。だが、飯場を置き、

荷を通し、人を雇い、寺社に礼を入れ、国人衆を飯で座らせる。これは厄介や」

家臣の一人が口を開いた。

「潰しますか」

信長は鋭く睨んだ。

「どう潰す」

「それは……」

「飯場を焼くか。炊き出しを止めるか。買い付け隊を斬るか。そんなことをすれば、

北伊勢の民も寺社も反発する。しかも相手は、もうただの飯屋ではないかもしれん」

「官位が出れば、なおさらでございます」

「そうや」

信長は不機嫌そうに言った。

「飯屋の話なら怒りで押せる。だが、従五位下はまずい。相手に形ができる。

扱う時に、こちらにも礼がいる。無礼にすれば、北畠に口実を与える」

そこで、信長は木下藤吉郎を呼んだ。

「猿」

「はっ」

「聞いたか」

「はい。北伊勢飯の会、そして大膳亮の噂でございますな」

「お前、笑うなよ」

「笑っておりませぬ」

「顔が笑っとる」

藤吉郎は慌てて顔を引き締めた。

「申し訳ございません。ただ、飯屋が大膳亮というのは、あまりにも出来すぎておりまして」

「そこが怖いのや」

信長は言った。

「出来すぎた話は、人が覚える。飯の会もそうや。飯屋の大膳亮もそうや。民が口にする。

国人衆が言い訳に使う。寺社が受け入れる。すると、形になる」

藤吉郎は深く頷いた。

「確かに、笑い話として広がるものは強うございます」

「だから探れ」

「はっ」

「もっと探れ。博之という男が、本当に官位を望んでいるのか。北畠がどこまで本気か。

九鬼水軍がどこまで噛んでいるか。北伊勢の国人衆は、飯の会をどこまで本気で考えているか」

「承知しました」

「それと、伊勢松坂屋の金の流れも見ろ」

藤吉郎は少し苦い顔をした。

「そこはかなり見えにくうございます」

「見えにくいから見ろ」

「はっ」

「百五十万文を払ったあとも、津島と常滑を立ち上げ、北伊勢の品を買い、従業員に銭を使わせ、

市を回している。銭が尽きておらん。どこから湧いている」

「飯と買い付け、取寄せ札、各拠点の市が回っているようでございます」

「飯屋が銭を生む仕組みか」

「はい。飯だけではなく、飯を入口にして、荷と人と市を回しております」

信長は、藤吉郎をじっと見た。

「お前は、あの飯屋をどう見る」

藤吉郎は少し考えた。

「危険でございます」

「なぜ」

「ただの敵なら、叩けばよい。商人なら、銭で縛ればよい。国人衆なら、切り崩せばよい。

寺なら、宗派や権威を見ればよい。ですが、伊勢松坂屋はそのどれでもあり、どれでもない」

「続けろ」

「飯で民をつかみ、買い付けで商人をつかみ、炊き出しで寺社を立て、給金で人を抱え、

湯浴みと寝床で根なし草を安心させる。さらに、官位がつけば、武家の場にも顔を出せる」

「つまり、ますます得体が知れん」

「はい」

信長は、しばらく黙った。

やがて、低く言った。

「面白いが、腹立たしい」

誰も何も言わない。

「猿。もう一度行け。今度は津島、常滑だけやない。北伊勢の会合の空気を探れ。

できれば、松坂にも近づけ」

「松坂でございますか」

「無理はするな。だが、博之本人が何を嫌がっているか、何を守りたいかを見ろ」

「官位を嫌がっているという噂はあります」

「それが本音か芝居かを見ろ」

「承知しました」

「それと」

信長は、少しだけ口元を歪めた。

「飯も食ってこい」

藤吉郎は頭を下げながら、苦笑した。

「はっ。飯の味、客の顔、銭の落ち方、すべて見てまいります」

「味だけに惑わされるなよ」

「しかし、味も大事でございます」

「分かっとる」

信長は、地図の上の北伊勢を睨んだ。

国人衆をじわじわ切り取るはずだった。

その間に、飯屋が釜を置いた。

釜の周りに人が座り、笑い話のように約定が生まれ、そこへ官位という形まで乗ろうとしている。

「飯屋が、従五位下か」

信長は、低く呟いた。

「ますます、やりづらい相手になりおった」

怒りと驚きと、わずかな興味。

その三つが混じった目で、信長は北伊勢の地図を見つめ続けていた。