作品タイトル不明
松坂城主に話したのち九鬼水軍に挨拶がてら帰りに海路で送ってもらうように提案。飯の友の会かいと大爆笑。蟹江を見たことで流れにも納得頂けた。
松阪の城での話がひとまずまとまると、博之は北伊勢の代表たちに向き直った。
「今日は泊まっていかれますか? それとも、このまま九鬼水軍のところへ話を持っていって、
帰りは船で白子まで送ってもらいますか?」
白子の代表は、少し考えてから言った。
「泊まるより、この足で話を通した方がよいと思います」
「早いですね」
「話が大きいですからな。しかも、これは周りが喜ぶ話です。織田勢が攻めてくるかもしれぬと
いうだけで、北伊勢には一気に緊張が走っております。少しでも早く、飯と荷の道を守る約定の
話を広めたい」
四日市の者も頷いた。
「九鬼水軍にも早く筋を通した方がよいでしょう。海の道が絡む以上、後回しにはできませぬ」
博之は、少しだけ腹をくくった顔になった。
「では、もうこの足で行きましょうか」
そう言いながら、ヨイチに目を向ける。
「あと、寄進か船賃か分からんけど、二万文くらい持っていこう」
「二万文ですか」
「手ぶらで行ったら格好つかへんやろ。帰りに白子まで送ってもらうかもしれんのやし、
船賃くらい払っとかんと」
お花が苦笑した。
「旦那様、本当に気軽に船を使いますね」
「気軽ちゃうわ。ちゃんと二万文払うやろ」
「金額の問題ではない気がします」
北伊勢の代表たちも、少し笑った。
「九鬼水軍を舟宿みたいに使う飯屋など、旦那くらいでしょうな」
「それもやめてください。怒られますから」
そうして一行は、九鬼水軍のまとめ役のもとへ向かった。
九鬼の屋敷に着くと、先方はすでに蟹江や津島、常滑の動きを聞いていたらしい。
博之たちの顔を見るなり、にやにやと笑った。
「おお、来たか。今度は何や。北伊勢飯の友の会でも作るんか」
「やめてください」
博之は、座る前から頭を抱えた。
「入り口はそこですけど、言い方が悪すぎます」
「飯の友の会。ええやないか。船乗りにも分かりやすい」
「分かりやすすぎて軽いんです」
九鬼のまとめ役は、げらげら笑った。
「蟹江守が、今度は飯の友の会の会頭か」
「本当に全部やめてください」
北伊勢の代表たちも、笑いをこらえきれずにいる。緊張していたはずの座敷が、
いきなり妙な空気になった。
博之は咳払いをして、改めて話し始めた。
「真面目に言います。北伊勢の国人衆の皆さんは、対織田でいきなり固まるというより、
まず飯と荷の道を守る約定を作りたいという話です」
「ほう」
「今までのいざこざがありますから、一気に同盟まではいきません。北畠にそのまま入るのも
面子がある。六角との兼ね合いもある。だから、まずは同じ釜の飯を食って、伊勢松坂屋の
荷や飯場に世話になっている者同士として、荷を止めない、飯場を荒らさない、逃げる民を斬らない、
買い付け隊を通す。そういう形から始めようと」
九鬼のまとめ役は、腕を組んだ。
「なるほどな。戦の同盟ではなく、飯と荷の約定か」
「はい。私が仲介に立つ形になります。ただ、私は北畠様にも間接的にお世話になっておりますので、
松阪の殿様にも話を通しました。年貢の一部なり、礼銭なりを北畠へ通して、何かあった時には
保護をいただく。そういう体裁を取れないかと」
「筋は通るな」
「そのうえで、九鬼水軍にも話を通しておきたいんです。桑名、白子、四日市、蟹江、常滑。
北伊勢の荷と飯の道が安定すれば、海の道も太くなります。九鬼の船にも、当然お世話になります」
九鬼のまとめ役は、にやりと笑った。
「それで、飯屋がまた船を使うと」
「ちゃんと船賃は払います」
「そういう話やない」
「分かってますけど」
座敷にまた笑いが起きた。
博之は、少し言いにくそうに続けた。
「それと、もう一つありまして」
「何や」
「北畠様の方から、官位をいただく話が進みそうです」
九鬼のまとめ役の目が、ぱっと輝いた。
「おお」
「飯に関する官位ということで、従五位下の大膳亮になるかもしれません」
一拍、静けさがあった。
次の瞬間、九鬼のまとめ役は腹を抱えて笑い出した。
「ついに旦那も、やんごとなき方になるわけやな!」
「やめてください」
「根なし草が大膳亮か!」
「ほんまにやめてください」
「いや、めでたい。めでたいぞ。飯屋が官位をもらうなら、大膳亮ほど似合うものはない」
「似合うのが嫌なんです」
「だいぜんのすけ。響きもええ」
「言わないでください。重いんです」
九鬼の者たちは皆、げらげら笑っていた。北伊勢の代表たちも、最初は恐縮していたが、
だんだん笑ってよい空気だと分かり、肩の力を抜いた。
博之は、半ばやけになって言った。
「私はもともと、二年前は根なし草ですよ。松阪の普請に放り出されて、ボロ小屋で
飯を出し始めただけなんです。なんでこんなことになるんですか。俺が問いたいです」
「それはもう、一冊の本になりますな」
九鬼のまとめ役が、まだ笑いながら言った。
「根なし草の飯屋、大膳亮になる。蟹江で戦を止め、北伊勢を飯でつなぐ」
「本にしないでください。恥ずかしすぎます」
「売れるぞ」
「売らないです」
笑いが一段落すると、九鬼のまとめ役は、少し真面目な顔になった。
「しかし、蟹江でいろいろ見たからな」
「はい」
「戦があるのは、仕方ないところもある。織田も動く。一向衆も動く。国人衆も自分の
土地を守ろうとする。だが、そのたびに民が逃げ、港が荒れ、荷が止まるのは困る」
「私もそう思います」
「北伊勢が、飯と荷の約定からでもまとまるなら、悪くない。いや、だいぶよい話や」
白子の代表が頭を下げた。
「九鬼水軍にも、ご助力いただければ心強い」
「助力というほど大げさなものではない。海の道が太くなるなら、こちらにも利がある。
飯場が港に立ち、荷が流れ、人が動く。船の仕事も増える」
九鬼のまとめ役は、博之を見た。
「ただし、旦那」
「はい」
「飯屋のままでいるなら、無理に戦の顔をするな。船を使う時も、飯と荷のためやと言い続けろ。
大膳亮になっても、そこをぶらすな」
博之は静かに頷いた。
「それは、絶対に守ります。私は城はいりません。領地もいりません。欲しいのは、
飯の道と荷の道と、逃げ場です」
「それが一番厄介なんやけどな」
「よく言われます」
九鬼のまとめ役は、また笑った。
「まあええ。北伊勢飯荷の約定、九鬼としても話は聞いた。松阪の殿様、北畠にも筋が通るなら、
船の道では協力しよう」
北伊勢の代表たちは、ほっとしたように息を吐いた。
博之も、少し肩の力を抜いた。
「ありがとうございます。では、最後にお願いがありまして」
「何や。まだあるんか」
博之は、持ってきた包みを前へ出した。
「これ、寄進というか、船賃というか、二万文です」
「二万文?」
「代表の方々を、白子まで船で送ってもらえますか。話を早く持って帰った方がいいと思うので」
九鬼のまとめ役は、しばらく博之を見つめた。
そして、あきれたように笑った。
「本当にうちを何やと思ってるんですか」
「頼れる海のお友達です」
「便利すぎるやろ、そのお友達」
「蟹江でもお友達で通しましたし」
「通すな、そんなもん」
座敷はまた大きな笑いに包まれた。
だが、九鬼のまとめ役は包みを押し返さなかった。
「ええわ。白子まで送ったる。飯荷の約定の話、早く広めた方がええ」
「助かります」
「ただし、今度うまい飯を船にも多めに積め」
「それはもちろんです」
「ならよし」
こうして、北伊勢の代表たちは、その日のうちに九鬼の船で白子へ戻ることになった。
松阪で飯を食い、北畠の筋を通し、九鬼水軍にも笑われながら認められた。
北伊勢を飯と荷でつなぐ話は、まだ始まったばかりだった。
だが、その日の風は悪くなかった。
船が白子へ向かう頃、博之は浜辺に立ち、遠ざかる帆を見ながら小さく呟いた。
「ほんま、飯屋って何なんやろな」
隣のお花が答えた。
「少なくとも、船を二万文で動かす飯屋ですね」
「それも嫌やなあ」
海の向こうへ、また一つ、飯の道が伸びていった。