軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

木下藤吉郎秀吉が津島で聞き取り調査。寺で名前を前に出さない。買付を大量にして銭を落とす。町に溶け込もうとする。思想はある。宗教のようで宗教でない何か。商いでもある。でも飯屋であることは間違いない。

木下藤吉郎は、相変わらず伊勢松坂屋について調べ回っていた。

蟹江で一度見た。飯も食った。人の流れも見た。

だが、見れば見るほど分からない。

「わしら武士は、こんなんが仕事やないんやけどなあ」

藤吉郎は、ぼやきながら津島へ向かう道を歩いていた。

本来なら、蟹江が半年止まった今こそ、織田としては美濃へ目を向ける好機である。

百五十万文という銭も入った。武具も買える。兵糧も整えられる。蟹江方面の火が半年弱まるなら、

その分を別の戦へ回せる。

それなのに、自分は飯屋の市を見ている。

「わし、何してんねやろな」

そう言いながらも、藤吉郎は足を止めなかった。

津島に新しくできた伊勢松坂屋の横丁は、まだ小さかった。だが、すでに形がある。飯場があり、

荷置き場があり、簡単な市があり、湯浴みの支度まである。蟹江で見たものと似ているが、

蟹江ほど切迫してはいない。ここでは、逃げてきた者というより、新しく働き始めた者や、

様子を見に来た町人の顔が多かった。

藤吉郎は、まず飯を食った。

まぜ飯。汁物。少し高い肉あん。

「……やっぱりうまいな」

思わず口に出た。

蟹江で食った時と同じだ。派手すぎるわけではない。けれど、腹に落ちる。

旅の途中や仕事の合間に食うと、妙にありがたい味がする。

「これが困るんや」

藤吉郎は、小さく呟いた。

うまい飯は、人の警戒を少し溶かす。

しかも、伊勢松坂屋の飯は、ただのうまい飯ではない。食った後に、横丁を見て回りたくなる。

品を見たくなる。働いている者の顔を見たくなる。

藤吉郎は、次に寺の者へ話を聞いた。

伊勢松坂屋の先遣の者たちは、すでに近くの寺社へ挨拶に回っているという。手ぶらではない。

まぜ飯、すり身揚げ、小物、少しの銭、そして「炊き出しをするなら、うちの名を前に出さず、

お寺さんの寄進としてやってください」という言葉まで添えているらしい。

「それは、ありがたいのですか」

藤吉郎が尋ねると、寺の住職は静かに頷いた。

「ありがたいですな」

「伊勢松坂屋の名でやった方が、あちらも評判になるのでは」

「普通はそうでしょう。けれど、あの者たちは、こちらの顔を立ててくれる。

寺が炊き出しをした形にしてくれるなら、町の者も寺に集まりやすい。こちらも檀家に顔が立ちます」

「見返りは?」

「市が立てば、人が来る。その売り上げの一部を寄進に回すと言うております。

炊き出しの米や味噌も、無理のない範囲で支えると」

「うまい話すぎませんか」

住職は少し笑った。

「うまい飯屋ですからな」

藤吉郎は、思わず苦笑した。

しかし、住職は真面目に続けた。

「ただ、あれは無償の施しではありません。市を立て、人を呼び、品を売る。

その流れの中に寺も入る。こちらも得をする。向こうも得をする。町の者も飯を食える。

そういう形です」

「なるほど」

「それに、よその拠点では“ご縁の会”というものもしていると聞きます」

「ご縁の会?」

「伊勢松坂屋の者と、その土地の者との縁談めいたものですな。もちろん、

いきなり嫁入り婿入りという話ではないようですが、働く者同士、飯を食いながら顔を合わせる。

そうすると、その土地に根を下ろしやすくなる」

藤吉郎は、少し顔をしかめた。

「そこまでやるのですか」

「根なし草を雇ってきたところだそうですからな。働くだけでなく、土地に馴染ませることも

考えておるのでしょう」

寺から出た藤吉郎は、次に町の商店へ向かった。

津島の商人たちは、最初こそ伊勢松坂屋を警戒していた。だが、話を聞くと、少し様子が違う。

「まあ、でかい飯屋さんやな」

ある商人はそう言った。

「でかいだけですか」

「いや、買ってくれるんや。どえらい額を」

「何を」

「布、縄、乾物、小物、道具。まだ始まったばかりやけど、買い付け隊が来て、

これはどこの拠点へ回せる、これは伊勢で売れそうや、これは松阪の女衆が欲しがるやろ、

みたいに見ていく」

「それは普通の商人では」

「普通の商人は、あれほど人を連れてへん。聞くところによると、

従業員向けだけでかなり賄えるそうや」

「従業員向けだけで?」

藤吉郎は眉を上げた。

「はい。伊勢松坂屋は、二十を超える拠点を持っとるらしいです。従業員も数千人はおるとか」

「数千人?」

「噂ですけどな。でも、買い方を見てると、あながち嘘でもなさそうです」

藤吉郎は、しばらく言葉を失った。

数千人の従業員。

飯屋である。

飯屋なのに、数千人。

商人はさらに続けた。

「もともと、この買い付けというのも、従業員の銭を減らすために始めたらしいですよ」

「銭を減らすため?」

「はい。あそこは飯と寝床があるそうです。まかない付き、宿付き。湯浴みもある。

だから、給金を使わずに貯めることができる」

「全部貯められるのか」

「無茶をすれば、という話です。もちろん、菓子を買う、器を買う、女衆が小物を買う、

そういうことはあるでしょうが、まかないを食って寝床に帰れば、銭は減らん」

「それで、使わせるために市を?」

「そう聞いてます」

藤吉郎は、さらに驚いた。

普通、主は従業員の銭が貯まることを喜ぶか、あるいはそこまで考えない。

だが、伊勢松坂屋は、従業員に金が残りすぎることを見て、市を作った。遠方の品を買わせ、

土地へ銭を落とさせる仕組みを作った。

「まかないばかり食うな、という触れも出てるらしいです」

商人が笑った。

「何です、それは」

「よその町との兼ね合いでしょうな。伊勢松坂屋の者が、自分たちの飯場だけで食って、

銭を外に落とさんとなると、地元の飯屋や茶屋が困る。だから、休みの日くらいは外で食え、

地元の店も使え、ということらしいです」

「従業員に、外で銭を使えと?」

「そうです。従業員同士で固まりすぎることも、あまりよしとしていないとか。

地元に根付け、顔を覚えてもらえ、ということらしい」

藤吉郎は、頭をかいた。

「もう政治やないか」

思わず口に出た。

商人は苦笑した。

「まあ、飯屋というより、一つの町みたいなもんですな」

その後も、藤吉郎は聞き取りを続けた。

伊勢松坂屋では、新しく入った者に飯場の掟を教える。

地元の寺社へ挨拶を欠かさない。

炊き出しは、できるだけ地元の顔を立てる形にする。

買い付け隊は、ただ安く買うのではなく、相手を潰さない値で買う。

高く売るものもあるが、その分、飯場や湯浴みや炊き出しに回す。

聞けば聞くほど、藤吉郎の中で言葉が変わっていった。

商売。

いや、それだけではない。

宗教。

いや、一向宗のように念仏や教義で人を束ねているわけではない。

政治。

いや、城も領地も求めていない。

だが、結束はある。

思想もある。

働き方の方向性もある。

飯を中心にした、妙なまとまりがある。

藤吉郎は、横丁の端で腕を組んだ。

「飯と寝床と湯浴み。給金。買い付け。市。炊き出し。地元への銭落とし。

縁談。寺社への顔立て。従業員を土地に根付かせる……」

彼は一つずつ指を折った。

「これは、ただの飯屋やない」

ただし、ただの商人でもない。

欲だけで動いているなら、炊き出しをここまでしない。

善意だけで動いているなら、ここまで高く売らない。

宗教なら、もっと教えを前に出す。

武家なら、もっと命令で動かす。

伊勢松坂屋は、そのどれでもあり、どれでもない。

「一向宗とは違う。けど、結束の強さは似たものがある。宗教というか、

政治というか、商いというか……」

藤吉郎は、思わず笑った。

「殿様にどう報告すりゃええねん」

配下が尋ねた。

「危険ですか」

「危険や」

「では潰すべきと?」

「そう簡単に言えん。潰したら、民が怒る。寺社が困る。商人も困る。しかも飯がうまい」

「また飯ですか」

「飯が大事なんや」

藤吉郎は真顔で言った。

「あの飯で腹をつかむ。腹をつかんで、銭を回す。銭を回して、人を雇う。人を雇って、

土地に根を張る。根が張ったら、追い出しにくくなる」

「では、使うべきですか」

「使えば利はある。だが、使っているつもりで、こちらの町に根を張られるかもしれん」

「面倒ですね」

「面倒や」

藤吉郎は、津島の横丁をもう一度見た。

蟹江から来た若者が、ぎこちなく客に頭を下げている。常滑焼の見本が一つ、

まだ少しだけ大事そうに置かれている。寺の小僧が、炊き出し用の米について女衆と話している。

派手ではない。

けれど、確実に根が伸びている。

「これは、早めに見極めなあかんな」

藤吉郎はそう呟き、また歩き出した。

木下藤吉郎は、根なし草から成り上がる者の気持ちを、少しは知っていた。

だが、飯で人を集め、給金で縛らず、湯浴みと寝床で安心させ、買い付けと市で銭を回し、

寺社と縁を結んで土地に根を張る。

そんな成り上がり方は、まだ見たことがなかった。

だからこそ、彼は思った。

伊勢松坂屋は、ただの飯屋ではない。

だが、ただの飯屋ではないと言い切った瞬間に、何かを見誤る。

あれは、飯屋だから強いのだ。