軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

猿こと木下秀吉に伊勢松坂屋のことを調べるように命じる。困りながら蟹江に行き飯を食べるとうまい。が、安くない飯を食う客と炊き出しがっ共存している奇妙さ。市の品揃えからの物流の強さ。報告に悩む。

織田の殿様は、滝川筋の者たちから蟹江の顛末を聞いた後、しばらく不機嫌な顔をしていた。

飯屋が百五十万文を出して、半年の休戦を買った。しかも前金五十万文は、すでに九鬼水軍を

通じて届いた。蟹江の住民は城下を離れ、伊勢松坂屋の飯場や港、寺社に流れている。

北畠の者も九鬼水軍も、その飯屋の「友達」として場にいた。

何から何まで、分からない。

「猿」

織田の殿様が呼ぶと、控えていた木下藤吉郎、のちの秀吉は、すぐに頭を下げた。

「はっ」

「伊勢松坂屋のことを調べてこい」

「伊勢松坂屋でございますか」

「そうや。集められるだけの情報を集めろ。しばらくは、端下でも使ってええ。

蟹江、桑名、白子、松坂、伊勢。行けるところは見ろ。聞ける者には聞け」

「ははっ」

藤吉郎は頭を下げたが、内心では少し困っていた。

飯屋を調べろと言われても、何を調べればよいのか。城でもない。武家でもない。寺社でもない。

ただ、百五十万文を出す飯屋である。いや、その時点でただの飯屋ではないのだが、

どうにも輪郭がつかみにくい。

織田の殿様は、苛立ったように続けた。

「根なし草から成り上がった男らしいな」

「そのように聞いております」

「お前も似たようなものやろ」

藤吉郎は、少しだけ笑った。

「私など、まだまだでございます」

「謙遜はええ。そういう出の者なら、何を考えているか、少しは分かるかもしれん」

「分かればよろしいのですが」

「分からんのや。普通、飯屋でうまくいったら、何軒か店を出して終わりやろ。

城下に店を増やす。客を取る。銭をためる。それで十分なはずや」

「はい」

「なのに、そこから伊賀へ行き、信楽焼を運び、奈良の寺と交流し、草津や大津に道を作り、

九鬼水軍と船を使い、蟹江では民を抱え、百五十万文を出して半年の休戦まで買う。意味が分からん」

「たしかに、普通の商いではございませんな」

「志があるのか。欲があるのか。北畠の手先なのか。九鬼の財布なのか。

それとも本当に飯だけの男なのか。そこを見てこい」

藤吉郎は深く頭を下げた。

「承知いたしました」

とはいえ、藤吉郎自身も、すぐに答えが出るとは思っていなかった。

自分も身分の低いところから拾われ、織田の家で働き、少しずつ出世の道をつかんできた。

だから、根なし草から這い上がる者の気持ちは、多少なりとも分かるつもりだった。

だが、飯屋で成り上がり、物流と寺社と水軍と民の避難先まで抱える男の気持ちは、

さすがに分からない。

「そないでかい商いの者の腹の中までは、ちょっとよう分からんわ」

藤吉郎は、そうぼやきながら、まず蟹江の周辺を歩いてみることにした。

もちろん、ただの旅人ではない。織田方の者と知られれば警戒される。だが、顔を隠しきれるほど

無名でもない。何人かの配下を別々に動かし、自分も小商人のような格好で、飯場や横丁の様子を

見ることにした。

しかし、蟹江の近くでは、思った以上に警戒された。

「お前さん、織田の方の人やろ」

港近くの年寄りにそう言われ、藤吉郎は少し笑ってごまかした。

「いやいや、ただ飯を食いに来ただけで」

「飯食いに来たなら、伊勢松坂屋さんの飯場へ行ったらええ。あそこは別に、

変な詮索せんでも飯は出してくれる」

「織田の者でもか」

「飯屋やからな。腹が減ってたら食わしてくれるやろ。まあ、銭は払えよ」

年寄りは、そう言って笑った。

「それに、伊勢松坂屋さんは、間者がどうのこうのっていう感じやないで。穏やかや。

炊き出しもようしてくれる。こないだの騒ぎでも、子どもや年寄りをよう見てくれた」

藤吉郎は、ますます分からなくなった。

間者ではない。

けれど、情報は集まる。

兵ではない。

けれど、人は寄る。

大名ではない。

けれど、銭で半年の休戦を買う。

まずは飯を食ってみるか。

そう思い、藤吉郎は蟹江の港にある伊勢松坂屋の横丁へ向かった。

そこは、戦の後とは思えないほど、妙な落ち着きがあった。

もちろん、明るいばかりではない。避難してきた者もいる。湯浴みの順番を待つ者もいる。

荷を抱えたまま腰を下ろす者もいる。それでも、飯の匂いがあるだけで、人の顔は少し違って見えた。

藤吉郎は、まずまぜ飯を頼んだ。

「一つくれ」

「はい。熱いのでお気をつけください」

女衆が手際よく椀によそってくれる。

藤吉郎はそれを口に入れた。

「……うまいな」

思わず声が出た。

米だけではない。具があり、味があり、腹に残る。戦の後に食う飯としては、妙に安心する味だった。

続いて、肉あんも頼んだ。

「これは高いな」

「高いです。でも、うまいですよ」

「正直やな」

女衆は笑った。

藤吉郎は肉あんを食った。

うまかった。

確かに高い。けれど、ただ高いだけではない。器もきれいだ。信楽焼らしい

小皿に乗っているだけで、妙に上等に見える。

「なんでこんな高いんや」

藤吉郎が隣の客に聞くと、その男は普通に答えた。

「伊勢神宮の前でも出してるらしいで。そこで評判になって、値段が上がったんや」

「最初から高かったんやないのか」

「最初はもうちょい安かったらしいわ。でも今は、これぐらい取ってもええと思うで」

「高くてもええんか」

「うまいしな。それに、ここが儲かった分で、炊き出しもしてくれる。湯浴みも増やしてくれた。

逃げてきた者にも飯を出してくれる。なら、払える者が少し高く払うのは、悪いことやないやろ」

藤吉郎は、箸を止めた。

別の客も口を挟んだ。

「それに、伊勢神宮では信楽焼の器で出してるらしいで。持ち帰りと、店の中で食うのと、

体験まであるって聞いたわ」

「体験?」

「自分で焼くんやと。海鮮焼きいうて、丸いやつをくるくる回すんや。子どもや女連れに人気らしい」

「飯を焼くところまで見せるんか」

「そうらしい。見て楽しい、食うてうまい。高くても旅の話になるやろ」

藤吉郎は、ますます首をひねった。

飯を売る。

器を売る。

体験を売る。

旅の話を売る。

そして、その儲けで炊き出しをする。

横丁の中を歩くと、伊勢小物や信楽焼の小皿、奈良のそうめんや葛らしき品も並んでいた。

決して安くはない。だが、客は見ている。買っている。話している。

「これは奈良のものか」

「そうです。次の便では、取寄せ札も少し出るかもしれません」

「取寄せ札?」

「欲しい品を、次の便で取り寄せてもらう札です。五割増しになりますけど、確実に手に入ります」

「五割増しで買うのか」

「信楽焼なんかは、欲しい人が多いですからね。旅して買いに行くよりは安いです」

藤吉郎は、思わず笑いそうになった。

これは、飯屋ではない。

だが、飯屋である。

飯を入口にして、人を集める。人が集まるから物が売れる。物が売れるから荷が動く。

荷が動くから道ができる。道ができるから、また飯と物が集まる。

しかも、そこに炊き出しと湯浴みを混ぜるから、住民の心もつかむ。

藤吉郎は、横丁の端で座り込み、まぜ飯の残りを食べながら考え込んだ。

「分かったような、分からんような」

そばにいた小僧が、無邪気に言った。

「おっちゃん、うまいやろ」

「うまい」

「松坂屋さんは、うまいもんくれるから好きや」

「高いものも売ってるぞ」

「買える人が買うんやろ。わしらは炊き出しもろた」

藤吉郎は、その言葉に少し黙った。

高いものを買う者がいる。

炊き出しを受ける者がいる。

その両方が、同じ飯場の周りにいる。

しかも、それを不自然に思っていない。

織田の家中なら、銭は上から集めるものだ。戦に使うものだ。城や兵や米に変えるものだ。

だが、この飯屋は違う。

銭を集め、飯に変え、物に変え、道に変え、人の居場所に変えている。

「志があるのか、ただの欲なのか、よう分からんな」

藤吉郎は小さく呟いた。

配下の一人が戻ってきた。

「どうでした」

「うまい」

「飯の感想ではなく」

「飯の感想が大事なんや」

藤吉郎は、まじめな顔で言った。

「あれは、まず飯がうまい。だから人が文句を飲む。高いと思っても、食えば納得する。

納得したら、次に話を聞く。炊き出しの話も、湯浴みの話も、取寄せ札の話も、

全部飯の後に入ってくる」

「つまり」

「つまり、飯屋や」

「飯屋ですか」

「飯屋や。けど、ただの飯屋ではない」

藤吉郎は立ち上がり、横丁をもう一度見渡した。

逃げてきた者が飯を食っている。

買える者が肉あんを買っている。

子どもが湯気に笑っている。

寺の者が炊き出しを手伝っている。

港の人足が荷を運び、女衆が客をさばき、護衛が遠くで周囲を見ている。

兵を並べずに、これだけ人をまとめている。

藤吉郎は、少しだけ眉をひそめた。

「殿様に、どう報告したもんかな」

「危険だと?」

「危険ではある。けど、潰したら民が怒る。使えば利がある。放っておけば道を作る」

「面倒ですな」

「面倒や」

藤吉郎は、苦笑した。

「それに、根なし草から成り上がったというなら、少しだけ分かる気もする」

「何がですか」

「飯を食えん時の怖さや。あれを知ってる者は、飯を握る意味を知ってる。たぶん、

伊勢松坂屋の旦那は、そこを忘れてへんのやろ」

そう言いながらも、藤吉郎は首を振った。

「いや、分かったようなことを言うたらあかんな。まだ分からん。もっと見なあかん」

彼は横丁を後にした。

飯はうまかった。

客は納得していた。

炊き出しは機能していた。

物は売れていた。

しかも、住民は伊勢松坂屋を怖がるより、頼っていた。

木下藤吉郎は、その日、殿様への報告の難しさを思い知った。

ただの飯屋ではない。

だが、飯屋であることが一番の力になっている。

そう報告するしかないのかもしれなかった。