作品タイトル不明
蟹江から戻ってきた夜。女衆が一緒に寝ると言い出し喜んでいたがみんなが布団を持ってきて一緒に寝たwww朝になると独りぼっちの博之。朝飯を食べながら北伊勢の話
蟹江から戻ったその夜、博之は女衆たちに囲まれていた。
「旦那様、ほんまにすごいですよ」
「蟹江の人ら、助かったって言うてましたよ」
「私ら、寝なし草やったり、あんまり育ちがええ方やなかったから、戦とかほんま嫌いなんです。
怖いし、すぐ弱い者から取られるし」
一人がそう言うと、別の女衆も頷いた。
「だから、それを止めてくれる旦那様は、やっぱりすごいなって」
博之は、まんざらでもない顔で聞いていた。
「ほな、今日は一緒に寝るか」
すると女衆たちは、顔を見合わせて、きゃあきゃあと笑い出した。
「今日だけですよ」
「ほんまか」
「はい。今日だけです」
博之は少し浮かれた。蟹江で疲れ果て、帳簿でさらに削られた心に、ようやく甘い報いが
来たと思った。
ところが、しばらくすると女衆たちは、それぞれ自分の布団を抱えて戻ってきた。
「……なんで一人の布団に、みんな来えへんねん」
博之が不満げに言うと、一人が笑いながら答えた。
「違うんです。今日は旦那様と、みんなで一緒に寝ようって話です」
「みんなで?」
「はい。旦那様と一つのところで寝たいですけど、それをしたら誰かが旦那様を独り占めするみたいに
なるじゃないですか」
「独り占めしてええんやで」
「だめです」
「だめなんか」
「今日は、みんなでお話ししながら寝る日です」
博之は、思っていたものと違いすぎて、しばらく黙った。
「思てたんとちゃうぞ」
女衆たちは、またきゃあきゃあと笑った。
「旦那様、ふてくされてる」
「いや、ふてくされるやろ。そら」
「でも、私ら家族みたいなもんじゃないですか」
「家族かあ」
「それに旦那様、お店の中での恋愛、あんまり推奨してないじゃないですか」
「それはまあ、揉めるからな」
「ということは、旦那様の恋愛も、あんまり推奨されてないってことですよね」
その一言で、女衆たちがどっと笑った。
「ひどいわ。ひどいわ」
博之は布団に顔を埋めた。
「旦那様、泣いてる」
「泣くわ。愛がない。愛が」
「ありますよ」
一人が、そっと言った。
「私ら、なんやかんや旦那様のこと好きですよ」
「ほんまか」
「はい。だから、こうしてみんなで一緒に寝るんです」
「愛が……愛が薄い……」
「薄くないです。分け合ってるんです」
「余計つらい言い方や」
女衆たちは笑いながら、それぞれの布団を並べた。
博之の周りに、少し距離を空けて、ぽつぽつと布団が敷かれる。誰か一人が近すぎるわけではない。
けれど、誰も遠くへ行くわけでもない。
それは、博之の望んだ「一緒に寝る」とは違った。
だが、悪いものでもなかった。
女衆たちは、蟹江の話、松阪の飯場の話、伊勢神宮前の海鮮焼きの話をしながら、
少しずつ眠そうになっていった。
「旦那様、ほんまに無理せんといてくださいね」
「無理してるのは帳簿や」
「それはヨイチさんです」
「ヨイチも無理してるな」
「みんな無理してます。でも、飯があるから、なんとかやれてます」
博之は、ぼんやり天井を見た。
「飯屋やからな」
そう言ったところで、疲れが一気に来た。
「愛がない……愛が……」
小さくぼやきながら、博之は眠りに落ちた。
翌朝。
目が覚めると、女衆たちの布団はすでに片づけられていた。
昨夜あれだけ並んでいた布団はきれいに消えており、部屋は妙に広く感じた。
「……なんじゃこりゃ」
博之は、ぽつんと取り残された気持ちになった。
「昨日のあれは何やったんや。夢か。いや、夢にしては中途半端やったぞ」
寂しさと寝不足と妙な不満を抱えながら、博之は朝飯の席へ向かった。
そこには、お花、ヨイチ、古参衆、買い付け隊の数名がすでに集まっていた。
「旦那様、おはようございます」
お花がいつもの顔で言う。
「おはよう。女衆の布団が消えてて寂しかった」
「朝ですから」
「朝って残酷やな」
「朝飯を食べてください」
博之は不満げに椀を受け取り、まぜ飯を口に運んだ。
湯気の立つ飯を食べると、少しだけ気持ちが戻る。
ヨイチが静かに言った。
「蟹江の件、次の段階を考える必要があります」
「分かってる」
博之は椀を置いた。
「蟹江は半年の猶予を買った。常滑と津島の道も開いた。けど、それで終わりやない。
むしろここからや」
「北伊勢の国人衆ですね」
「そうや。今回の件を見て、関、亀山、白子あたりがどう動くか。そこを横目で見ながらやな」
古参衆の一人が言う。
「頼りに来る可能性がありますか」
「ゼロではないと思う」
博之は少し考えた。
「もっと言うと、本来なら北畠様の庇護に入るというのも一つやと思う。けど、
今までそうなってない。北畠、六角、織田の間に挟まって、国人衆としてどうにか
やってきたわけやろ」
「はい」
「そこに、蟹江の件が出た。武家同士で揉めると住民が逃げる。飯場と港と寺社を押さえて、
半年の猶予を作った伊勢松坂屋という妙な存在がいる。となると、束ねてくれとは言わんまでも、
仲介してくれ、話をつないでくれ、というのはあるかもしれん」
お花が頷いた。
「その時、ただの飯屋では通らない場面が出ますね」
博之は嫌な顔をした。
「出たな、その話」
「官位です」
「いらん」
「ですが、現実として、必要になるかもしれません」
ヨイチも帳面を開きながら言った。
「伊勢松坂屋の誰それ、という名前のもとで話をまとめる。その時に、北畠の推挙による
官位があれば、少なくとも雑には扱われにくくなります」
「大膳亮とか言うなよ」
「まだ言っておりません」
「顔が言ってる」
お花は少し笑った。
「旦那様が北畠領の松阪に身を寄せている。北畠様の影響下にある飯屋として、
北伊勢の国人衆の間をつなぐ。そういう形なら、表向きも立てやすいです」
「税はどうするんや」
「そこは北畠様との話し合いでしょう」
ヨイチが答える。
「伊勢松坂屋が勝手に国人衆を束ねる形にはできません。あくまで飯場、炊き出し、
荷の道、避難者の受け入れ、商いの仲介。その代わり、一定の礼や税を北畠へ通す形にすれば、
北畠側も面子が立ちます」
「つまり、うちは北畠様の下にいるように見えつつ、実際には飯屋の道を作る」
「言い方は乱暴ですが、そうです」
「また面倒なことになってきたな」
博之は頭をかいた。
「でも、今から織田につくっていうのは、最近の状況からしたら難しいやろ。蟹江であれやし」
「はい。織田方にいきなり寄れば、蟹江の住民や国人衆、一向衆からの信用を失います」
「六角は?」
「縁がまだ薄いです」
「そうなんよな。六角様とは話はできたけど、まだ近江の話や。北伊勢の国人衆が
六角に全面的に寄るには、距離も感覚もある」
博之は椀の中の飯を見た。
「そう考えると、北畠様の影響下にありながら、伊勢松坂屋が飯場と荷の道で仲介する。
それが一番現実的なんかもしれん」
お花が静かに言った。
「ただし、旦那様が嫌がっても、名前は必要になります」
「官位の話に戻すな」
「戻ります」
「なんでや」
「名前がなければ、周囲が勝手な名前をつけます」
博之は一瞬黙った。
「……飯の神とかか」
「もっと悪いものになるかもしれません」
「それは嫌やな」
ヨイチが言う。
「北畠の推挙で、従五位下・大膳亮あたりなら、飯に関わる名として筋が通ります。
重すぎず、軽すぎず、北伊勢の仲介に出る肩書きとしても使えます」
「嫌や」
「嫌でも、考える段階です」
「昨日は女衆に家族扱いされ、今日は官位を押しつけられる。俺の人生、何なんや」
お花が笑った。
「旦那様は、飯屋です」
「飯屋ってこんなんちゃうやろ」
「伊勢松坂屋ですから」
便利な言葉で片づけられ、博之はため息をついた。
だが、目の前には現実があった。
蟹江の半年。
常滑と津島の新拠点。
北伊勢の国人衆の動き。
北畠との距離。
そして、伊勢松坂屋という名の使い方。
博之は、しばらく黙って飯を食べた。
その飯はうまかった。
だからこそ、余計に思う。
飯を出すだけで終わらないところまで来てしまったのだと。
「まあ、とりあえず」
博之は椀を置いた。
「北伊勢の動きは見る。こっちからは急いで触らん。向こうから来たら、
北畠様にも話を通す。官位の話は保留」
「保留ですね」
「保留や。絶対保留」
「分かりました。保留として記します」
ヨイチが帳面に書きつける。
博之は、それを見て嫌な顔をした。
「帳面に書かれると、もう進んでるみたいやん」
「進んでいますから」
「ひどい」
お花は、穏やかに言った。
「旦那様。昨夜、女衆たちが言っていたでしょう。戦が嫌いだと。寝なし草だった者たちは、
踏まれる側の怖さを知っています」
「うん」
「だからこそ、伊勢松坂屋が間に立つ意味はあります。ただし、潰れない形で」
博之は、少しだけ真面目な顔になった。
「飯を出すために、名前がいる。そういうことか」
「はい」
「嫌やけど、考える」
その一言で、場の空気が少しだけ落ち着いた。
外では女衆たちが、昨夜のことなど何もなかったように忙しく動いている。
博之はそれを見ながら、小さくぼやいた。
「せめて一人くらい、朝まで布団残してくれてもよかったのにな」
お花が即座に返した。
「官位より、そちらをまだ引きずっているのですか」
「当たり前や。愛がない」
ヨイチが静かに言った。
「旦那様。愛より、まず文です」
「一番愛がない言葉や」
朝飯の席に笑いが起きた。
伊勢松坂屋は、また次の火種を見ていた。
けれどその中心にいる博之は、官位よりも、北伊勢よりも、昨夜の布団の距離を少しだけ恨んでいた。