軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

蟹江から戻りホッとしていたがとりあえず帳簿。蟹江動乱の数字を引いても前の時期のマイナス50万しか利益減らない。集計して2億1,600万文。

蟹江から戻り、ようやく伊勢松坂屋の屋敷に帰り着いた時、博之は心底ほっとしていた。

船の上では松坂の殿様と九鬼水軍のまとめ役にさんざん茶化され、帰ってきたら帰ってきたで、

帳簿と蟹江への追加指示が待っている。もう今日は何も考えずに寝たい。

できれば畳の上でごろごろしたい。

そう思っていたところへ、女衆たちがぱたぱたと駆け寄ってきた。

「旦那様、お帰りなさいませ!」

「蟹江の件、聞きましたよ!」

「今日も旦那様、すごいですね!」

そう言って、一人が勢いよく抱きついてきた。続いてもう一人、さらにもう一人。

「お、おお。なんやなんや」

博之は慌てつつも、まんざらでもない顔をした。

「そんなに褒めてくれるなら、今日は一緒に寝るか」

女衆の一人が、少し頬を赤くして笑う。

「今日だけですよ」

「ほんまか」

博之の目がきらりと光った、その時である。

「ふざけないでください」

お花の声が、すぱんと飛んだ。

「今から帳簿です」

「えっ」

「旦那様。蟹江の件も、半月分の締めも、全部あります。女衆も旦那様を甘やかさない」

女衆たちは、さっと手を離した。

「旦那様、すみません。今日だけです」

「いや、後で言ってくれたらええんやで」

「今日だけです」

「じゃあ、また俺がすごいことしたら褒めてや。みんなで枕並べて寝ますか、くらい言ってくれても」

「旦那様、そんなに楽しいんですか」

お花が呆れながらも、けらけら笑った。

「楽しいに決まってるやろ」

「はいはい。楽しい話は帳簿の後です」

そうして博之は、すごすごと奥の間へ連れていかれた。

そこにはすでにヨイチが帳面を広げて待っていた。

「旦那様。帳簿の時間でございます」

「六角より、蟹江より、官位より、帳簿が怖いわ」

「今回は特に怖いです」

「先に言わんといてくれ」

お花が横に座り、博之を逃がさないようにする。

ヨイチは静かに話し始めた。

「今回は、少しバタバタ動きすぎましたので、帳簿二回分に近い形になります。ただし、

まずは四月三週目分をさっと締めます。細かいところではなく、増減の大きいところだけ挙げます」

「それで頼む。細かい数字聞いたら倒れる」

「まず、蟹江の動乱関係です」

博之は、もう嫌な顔をした。

「来たか」

「はい。まず、最初に支援として二十万文。郊外拠点に二十万文。港拠点に二十万文。

九鬼水軍に二十万文」

「うん」

「その後、停戦調整として百五十万文」

「うん……」

「その他、支援手数料、移送準備、飯場、湯浴み、寺社への礼、使い走りなどで五十万文」

「うん……」

「合計で、二百六十万文を差し引きます」

博之は天井を見た。

「二百六十万文、さっぴく言葉ちゃうやろ」

「現実でございます」

「現実つらい」

ヨイチは淡々と続けた。

「買い付け隊については、前回と同じく六百四十万文の利益を見ています。

ここは大きく変えておりません」

「変わらず六百四十万文っていうのもおかしいんやけどな」

「慣れてください」

「慣れたくない」

「次に通常の拠点利益です。前回ベースから、立ち上がりや変更分を調整します」

ヨイチは帳面をめくった。

「伊勢。海鮮焼きの売り方を変えました。店は増え、体験も始まっておりますが、

売りすぎない運用にしたため、売上だけを見ると減りました。マイナス三十万文」

「まあ、そこはしゃあない。周りの店を潰すよりましや」

「宇治、藤井寺。拠点が立ち上がってきました。二つ合わせてプラス五十万文」

「よし」

「大津、草津。水場と港筋の立ち上げが進み、二つ合わせてプラス四十万文」

「水場が回り始めたか」

「はい。まだ費用はかかりますが、動きは出ています」

「ええな」

「伊賀方面。三か所、郊外拠点をそれぞれ一つずつ増やしています。三か所合わせてプラス四十万文」

「伊賀は地味に強いな」

「地味ですが、道として重要です」

「それは分かる」

「観音寺城周辺。立ち上げ費用が重く、マイナス五十万文」

「六角様のところやな。まあ慎重にやらなあかんし、そこは仕方ない」

「蟹江は、動乱でかなり傷んでおりますので、マイナス百万文として計上します」

「百?」

「現地の売上減、支援、逃げた人の受け入れ、飯場の増強、撤退準備も含めた見立てです。

別途の二百六十万文とは分けて見ています」

「蟹江、ボロボロやな」

「はい。ボロボロです」

ヨイチは、そこで一度帳面を閉じかけ、また開いた。

「以上、もろもろを調整したところ、通常拠点の増減としては、全体でマイナス五十万文です」

博之は目を丸くした。

「えっ。そんなに減ってないんか」

「はい」

「蟹江あれだけボロボロで、伊勢も売り方変えて、観音寺城も立ち上げで赤字やのに?」

「それだけ、他が大きく黒字を出しているということでございます」

「うち、でかすぎるやろ」

「でかいです」

「飯屋やぞ」

「飯屋でございます」

ヨイチはもう慣れたように返した。

「続いて、今回の半月利益です。買い付け隊、通常拠点、その他を合わせまして、

千七百七万文の利益です」

「二百六十万文さっぴいて、それか」

「はい」

「怖いな」

「怖いです」

「ヨイチが怖いって言うた」

「事実ですので」

お花も横で頷いた。

「旦那様。これだけ支援して、なお利益が出ているというのは、強さでもあり、危うさでもあります」

「うん。銭がありすぎると狙われる」

「はい」

ヨイチは筆を置いた。

「前回までの累計が、二億を超えております。今回分を足し合わせ、

現状は二億一千六百四十七万文ほど」

「細かいな」

「ですが、四十七万文を削ります」

「どんだけ削んねん」

「丸めます。帳簿上は、二億一千六百万文で計上しておきます」

博之はしばらく黙ってから、ぽつりと言った。

「もう意味が分からん」

「私も、時々意味が分からなくなります」

「ヨイチがそれ言うたら終わりやろ」

「だからこそ、丸めます」

お花が茶を置きながら言った。

「ただし、ここからまた蟹江関係でお金がかかります」

「分かってる。常滑、津島も立ち上げることになるしな」

「はい。蟹江から人を受け入れて、商売を教えて、尾張の港に出す。寝床、湯浴み、

飯場、買い付け、護衛、全部必要です」

「百五十万文で半年買ったんやから、その半年を無駄にできへん」

「その通りです」

ヨイチが言う。

「買い付けも増えます。常滑焼、瀬戸物、津島の市、尾張の小物。そこに加えて、

取寄せ札の試験も始めるとなると、帳簿はさらに増えます」

「帳簿、死ぬな」

「死なないように絞ります」

「頼む」

そこへ、お花が少し意地悪く言った。

「それと、官位の話もありますね」

博之は即座に首を振った。

「官位はいらん」

「ですが、蟹江の件は北伊勢方面でも大きく取り上げられると思います」

ヨイチも頷いた。

「織田方、一向衆、国人衆の間に入り、半年の猶予を作った。しかも尾張での商いの許可まで得た。

これを聞いた北伊勢の国人衆が、また相談に来る可能性があります」

「来んでええ」

「来ます」

「断言するな」

「関、亀山、白子あたりは特に、六角、北畠、織田の間で動き方を迷っています。

今回の蟹江の件を見れば、伊勢松坂屋に仲介してほしいと言う者が出てもおかしくありません」

博之は頭を抱えた。

「飯屋やぞ」

「飯屋だから来るのです」

お花が静かに言った。

「武家に頼めば戦になります。寺社に頼めば格式や宗派が絡みます。

商人に頼めば銭だけの話になります。でも伊勢松坂屋なら、飯場と炊き出しと湯浴みを持ってくる。

だから相談されるのです」

「重い」

「重いです」

「ほんまに官位とかいらん」

「北畠様と相談することになるかもしれませんね」

「嫌や」

「でも、雑に扱われないための名は必要になるかもしれません」

「大膳亮とか言うなよ」

「まだ言っておりません」

「顔が言ってる」

お花は少し笑った。

「とにかく、慎重に進めましょう」

「慎重やな」

「本当に慎重にしないと、飯屋では済まなくなります」

「もう済んでへん気もするけどな」

博之は畳にごろりと転がった。

「二億一千六百万文の飯屋。蟹江に百五十万文出して、尾張に道を作って、

官位を押しつけられそうな飯屋」

「言葉にすると、ますます飯屋ではありませんね」

「やめてくれ」

その時、先ほどの女衆が部屋の端から顔をのぞかせた。

「旦那様、帳簿終わりましたか?」

博之は顔を上げた。

「終わった。ほな枕並べるか」

「旦那様」

お花の声が飛ぶ。

女衆はくすくす笑って逃げていった。

「今日だけって言うたやん」

「旦那様、次は蟹江と津島と常滑への文です」

「帳簿の次は文か」

「はい」

「抱きついてくれた女衆との約束は?」

「後回しです」

博之は深いため息をついた。

「飯屋って、ほんま何なんやろな」

ヨイチが帳面を閉じながら言った。

「少なくとも、帳簿と文から逃げられない者です」

「一番嫌な答えや」

お花は笑った。

「でも、今日も旦那様はよくやりました」

博之は少しだけ顔を上げた。

「ほんまか」

「はい。ただし、褒めるのは文を書いた後です」

「厳しい」

伊勢松坂屋は、また一段大きくなってしまった。

利益は二億一千六百万文。

蟹江には半年の猶予。

尾張には常滑と津島への道。

そして北伊勢からは、また新しい相談が転がり込んでくるかもしれない。

博之は畳の上でごろごろしながら、ぽつりと言った。

「慎重にいこう。ほんまに慎重に」

お花とヨイチは、同時に頷いた。

だが、その慎重な飯屋の帳簿は、すでに国一つを動かしかねないほど膨らんでいた。