作品タイトル不明
蟹江の件についてさすがに大事なんで松坂の城主に報告に行くとゲラゲラ笑われる。飯屋が休戦の仲介か。俺も見に行くwww
蟹江の一件について、博之はまず松坂の城主に報告することにした。
文で済ませてもよかったのだが、これはさすがに大きすぎる。蟹江の城下から人が抜け、
郊外と港に逃げ、伊勢松坂屋が飯場と湯浴みを増やし、さらに織田方、一向衆、国人衆の間で
一月の停戦めいた話までまとまった。
しかも、その場に立ったのが蟹江の伊勢松坂屋のまとめ役であり、九鬼水軍の者も同席したという。
博之は、報告しながら自分でも頭が痛くなってきた。
「……というわけで、蟹江では一月、城と砦に兵を詰めすぎず、城下に戻りたい人は戻り、
郊外や港に残りたい人は残る、という形で落ち着きそうです」
城主は、しばらく黙っていた。
そして次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「はははははっ。飯屋が、ついにそこまで入ってきたか」
「笑いごとじゃないですよ」
「いや、笑うやろ。飯屋が戦の間に入って、一月停戦させたんやろ。もういよいよ殿様やな」
「嫌ですよ」
博之は即座に首を振った。
「今回に関しては、逃げた人たちがかわいそうなんです。織田方に飯と銭を出せと言われ、
取り返した国人衆や一向衆にも普請だ改修だと言われ、結局、城下にいたら
搾られるだけになったわけでしょう。そら逃げますよ」
城主は笑いを残したまま、少しだけ真面目な顔になった。
「まあな。そこは分かる」
「なんで北畠が、中勢まで力があるのに、北伊勢を無理に攻めなかったか。そういうの、
分からんもんなんですかね」
「分からん者には分からん」
上司は茶をすすった。
「北伊勢は、揉めた時に住民に迷惑がかかる。しかも、あそこは緩衝地帯としての役目もある。
北畠、六角、織田、国人衆、一向衆、商人衆。いろんなものの間に挟まっとる」
「はい」
「それぞれ大きな領地や勢力と接してはいるが、直接ぶつからんことで、どうにか調整できていた。
そこへ織田が攻め込んで、蟹江の砦を取った。そら、むちゃくちゃになる」
「織田が悪いですか」
「まずは織田が悪いわな」
城主はあっさり言った。
「ただし、取り返した国人衆や一向衆も、住民に迷惑をかけていたなら同じや。結局、
城を取る側も、取り返す側も、飯を食ってる者や町で暮らしてる者を見てへん。
そこはちゃんと言わなあかん」
「難しいですね」
「難しくない。民に飯を食わせてから物を言え、という話や」
博之は少し黙った。
その言葉は、飯屋の自分にはよく分かった。
「で、落としどころはどう思われますか」
「一月では短いな」
「やっぱりですか」
「一月は火を冷ますにはええ。けど、城下に人が戻るには短い。半年ぐらい停戦やな」
「半年」
「で、最初の三月は、年貢や夫役に近いものを半分ずつにする。城下に戻る者、郊外や港に残る者、
それぞれの居所を認める。その代わり、どちらか一方が丸ごと搾り取るのはなしや」
「半分ずつ、ですか」
「そうや。年貢という言い方が適切かは知らんが、負担を片側だけに背負わせるから逃げる。
なら、当面は負担を減らして、城下を空にせんようにする。住民が戻るか残るかは
自由に近い形にして、寺社や港や郊外にも居場所を作る」
「それ、うちがやるんですか」
「お前の店で預かっといたらええやろ」
「簡単に言わないでください」
「実際、もう預かっとるやないか」
「それはそうですけど」
博之は頭を抱えた。
城主はまた面白そうに笑った。
「何なら、俺も行こうかな」
「は?」
「蟹江や」
「いやいやいや、北畠の領主筋が、直接行く話ではないでしょう」
「直々に行くわけやない。伊勢松坂屋の友達として、話を聞きに行くだけや」
「友達って何ですか」
「便利な言葉やろ」
「便利すぎます」
城主は、にやにやしている。
「面白すぎるやろ。飯屋が戦の火を弱めた。しかも九鬼水軍も絡んでいる。これは見に行く価値がある」
「どんだけ楽しみにしてるんですか」
「楽しみにしてるわけではない。政を見るんや」
「顔が完全に楽しそうです」
「そらそうや。こんな話、なかなか見られへん」
博之は深いため息をついた。
「九鬼水軍にも話は通してます。蟹江から桑名へ人や荷を逃がす可能性があるので、船の手配も含めて」
「ええ判断や。行くなら九鬼の船やな」
「本当に行くんですか」
「行く。蟹江の状況を見て、九鬼の者からも話を聞く。織田方、一向衆、国人衆、寺社、
港の者、飯場の者。実際に見ないと分からん」
「いや、城主様が行くと、また話が大きくなりますよ」
「もう十分大きいわ」
城主は笑った。
「それに、うまくすれば北伊勢の国人衆がこちらになびくかもしれん」
「なびきそうで怖いんです」
「何が怖い」
「関、亀山あたりなんか、六角と北畠と織田に挟まれて、挨拶どこにしようか迷って、
うちに挨拶に来てるんですよ。うちが北畠様と仲良しで、松阪のお殿様とも近いから、
勝手にこっちへ来たんです」
「つまり、もう半分なびいとる」
「そういう言い方やめてください」
「事実やろ」
「うちは飯屋です」
「飯屋が国人衆の相談窓口になる時代か。面白いな」
博之はうんざりした顔をした。
城主はそれを見て、また笑った。
「しかし、本当にあれやな。普通の戦国大名みたいに、切り取り次第で領地を増やすわけではない。
なのに、領主がころころ転がっていく。長野は北畠に入り、北伊勢の国人衆は飯屋に挨拶し、
蟹江では飯屋が停戦の場を作る」
「私がやりたかったわけじゃないです」
「それが一番面白い」
「全然面白くないです」
「少なくとも、お前は蟹江の城主になれるぞ」
「なりたくないです」
「蟹江守やな」
「本当に嫌です」
「飯屋守でもええぞ」
「さらに嫌です」
城主はけらけら笑った。
だが、笑いながらも、目は真面目だった。
「冗談はさておき、現地は見た方がいい。お前も行け」
「私もですか」
「当たり前や。お前の店が人を預かってるんや。現地のまとめ役に任せっぱなしではあかん」
「それは、まあ……そうですね」
「それに、蟹江の件は今後の尾張筋の試金石や。ここで間違えたら、津島や常滑、
熱田、瀬戸物の道まで全部やりにくくなる」
「はい」
「だが、織田に喧嘩を売るな。一向衆にも肩入れしすぎるな。国人衆にも飲まれるな。
寺社と住民を前に立てろ。お前は飯屋として、飯と湯と寝床の話だけをしろ」
「それが一番難しいです」
「分かっとる。だから俺も行く」
「いや、それで簡単になるんですか」
「少なくとも、北畠が見ているという空気は出る」
「それ、大ごとじゃないですか」
「大ごとや」
「やめません?」
「やめん」
博之は観念した。
「分かりました。九鬼水軍の船で行きましょう。松阪から白子、桑名、蟹江筋へ。
まずは桑名で受け入れ体制を見て、それから蟹江の郊外と港を見ます」
「よし」
「ただし、現地では城主様もあまり茶化さないでくださいね」
「努力する」
「努力ではなく、実行してください」
「お前、お花みたいなこと言うな」
「お花さんに鍛えられてますから」
そうして、翌朝には準備が始まった。
九鬼水軍へ文が飛び、船の手配が行われた。蟹江のまとめ役には、松坂から博之と松阪の城主が
向かうこと、ただし北畠の正式な軍としてではなく、伊勢松坂屋の事情確認として
向かうことが伝えられた。
お花とヨイチは、当然のように同行の支度を始めた。
「私も行くんですか」
ヨイチが言うと、お花が即答した。
「行かないと帳簿が分かりません」
「そうですね」
博之はげんなりした。
「なんか、蟹江へ行くのに一団になってきたな」
城主は楽しそうだった。
「飯屋の遠征やな」
「嫌な言い方ですね」
「飯と湯と寝床を持っていくんや。立派な遠征や」
「戦じゃないですよ」
「分かっとる。だから面白い」
船に乗る日、松阪の港には九鬼水軍の船が用意されていた。
城主は船を見て、満足そうに頷いた。
「九鬼の船に乗って、蟹江の戦の仲裁を見に行く飯屋か」
「もう言葉だけ聞いたら意味分からないですね」
「意味が分からんことが起きるのが戦国や」
「飯屋としては、もうちょっと静かに暮らしたいです」
「無理やな」
「即答しないでください」
博之は船に乗り込みながら、遠くの海を見た。
蟹江では、人が逃げ、飯場に集まり、城下が空になりかけている。織田方、一向衆、
国人衆が顔を見合わせ、飯屋のまとめ役が間に立った。
そこへ、自分が行く。
しかも松坂の城主まで連れて。
「本当に、飯屋って何なんやろな」
博之が呟くと、城主が笑って言った。
「今さらやな。お前の飯屋は、もうただの飯屋ではない」
「嫌です」
「嫌でも行くぞ。蟹江守」
「やめてください」
船は松坂の港を離れた。
九鬼水軍の水夫たちが櫓を動かし、海の道を北へ向かう。
蟹江へ。
飯屋が、また戦の火種へ向かっていった。