作品タイトル不明
伊勢神宮で松坂の港までの帰宅途中。職人の親方と博之の会話。鉄板や小道具について。松坂の港で九鬼水軍のメンツとお話。明日松坂の城主に会いに行きますか?
帰りは、伊勢の港から松坂の港へ向かう船便だった。
海の上は、来る時よりも少し穏やかだった。藤井寺の親方たちは、伊勢神宮で見たものを
思い返しながら、船べりに腰を下ろしていた。
博之は、少し間を置いてから親方に聞いた。
「どうでしたか。少しはイメージつきましたか」
親方は海を見たまま、しばらく黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「なんとなく分かった」
「分かりましたか」
「あの鉄板が必要なことも分かった。最初は、飯を丸く焼くだけの道具やと思ってた。
けど、あれは違うな」
「違いますか」
「飯を焼く道具でもあるけど、人を集める道具や。音が出る。匂いが出る。客が見て、
おおっと声を出す。あれは鉄砲の筒とは全然違うけど、鉄の仕事としては面白い」
博之は嬉しそうに頷いた。
「そう言ってもらえるとありがたいです」
「それでやな」
親方は少し身を乗り出した。
「海鮮焼きの鉄板だけやなくて、お好み焼きの鉄板も、もし任せてもらえるんなら、
こっちとしてはありがたい」
「お好み焼きの方もですか」
「あれも鉄板やろ。火の回り、焦げつきにくさ、返しやすさ、厚み。ちゃんと考えたら、
もっと良くなる気がする」
博之は目を輝かせた。
「それはありがたいです。実は、こっちは飯のことは考えられても、鉄のことは分からんのです」
「やろうな」
親方は少し笑った。
「あと、焼くのにコテがいるやろ。コテというか、返す道具や。あれも、今のままではちょっと
頼りない。海鮮焼きを返す棒も、もう少し先を細くして、でも曲がらんようにせなあかん。
持ち手は熱くならん方がええ。木か竹をうまく使うのもありや」
「そこ、まさに困ってました」
「お好み焼きの方も、端を持ち上げる道具、押さえる道具、味噌醤油を塗る小さいハケの金具。
そういう小物も作れるかもしれん」
博之は感心したように言った。
「そういう発想が欲しかったんです。飯屋の中やと、そこまで思いつく者が少なくて」
「職人の仕事やな」
「はい。飯を作る者は、飯の味や具材は考える。でも、道具の形まではなかなか詰めきれないんです」
親方は、少し楽しそうだった。
「ああいう小物を考えるのも、案外面白いかもしれんな。鉄砲や農具とは違うけど、
使う者の手を見て作るという意味では同じや」
「それ、ぜひお願いします」
「ただし、今度は最初から飯の道具やと思わん。見世物の道具やと思って作る」
博之は、深く頭を下げた。
「それが一番ありがたいです」
親方は腕を組み、また海の方を見た。
「海鮮焼きは流行るぞ」
「そう思いますか」
「思う。味はええ。見た目も面白い。くるくる返すところで人が止まる。しかも港ならタコも
イカもある。伊勢神宮でやれば、さらに別の値がつくやろ」
「怖いですね」
「お前が始めたんやろ」
「そうなんですけど、当たりすぎると怖いんです」
「変な旦那やな」
親方は笑った。
「けど、伊勢神宮は面白かった。ああいう世界があるのを知れたのは良かったわ。
伊賀越えしてまで来た甲斐があった」
「それはよかったです」
「茶一杯三十文には、まだ納得しきれてへんけどな」
「そこは体験です」
「またそれか」
二人が笑っているうちに、船は松坂の港へ近づいていった。
港に着くと、九鬼水軍の者たちが声をかけてきた。
「おう、旦那。伊勢はどうやった」
「おかげさまで、職人さんにも見てもらえました」
「聞いたぞ。海鮮焼き、めちゃくちゃ売れとるらしいやないか」
「ありがたいことに」
「ありがたいことに、やないわ。俺らが食いたくても食われへんねん。今度遊びに行った時、
屋敷で焼いてくれよ」
博之はすぐに頭を下げた。
「任せてください。船代の寄進もさせていただきますし、屋敷で海鮮焼きもやります」
「よし。言質取ったぞ」
親方は、そのやり取りを見て目を丸くした。
「水軍衆と、こんなに仲がええんか」
「うちは切っても切れない関係ですから」
博之が言うと、水軍の男が笑った。
「ほんまや。こいつらがおらなんだら、魚の使い道が半分減る」
博之は親方に説明した。
「魚のすり身揚げとか、マグロの汁物とか、あれは本来、値がつきにくい魚や部位を使ってるんです。
捨てられたり、安く見られていたものに、手を入れて価値をつけて売ってる」
「ただ同然のものを、飯にして売るんか」
「ただ同然では引き取りません。ちゃんと値をつけて買います。そうすると、漁をする人たちにも
銭が入る。こっちは伊勢神宮や港で、それを百文とかで売る。お客さんは珍しいものとして食べる。
皆に少しずつ利があるんです」
親方は感心したように唸った。
「なるほどな。魚を取る側からしたら、今まで捨ててたもんに値がつくわけか」
「はい。だから持ちつ持たれつです。九鬼水軍さんには運んでもらうし、魚も回してもらう。
こっちは飯にして売る。売れればまた魚を買える」
「そこまで考えとるんか」
「飯屋ですから」
「飯屋の言葉が、だいぶ広いな」
水軍の男が、今度は信楽焼の話を振った。
「そういや、信楽焼の方はどうや」
「北伊勢の方で、かなり動いてます。奈良にも回してますし」
「こっちでも評判やぞ。あれ、また運ぶなら早めに言うてくれ」
「ありがとうございます。今後もよろしくお願いします」
「おう。こっちこそや」
藤井寺の職人たちは、そのやり取りを横で聞いていた。
飯屋が水軍と商談をしている。
魚を買い、船に乗せ、伊勢神宮で売り、信楽焼まで運ぶ。
自分たちの金型も、その中の一つに組み込まれようとしている。
親方は、思わず呟いた。
「ほんまに、ただの飯屋やないな」
博之はすぐに言った。
「ただの飯屋です」
「もう無理がある」
水軍の男たちが笑った。
港で一息ついた後、博之は思い出したように言った。
「明日、よかったら松阪の城主のところにも行きませんか」
「城主?」
「松阪の城です。今回のいきさつを、面白半分で説明しに行こうかなと」
親方は眉をひそめた。
「なんでそんなにすぐ行けるんや。城の偉いさんやろ」
「私やから行ける、というだけの話です」
「何をさらっと言うとるんや」
「時々、“面白い話があったら持ってこい”って言われるんです。今回、藤井寺の職人さんが
伊賀を越えて、金型の使われ方を見に来たというのは、たぶん喜ばれます」
親方は呆れたように笑った。
「飯屋が、職人を連れて城の城主に話をしに行くんか」
「はい」
「で、城主もそれを面白がるんか」
「たぶん」
「変な土地やな、松坂は」
「うちのせいかもしれません」
お花が横から言った。
「だいたい旦那様のせいです」
「またそれですか」
親方は、もう笑うしかなかった。
藤井寺を出る時は、飯の金型を作った先を見るだけのつもりだった。
だが、伊賀を越え、松坂の港で海鮮焼きを見て、伊勢神宮で肉あんや魚のすり身揚げを見て、
九鬼水軍との関係まで見た。
そして明日は、松坂の城主にまで会うという。
金型の旅は、ただの商談ではなくなっていた。
親方は、ぽつりと言った。
「ほんまに、えらいものに関わってしもたな」
博之は笑った。
「これからも、よろしくお願いします」
親方は少しだけ考え、やがて頷いた。
「二万文で、しばらく作ったる。その代わり、いいものにするぞ」
「ぜひ」
「飯の道具やなく、客を集める鉄の道具として作る」
博之は、深く頭を下げた。
「それが一番欲しかった言葉です」
松坂の港には、夕方の風が吹いていた。
魚の匂い、潮の匂い、飯の匂い。
その中で、藤井寺の鍛冶職人たちは、自分たちの鉄が、新しい商いの火種になることを
感じ始めていた。