作品タイトル不明
藤井寺から試作機が2つ追加で届く。練習したし松坂の港で実演や。300組でいいやろ?え、600組も売れるかなーwww当日バカ売れwww
藤井寺から、金型の二枚目、三枚目が届いた。
黒く重たい鉄板が三枚並ぶと、台所の空気が一気に変わった。最初の一枚だけでも
十分に物珍しかったが、三枚となると、もう試作ではなく小さな焼き場である。
「よし、練習や」
博之がそう言うと、焼き手候補の女衆や若い料理人たちが集められた。
菜種油を引き、粉の種を流し、湯がいたタコやイカ、ネギ、刻んだ野菜を入れる。
頃合いを見て、専用に太めに作らせた返し棒で、くるりと回す。
最初は崩れた。
「あっ」
「早い早い、まだ固まってない」
「今のは焦りすぎや」
次は焦げた。
「これはこれで香ばしいです」
「物は言いようやな」
だが、何度か焼くうちに、少しずつ形になっていく。
ころりと返り、半円が丸へ近づく。
表面に味噌醤油を塗ると、じゅっと香りが立つ。
最後に青のりを振ると、台所中から声が上がった。
「かわいい!」
「これ、ほんまに売れますよ」
「熱いけど、うまい!」
まかないとして出すたびに、女衆たちはきゃあきゃあと騒いだ。
「中にタコ入ってる!」
「こっちはイカや」
「三つ並ぶと可愛いですね」
「信楽焼に乗せてもいいけど、笹船も合うわ」
博之は満足げに頷いた。
「よし。松阪港でやる」
ヨイチがすぐに帳面を開く。
「数はどうしますか」
「とりあえず三百個ぐらいでええかな。試しやし、店の中だけやとそんな食えへんやろ」
その瞬間、お花とヨイチの顔が曇った。
「旦那様、悪い予感がします」
「何が」
「伊勢神宮の肉あんの時も、そうおっしゃってました」
「あれは特別やろ」
「初日九百出ました」
「今は七百五十で落ち着いたやろ」
「落ち着いた数字がおかしいんです」
お花も続けた。
「これは物珍しい上に、美味しいです。しかも焼いている姿が映えます。丸くて可愛い。
香りも強い。港で出したら、たぶん一瞬で広がります」
「飯やぞ。港の横丁にも美味しい飯はいっぱいある」
「旦那様が作る飯は、だいたい当たるんです」
「だいたいって言うな」
「飯に関しては本当に当たります。ご自身の恋愛運が呪いで縛られている分、飯の方に行っています」
「そんなひどいこと言わんといてくれよ」
女衆たちが笑いをこらえる。
ヨイチは冷静に言った。
「最低でも六百個は用意します」
「倍やん」
「三百では危険です。売れ残れば、横丁の者たちにまかないで出して感想を取ればいい」
「そうやな。横丁の人らも見たことないしな」
「ただし、まかないに残らない可能性もあります」
「またまた、そんなアホなこと言うなよ」
「伊勢神宮の時も、そう言ってました」
「怖いこと言うな」
結局、松阪港の初回は六百個を用意することになった。
そして当日。
松阪港の横丁に、見慣れない鉄板が三枚並んだ。
丸い穴がいくつも空いた黒い金型。そこへ、女衆が手際よく種を流し込む。湯がいたタコ、
イカ、ネギ、刻み野菜をぱらぱらと入れる。周りにはすでに人だかりができていた。
「なんや、あの変な鉄板」
「丸い穴があるぞ」
「飯なんか?」
焼き手の一人が、頃合いを見て返し棒を差し入れる。
くるり。
一つ目がきれいに回った。
「おおっ」
客から声が上がった。
次々に、くるくると丸い海鮮焼きが返っていく。まるで小さな玉が鉄板の中で踊っているようだった。
「すごいな、あれ」
「見てるだけで面白い」
「子どもが喜ぶわ」
味噌醤油を塗ると、じゅっと香ばしい匂いが広がった。さらに青のりを振ると、
港の風に磯の香りが混じる。
笹船に三つ、あるいは五つ並べて出す。熱々の丸い海鮮焼きは、見た目も可愛らしく、
持ち歩きもしやすい。
「これ、なんぼや」
「六つで六十文でございます」
「六十文? ほな一つくれ」
「こっちもや」
「子どもの分も」
最初の客が食べた。
「あつっ……うまい!」
「中にタコ入っとる!」
「こっちはイカや。ぷりっとしてる」
「味噌醤油と青のり、ええなあ」
その声が広がるのは早かった。
港で働く男衆が来る。
横丁の客が覗く。
子どもが親を引っ張ってくる。
船の者が「何や何や」と集まる。
お好み焼きを知らない者にとっては、そもそも粉を焼いて具を入れるというだけでも珍しい。
縁日で大きく焼くものは見たことがあっても、それが丸くなり、目の前でくるくる返される姿は
初めてだった。
「これは見世物やな」
「飯やのに、芸みたいや」
「しかもうまい」
焼き手たちは必死だった。
「種、次!」
「タコ足りてる?」
「イカ刻んで!」
「青のり、こっち!」
後ろでは女衆たちが、粉を溶き、具を刻み、湯がいたタコを切り、イカを分け、汗をかきながら
走り回っていた。
「旦那様、これ追いつきません!」
「六百あるやろ!」
「焼き手が追いつきません!」
「種も追いついてません!」
ヨイチが、無表情で博之を見た。
「だから申し上げました」
お花も、半ば呆れながら言う。
「やばいですよ、と言いました」
「ほんまにやばいな」
「今さらです」
博之は、鉄板の前に集まる人だかりを見て、頭をかいた。
「売れて欲しいとは思ってたけど、売れすぎるのも困るんや」
「またお礼札が必要になるかもしれませんね」
「やめてくれ」
「港の周りの店に客を流さないと、恨まれます」
「分かってる。魚の汁、鯛味噌飯、周りの店にも回せ。海鮮焼きだけで腹を満たさせるな」
「はい」
それでも勢いは止まらない。
くるくる回る丸い飯。
味噌醤油の香ばしさ。
青のりの磯の香り。
笹船に並ぶ可愛い形。
熱々をふうふうしながら食べる楽しさ。
松阪港の新しい海鮮焼きは、初日から明らかに当たっていた。
博之は、嬉しさ半分、恐怖半分で呟いた。
「これ、伊勢神宮まで持っていったらどうなるんや」
ヨイチが即答する。
「大変なことになります」
お花も頷いた。
「だから、まず松阪港で焼き手を育てましょう」
博之は、鉄板の前で必死に返し続ける女衆たちを見た。
「……せやな。これは飯だけやなくて、技や」
丸い海鮮焼きは、ただの新商品ではなかった。
焼く姿そのものが人を集め、香りが足を止め、見た目が笑顔を作る。
藤井寺の職人たちが笑った十万文の金型は、松阪港で最初の火を噴いたのだった。