作品タイトル不明
正月早々帳簿の時間。いろいろひかれるものも多かったがなんやかんやでプラス分がでかく7,318万文まで増えるwww
「旦那様。楽しい楽しい帳簿の時間でございます」
ヨイチが帳面を抱えて入ってきた瞬間、博之は畳の上で顔をしかめた。
「全然楽しくねえよ。もう飽きたよ」
「飽きないでください」
「帳簿に飽きた飯屋って、どうなん?」
「潰れます」
「即答やめろ」
お花が横で茶を置きながら笑った。
「旦那様、正月の挨拶も終わりましたし、ここで一度数字を見ておかないと、後で怖いことになります」
「もう十分怖いんやけどな」
「前回でだいぶ細かく出しましたので、今回は増加減少分をがちゃがちゃ見るだけです」
「その“がちゃがちゃ”が嫌やねん」
ヨイチは無視して帳面を開いた。
「まず、四日市です。人が増えましたので、その分の人件費、寝床、飯、教育費、初期の支度金が
乗っております」
「四日市は港も城下も勢いあるもんな」
「はい。伸びています。伸びているから人を入れています。人を入れるから金が出ます」
「当たり前のことを怖く言うな」
「次に大和高田です。こちらも人が増えました。横丁の立ち上げも進んでおりますが、
本格的な収益計上は来期です」
「高田はまだ仕込みやな」
「はい。今は土を耕している段階です」
「飯屋の帳簿で土を耕すって言うな」
ヨイチは筆先で次の行を叩いた。
「奈良です。郊外だけでなく、横丁の立ち上げが進みました。これも来期に本格計上ですが、
二つ目の横丁が立ち上がった分、少しプラスが出始めております」
「奈良、もう立ち上がってきたんか」
「炊き出し、信楽焼の寄進会、肉あん、写経、香、筆、墨。このあたりがじわじわ効いています」
「最初あんな変な始まり方したのにな」
「飯を出せば、少しずつ変わります」
お花が静かに言った。
ヨイチは続ける。
「草津も似たような感じです。人を入れ、道を太くし、買い付け隊の荷を増やしています。
まだ大きな利益というより、通り道としての価値が上がっております」
「草津は大事や。そこが固まると、大津が見える」
「その大津です」
ヨイチの声が少し重くなった。
「大津は立ち上げに入ります。郊外に拠点を作るため、寺社への挨拶、地元への根回し、飯場、
荷置き場、人足の手配、炊き出し、すべて込みで六十一万文のマイナス計上です」
「六十一万か」
「京都周りですから、安くは済みません」
「まあ、そこはしゃあない。雑に入ったら絶対揉める」
「はい。大津は京都へ向かう草津筋の入口です。ここでケチると、後で高くつきます」
「そうやな」
「次に桑名です」
「尾張方面やな」
「はい。桑名も立ち上げで四十二万文のマイナスです。四日市から桑名へ、さらに熱田や常滑を
見ていくための足場です」
「九鬼水軍とも相談しながらやな」
「はい。港筋は勝手にやると危険です」
博之は頷いた。
「そこは丁寧にやろう。飯屋やけど、港は港の筋がある」
「さらに、項目漏れがありました」
「嫌な言い方やな」
「漏れておりました。細かな補修、追加のわらじ、奈良への写本輸送、伊賀の宿の修繕、
年末市の後処理、肉あんの値札刷り直し、その他もろもろで、約百万文のマイナスです」
「その他もろもろが百万文」
「旦那様の思いつきは、その他もろもろに入りがちです」
「俺のせいか」
「かなり」
お花が笑いをこらえながら言った。
「でも年末市は良かったですよ。各地で人が集まりましたし、買い付け隊の品もよく動きました」
「そう、それや」
ヨイチが帳面の別の行を示した。
「マイナスは合計で二百二十六万文ほどです」
「大きいなあ」
「大きいです。ただし、買い付けの方がさらに動いております」
「来たか」
「年末市が盛況でした。信楽焼、伊勢の小物、奈良の香や筆、草津経由の品、北伊勢の品。
各地でよく売れました。これを継続的にやる価値があると判断し、各拠点で五万文ずつ
買い増しします」
「各拠点五万文」
「はい。全体でかなりの増額になりますが、利益率は三倍で見ています。仕入れとの差し引き
二倍分を掛け合わせると、百五十万文ほどのプラスになります」
「買い付け隊、ほんま稼ぐな」
「道を作った意味が出ています。伊賀を越え、奈良へ流す。草津から大津へ見る。
津、四日市、桑名へ港の品を流す。品が珍しい場所へ行けば、値が乗ります」
「それは分かる。分かるけど怖い」
「怖がってください」
ヨイチは、最後の行を指で押さえた。
「前期の利益水準、今回の増減、買い付けの上乗せ、各地の立ち上げ費用を合わせまして、
総額は七千三百十八万文になります」
博之は動かなくなった。
「……七千?」
「七千三百十八万文です」
「やばい」
「やばいです」
「どんどん広がってる」
「広がっています」
「撒き方も考えなあかんな」
「はい。ただ撒けばいい段階ではありません。大津、桑名、奈良、高田、草津、伊賀。どこに、
どの意味で、どれだけ入れるかを決める必要があります」
博之は畳に寝転がったまま、天井を見た。
「丁寧にやっていこう」
「珍しく堅実ですね」
「京都が見えるからや」
その一言で、場が少し静かになった。
「大津が開ければ、次は京都が見える。草津から大津、大津から京都郊外。もう片方は奈良から宇治、
宇治から京都郊外。ここを交わらせる構想はある」
「はい」
「けど、京都はややこしい。無理に中へ入らん。郊外をちょっとずつやる。
寺社、宿場、飯場、荷置き場。そこからや」
ヨイチが頷く。
「京都市中へは急がない」
「急がない。無理なら観音寺方面や堅田でもいい」
「堅田ですか」
「うん。湖西に向けて広げるのも悪くないと思ってる。琵琶湖の水運があるやろ。
大津から京都へ無理に突っ込むより、堅田や湖西へ流して、また別の道を作るのもありや」
「六角方面、あるいは湖上の道ですね」
「そう。揉めるくらいなら、横に逃げる。道は一本やない」
お花が静かに言った。
「それは旦那様らしいです。真正面から取るのではなく、飯場と道を増やして、
自然に人が流れるようにする」
「そうや。京都に入ることが目的やない。砂糖や小豆、金型、情報、職人。
そのへんが手に入ればええ。無理に京都の真ん中で店を出す必要はない」
「堺も同じですね」
「同じや。堺もややこしい。いきなり中に入らん。職人を探す。金型の話が分かる鍛冶や
鋳物の人を探す。砂糖の筋を見る。それだけでええ」
ヨイチは帳面にまとめていく。
「今期方針。大津は立ち上げ継続。桑名は尾張方面の足場。京都は郊外を慎重に。無理なら観音寺、
堅田、湖西方面も検討。買い付け隊は各拠点五万文増。年末市は継続可能性あり。撒き方は丁寧に」
「それで頼む」
「ただし」
「ただし?」
「七千三百十八万文という数字は、かなり目立ちます」
「言うな」
「狙われます」
「言うなって」
「だからこそ、金を蔵に眠らせず、道、飯場、人、寺社、炊き出し、宿、買い付けに
変える必要があります」
「分かってる。持ってるだけが一番怖い」
博之は、少しだけ起き上がった。
「大津には二十万文どころか、もう少し厚めでもいいかもしれんな。ただ、最初から
でかく見せると怖がられる。炊き出し、宿の補修、寺社への挨拶、飯場。この辺で自然に出す」
「桑名も同じですね」
「桑名は港筋。九鬼水軍と相談。地元の顔役にも筋を通す。勝手に横丁を作って敵を作らん」
「奈良と高田は?」
「奈良は炊き出しと読み書きそろばんを続ける。高田は横丁が立つまで焦らない。
伊賀はトントンまで来たから、還元を忘れない」
「草津は?」
「大津へつなぐ前に、草津の人が置いてけぼりにならんように。通り道だけにされたら
面白くないやろ。草津でも市をやる。物が集まる楽しさを作る」
お花が頷いた。
「それなら、各地がただの通過点ではなくなりますね」
「そういうことや。通過点にも飯と楽しみがいる」
ヨイチは、静かに帳面を閉じた。
「では、今期は赤字項目も多いですが、全体としては大幅増。総額七千三百十八万文。
ここから先は、広げるよりも、広げた先を腐らせないことが重要です」
「ほんまそれやな」
博之は、再び畳に転がった。
「七千万文超えて、やることが炊き出しと宿の補修と市と飯場って、なんか変やな」
「それが伊勢松坂屋です」
「便利やな、その言葉」
お花が笑った。
「でも、そうやって町に銭と職を落としているから、受け入れられているんです」
「せやな。京都も堺も尾張も、同じようにやらなあかん。焦らず、揉めず、うまい飯を出す」
「はい」
ヨイチが最後に言った。
「旦那様。帳簿に飽きないでください」
「飽きた」
「飽きても見ます」
「つらい」
「七千三百十八万文を動かす飯屋ですから」
「ただの飯屋やのに」
「ただの飯屋は、大津と桑名を同時に立ち上げません」
広間に笑いが起きた。
新しい年の伊勢松坂屋は、さらに大きな数字と、さらに慎重な道を抱えて始まった。
京都は見える。
だが、急がない。
大津、宇治、堅田、桑名。
道はいくつもある。
今年もまた、飯と銭と仕事を、丁寧に撒いていくことになる。