作品タイトル不明
松坂の殿様から声がかかる。長野様の一件を話に行く。鯛と味噌の混ぜ飯、湯漬けをもっていく。四日市の先の瀬戸物を見てる
松阪の殿様から文が来た。
「面白い話があったらしいな。少し喋りに来い。あと、肉あんは前に食ったから、
何か新しいものを考えておるなら持ってこい」
博之は文を読んで、座敷に転がった。
「それが一番難しいねん」
ヨイチが淡々と言う。
「旦那様、普段は何もないところから降ってくるとおっしゃっているではありませんか」
「降ってくる時と、呼ばれて出せと言われる時は違うねん」
お花が笑った。
「では、最近お話しされていた鯛の混ぜ飯はいかがですか」
「鯛か」
博之は起き上がった。
「鯛の身をほぐして、味噌と合わせて飯に混ぜる。濃いなら湯漬け、お茶漬けにしてさらさら食う。
うん、ありやな」
そうして用意したのは、鯛味噌の混ぜ飯だった。
焼いた鯛の身を丁寧にほぐし、味噌と少しの醤油、刻んだ生姜を合わせる。飯に混ぜ込むと、
鯛の香りと味噌の塩気が立つ。別に、熱い湯と薄い茶も持たせた。
殿様の前に出すと、殿様は椀を覗き込んだ。
「なんじゃこりゃ」
「鯛味噌の混ぜ飯でございます」
「また妙なものを」
「ちょっと贅沢な遊び方ですわね。鯛の身をほぐして、味噌と混ぜまして、それを飯に合わせました。
濃いようでしたら、湯漬けなり茶漬けなりで、さらさら行くのも良いかと思いまして」
殿様は、まずそのまま一口食べた。
「……味が濃いな」
「はい。港町で鯛の塩焼きに飽きた人の、味変みたいなものです」
「味変、か」
殿様はもう一口食べた。
「いや、でも普通にうまいぞ。鯛の身が飯に絡んで、味噌の香りが立つ。これは飯が進むな」
「ありがとうございます」
「湯をかけてみい」
博之は椀に熱い湯を少し注がせた。鯛味噌がほどけ、飯の間から香りがふわりと上がる。
殿様は、さらさらと口に運んだ。
「これはありやな。食が進まん時に食うたらうまい。酒の後でもいける」
「そうなんです。疲れた旅人とか、湯浴みの後とか、食が細い人にもいいかなと」
「お前、ほんま飯のことになるとよう考えるな」
「帳簿から逃げているだけです」
「逃げるな」
殿様は笑い、それから顔を少し変えた。
「それで、長野とまた揉めたらしいな」
「揉めたというか、向こうが信楽焼をもっと流してくれ、うちのものももっと買ってくれ、
肉あんも見せてくれと、あれしたいこれしたいで来ましたので」
「袖にしたか」
「はい。その上で、信楽焼を買う難しさを味わってもらうために、少し芝居を打ちました」
「芝居?」
「長野の若者に、伊勢松坂屋の袴なしで、伊賀を越えて信楽まで行ってもらいました。
うちの買い付け隊の後ろにはつけましたけど」
殿様は、箸を止めた。
「お前、それで若い衆をぼろぼろにしたんか」
「それぐらいしないと、伊賀を越える意味が分からなかったんです」
「まあ、分からんやろうな」
「宿に断られ、寺で五百文取られ、信楽ではまともに相手にされず、うちの買い付け隊だけが
奥へ通される。それを見て、ようやく分かったようです」
「で、長野の殿は?」
「最初は怒っていたそうですが、最終的には飲み込んだようです。もし怒り狂って、
若者を叩き切るようなら、うちへ来いとは言っておきました」
殿様は吹き出した。
「お前、火種を抱え込む気やったんか」
「三倍の給金で雇うつもりでした」
「恐ろしい飯屋やな」
「失敗した若者を切るようなところなら、付き合い方を考えますから」
殿様は笑いながらも、少し感心したように頷いた。
「まあ、しばらくは長野も何も言うてこんやろう」
「そう思います。いい薬になったかと」
「それで反省せんかったら、うちとしても滅ぼしがいがあるんやがな」
「そんなことしなくても、勝手に崩れていく可能性もありますけどね」
「ほう」
「津の立地をちゃんと生かせてない時点で、商売のセンスは薄いです。港が中継地点になるわけじゃないですか。あそこを整えて、銭を落とし、船を集め、人を雇い、兵糧や武器を買えるようにすれば、北伊勢の国人衆にももっと強く出られるはずです」
「お前、飯屋のくせに嫌なところを見るな」
「飯屋だから見えるんです。港に飯場があるか、荷が休めるか、銭が落ちるか。そこが弱いと、
人も物も逃げます」
「なるほどな」
殿様は、鯛味噌の茶漬けをすすりながら言った。
「わしもそんなこと言われんように、ほどほどにやらなあかんな」
「殿様は、うちと仲良くしてくださっているので」
「お前と仲良くしておけば、銭が落ちそうやからな」
「正直でございますね」
「正直が一番や。お前のところは、うちがどうなっても生き残りそうやしな」
「それは勘弁してください」
「でも、飯は残るやろ」
博之は少し黙った。
「それは、そうかもしれません」
「内宮の端で店を出してる時点で、百年続くと言われてもおかしくない。伊勢神宮を滅ぼそう
なんて者は、さすがにおらんやろ」
「いるわけないでしょう」
「おらんな」
二人は笑った。
殿様は、また鯛味噌飯に湯を足した。
「ところで、お前、北の方も行くんか」
「四日市の話が来ています。さらに先には瀬戸物を見ています」
「瀬戸物か。そりゃ欲しいな」
「やっぱり欲しいですか」
「信楽焼より、もう一つ格が上がるやろ。上客向けや、贈答にはいい」
「ただ、高いです。大量には無理です。少量を、殿様向けや上司向け、あとはうちの古参衆に
売るくらいですかね」
「古参衆に売る?」
「はい。うちの古参、金を貯め込みすぎなんです」
殿様は笑った。
「お前、自分の部下をなんやと思ってるんや」
「銭を抱えて腐らせている人たちです」
「ひどいな」
「飯と寝床があるから、給金が減らないんです。信楽焼を一人一個までと言って売ると、若い衆も
買えます。でも古参衆はまだまだ持っている」
「だから瀬戸物を売るのか」
「はい。信楽焼を部屋いっぱいに並べても仕方ないでしょう。瀬戸物なら高い。上等。見栄も張れる。
古参衆の銭を外へ出せます」
「完全に狙ってるな」
「銭は回さないと危ないです」
殿様は腹を抱えて笑った。
「お前、飯屋やのに、部下の貯金まで気にするんか」
「気にします。銭を持ちすぎると狙われますし、町に流れません。使わせるなら、
器、服、紙、墨、茶、菓子。そういう形がいい」
「なるほど。瀬戸物は古参衆の銭抜きか」
「言い方が悪いです。上等な暮らしの提案です」
「同じや」
殿様は笑いながら、最後の鯛味噌茶漬けを食べきった。
「この鯛味噌飯も、店に出すんか」
「まずは松阪と鳥羽で試します。伊勢では少し上品にして、湯漬けとして出すのがいいかもしれません」
「これは売れるぞ」
「また帳簿が増えます」
「増やせ。銭が増えたらまた器を買え」
「殿様までそんなことを」
「お前が言うたんやろ。銭は回さなあかんと」
博之は苦笑した。
「では、鯛味噌飯、試してみます」
「うむ。次は何を持ってくる」
「それを聞かれるのが一番困ります」
「どうせまた降ってくるやろ」
「帳簿から逃げたら」
「だから逃げるな」
座敷に笑いが広がった。
鯛味噌の混ぜ飯は、ただの新しい飯ではなかった。
港町の鯛を、松阪の味噌でまとめ、湯漬けにして食べる。
鳥羽、伊勢、松阪をつなぐ飯。
そしてその席では、長野の失敗、津の弱さ、瀬戸物への道、古参衆の貯め込みすぎまで、
全部が飯の上で語られていた。