作品タイトル不明
博之がゴロゴロしていると肉あんの話を聞きつけた城主から連絡がくる。肉あんを食べながらこの状況は領地が安定しているおかげもあるぞと言われるwww
博之は、いつものように座敷でごろごろしていた。
信楽焼の小皿、御礼札の見本、肉あんの試作帳、柚子はちみつ湯の売上メモ。
周りには、最近また増えすぎた紙が散らばっている。
そんな中、博之が急に言った。
「そうそう。草津方面にも伸ばすぞ」
ヨイチが帳面から顔を上げた。
「草津ですか」
「うん。信楽の先や。草津まで行けたら、瀬田、大津、京都の匂いがしてくるやろ。
砂糖、菓子、紙、針、茶、調味料。京都の情報を取るなら、そこを押さえとかんとあかん気がする」
お花が静かに頷いた。
「信楽から草津、瀬田、大津。商いとしては自然ですね」
「そうやろ。で、草津は人も多いやろうから、街の横丁と郊外の横丁を三つずつぐらい
考えてもええかなと」
ヨイチの筆が止まった。
「旦那様、また大きく出ましたね」
「いや、今すぐ全部やるとは言ってへん。構想や、構想」
「旦那様の場合、構想と言った時点で、だいたい半分動き始めています」
「ひどい言い方やな」
「事実です」
博之は少しむくれながらも続けた。
「でも、出すとしても松阪や伊勢から人を抜きまくるんじゃなくて、信楽とか名張のメンツからやな。
あっちの雇い口にもなる。信楽は皿の道、名張は砂糖の道やけど、その先に草津ができたら、
あの辺の子らも“自分らの先がある”って思えるやろ」
「それは大事ですね」
お花が言った。
「今はどうしても、本店や伊勢に支えられているという感覚があります。信楽や名張の者たちに、
自分たちが次の道を作っていると思ってもらえれば、やる気も変わると思います」
「そうやねん。だから情報収集だけは先にやっといてくれ。草津で何が売れるか。
瀬田で何が取れるか。大津で京都の何が拾えるか。まずそこや」
ヨイチは帳面に書き込んだ。
「草津方面調査。信楽・名張から人員候補。街横丁三、郊外横丁三は構想段階」
「構想段階ってちゃんと書いとけよ」
「はい。ただし、赤丸をつけておきます」
「赤丸いらん」
「忘れるので」
「俺が?」
「旦那様が」
座敷に笑いが起きた。
博之は、今度は周りの古参衆や女衆を見渡した。
「あと、みんなもっと金使えよ」
急に話が変わったので、女衆たちが顔を見合わせる。
「金、ですか」
「そう。給金も増えてるし、買い付け隊の金額もでかくなってる。ヨイチなんか、
どうせ金持ってるやろ」
ヨイチは平然と言った。
「一万文を超えたあたりから、細かく数えるのはやめました」
「それがあかんねん」
「旦那様がそれを言いますか」
「俺は怖いから言うてるんや。銭は抱えたら腐る。ちゃんと町に流せ。飯屋、茶屋、甘味屋、
道具屋、信楽焼、伊勢小物。休みの日は外で飯を食え。御礼札も置け。ちゃんと礼を言え」
お花が微笑んだ。
「町にも飯がある、ですね」
「そう。それや。うちだけで飯も金も抱え込んだら嫌われる。うちの飯を食うのはええ。
まかないも食え。でも、外にも食いに行け。町と仲良くしろ」
「回覧板に追記しておきます」
ヨイチが言った
「“給金を抱えすぎず、町へも銭を回すこと。威張らず、値切らず、礼を言うこと”ですね」
「それで頼む」
そんな話をしているところへ、松阪の上の方から呼びが来た。
「また面白いものを作ったらしいな。持ってこい」
博之はため息をつきつつ、肉あんと柚子はちみつ湯を持って屋敷へ向かった。
屋敷に着くと、殿様はすでに面白がる顔をしていた。
「また新しいもんを出したらしいな」
「はい。一口肉あんでございます」
「肉あん?」
「薄い皮で、刻んだ肉や野菜の餡を包んで焼いたものです。六つ入りで、ひとつだけ小エビを
入れた赤いものを混ぜております」
「また妙なことを考えたな」
殿様は一つ食べると、しばらく黙った。
「……うまいな」
「ありがとうございます」
「この赤いのがエビか」
「はい。高いので一つだけです。全部を高くするのではなく、ひとつ珍しいものを入れて、
皆で話しながら食べてもらう形です」
「お前は飯に会話を混ぜるのが好きやな」
「縁がないので、会話のきっかけばかり考えております」
殿様は笑った。
「それで、この柚子の湯は?」
「柚子とはちみつを湯で割ったものです。湯浴みどころで始めたところ、かなり受けております。
夏場は冷やして出す予定です」
「これは誰の案や」
「お花さんでございます」
「ほう。とうとう周りまで飯を考えるようになったか」
「私が帳簿から逃げておりますと、周りからも飯が降ってくるようになりまして」
「逃げるな」
「はい」
殿様は柚子はちみつ湯を飲み、満足そうに息を吐いた。
「しかし、お前がこうしてごろごろ飯のことを考えていられるのは、うちの領地が安定している
からやぞ」
その言葉に、博之はすぐに頭を下げた。
「それは、本当にその通りでございます」
「分かっておるか」
「はい。戦や小競り合いが大規模二なり店が狙われたら、うちは終わりです。うちは武装集団では
ありません。侍衆もおりますが、あくまで買い付け隊や荷の安全を守るためです。商いが
できているのは、殿様の領地経営の賜物でございます」
殿様は少し目を細めた。
「殊勝なことを言うようになったな」
「怖いからでございます」
「正直やな」
「はい。ただ、もう一つ思うことがあります」
「何や」
「よその領地でも、うちがあまり荒らされないのは、正直、うちの規模が大きくなったからだと
思います」
「ほう」
「伊勢松坂屋に手を出すと、飯が止まる。買い付けが止まる。評判が悪くなる。そういう空気が、
少しずつできてきている気がします。別にこちらから言うわけではありませんが、
手を出しにくい店になってきたのは大きいかと」
殿様はにやりと笑った。
「なんや、わしを脅す気か」
博之は慌てて頭を下げた。
「まさか。私はただの飯屋でございます」
「ただの飯屋が、信楽、名張、草津、北伊勢、大和八木まで見ておるか」
「飯のためでございます」
「その飯屋が一番怖いわ」
殿様は笑いながら、もう一つ肉あんを取った。
「まあええ。草津の話も、北伊勢の話も、進めるなら筋を間違えるな。松阪の顔は立てろ」
「はい」
「それと、また新しい飯ができたら持ってこい」
「結局そこですか」
「そこや。情報も大事やが、飯がなければお前を呼ぶ意味が半分になる」
博之は苦笑した。
「では次は、草津の餅か、瀬田のしじみか、大津の甘味かもしれません」
「もう考えておるやないか」
「帳簿から逃げると、出てくるのです」
「だから逃げるな」
屋敷に笑いが広がった。
草津へ道を伸ばす話も、町へ銭を返す話も、肉あんも柚子はちみつ湯も、全部つながっている。
博之にとっては、政治ではない。
戦でもない。
ただ、飯を作り、人を食わせ、道を伸ばしているだけだった。
けれど、その飯屋の道は、もう殿様が笑いながらも目を離せないほど、広くなっていた。