作品タイトル不明
太客ゲットか?
ローザは店のバックヤードで帳簿をつけながら、ほくほくする。
バスボムは右肩上がりだ。収益が増えていくと笑いが止まらない。
だが、ローザは思う。
「これを一過性のものにしたくないわよね。そう! 前世のお笑いにたとえれば、一発屋」
ローザはときどきどうでもよい前世知識を思い出してしまう。それがつらい。
(もっと肝心な漫画の展開とか思い出したいのに!)
内心歯噛みしながらも帳簿の数字を追っていると、ノックの音が響いた。
返事をするとヘレナが顔を出す。
「お嬢様、お客様でございます」
「はい、今店にいきますね」
「いえ、それが……」
ローザは帳簿をぱたんと閉じて目を上げる。
「こんにちは、クロイツァー嬢」
ヘレナの後ろには塑像のように美しいイーサンが立っていた。
眼福と感じるより、ローザの頭に疑問符が浮かぶ。
(え? 何しに来たの? ここバックヤードよ? なぜ、気軽にやってくるの?)
ローザの思いをよそに、ヘレナが二人分の茶の準備を始めてしまう。
心の中では諦め、表情筋は微笑みで固める。
ローザは丁寧に粗末な椅子をすすめた。
これは嫌味ではなく、本当に粗末な椅子しかないのだ。
ローザが店の内装とバスボム作業場に金をかけ過ぎた結果、バックヤードが無残なことになってしまったのだ。
父曰く、笑顔は商人の武装である。
だから、ローザは毒殺犯候補のひとりである、イーサンも笑顔で迎え入れるのだ。
そもそもクロイツァー家は貴族で元をたどれば建国の騎士だったのだが……。
「なぜ、そんな不思議そうな顔で見るんだい?」
イーサンに問われ、ハッとする。
「え? 私は微笑みを浮かべているだけですが?」
ローザの向かいにある粗末な椅子に腰かけ、イーサンがため息をつく。
「君が言ったのではないか。バスボムについて忌憚のない意見をきかせろと。だから私はここへ来たんだ。それとも店内で語ったほうがよかったか?」
イーサンの言葉にローザは驚愕する。
(まじめかっ!)
「そうでした! わざわざ足をお運びくださり、ありがとうございます」
確かに何の用もなく、イーサンがこの店に来るわけがないのだ。
「使い心地はよかった。だから、私の患者に渡したい。それで、相談なのだが少し改良して欲しい」
そう言ってイーサンはガサゴソと袋から、草をとり出す。フレッシュなものもあれば、乾燥させたものもある。
「これらの薬草を使って、バスボムは作れるか?」
一瞬手土産でも持って来いよと思ったが、なんと新規注文だった。
ローザにはそのほうがずっと嬉しい。
「これ、草をそのまま入れるわけではありませんよね?」
一応イーサンに確認し、その後ローザはイーサンとバスボムの改良について話し合った。
まさか医療用に使うとは思いも寄らない。治癒師ならではの発想だ。
「試作品の段階から、私が試したい。もちろん、その分の料金も支払う」
(上客だわ! 太客がついたわ! しかも治験? までやってくれるの?)
「うけたまわりました! それで期限はいつまででしょう」
「私が納得のいく商品ができるまでだ。もちろん開発にかかった金も払う。人件費もかかるだろう」
(よくわかっていらっしゃる)
ローザの気分は浮き上がる。
「はい、かかります! うちは、残業した分は割増料金なので」
本来、バスボムの材料は金箔などのオプションをつけなければ廉価なのだが、人件費を込みで考えると金額を抑えることができないのだ。
ローザとて暴利で売っているわけではない。
それは父の教えでもある。
イーサンはローザの元気のいい返事を聞いて満足そうに紅茶を飲むと、おもむろに切り出した。
「それから、君は精力的に夜会に出ているようだけれど情報は、集まったのかな?」
どうやら、おかしな噂のことも気にしてくれていたようだ。
「なかなかむずかしいものですねえ」
ローザは首を振る。
「君は中立派を数人味方につけたようだね」
「滅相もない、彼らはバスボムを買いに来るだけですよ」
「しかし、アルノー家の派閥の考えは違う。このままでいくと今までの均衡が崩れるかもしれない」
「それは困りましたね。できれば誰からも恨みを買いたくないのですが」
本当にローザは困った。
しかし、商売はやめられない。
目的は逃亡資金を貯めることなのだから。
「中立派のイプス家のご令嬢と良好な関係を築いていると聞いたが?」
確かにバスボムを渡して以来、妙にジュリエットに懐かれている。
相変わらずジュリエットはローザにツンデレ気味だが、中立派のバスボム広告塔になってくれているようだ。
「まあ、こちらも商売ですから。と言いたいところですが、貴族なのでバランスを考えなければなりませんね」
(さあ、どうしましょう?)
もっともクロイツァー家の面々はそのようなことは気にしていないが、没落する将来を知っているローザはそうもいかない。
ローザの場合、家が没落する前に毒殺される予定だが。
アルノー派が、毒殺犯だとするとローザの敵はびっくりするほど増えることになる。
やはり、ここは少なくとも中立派には恨みを持たれたくない。
できるだけ犯人を絞りたいので、悩みどころだった。
「それで、対立派閥から情報は取れたのかい?」
「いいえ、さっぱりですわ。ジュリエット様に協力していただいているのですが、一か所からではないようなのです」
ローザは降参というに肩をすくめた。
イーサンはローザの言葉に頷くおもむろに口を開く。
「それと……アレックスからまだ何か言ってくるか?」
イーサンの瞳がほんの少し陰る。
やはり甥が心配なのだろう。
「見舞いだと言って、お手紙とお花が届きます。王族も大変ですね、いろいろと体面があって。でも私はアレックス殿下には幸せな結婚をしていただきたいです」
「女性は一度見限るとあっさりしたものだね」
「あら、女性に限りませんよ。性格だと思います。淑女を泣かせる殿方もたくさんいるではないですか」
「なるほど、それは失礼した」
金払いがよく、潔く己の非を認めるところは評価に値するとローザは思う。
そう金払いがいいのは大事。ローザはキャッシュが大好きだ。ちなみにこの店はつけはノーで通している。
宝飾品に比べたら、バスボムはずっと廉価なので、そんなものをつけで買われたらたまったものではないからだ。
高級店が並ぶ目抜き通りからもほんの少し外れているので、貴族の常識ではなく、庶民感覚で買い物して欲しい。