軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

仮死の術Ⅱ

ナイルの手が止まったことにいち早く気づいたミレーユは、いっそう身を縮こまらせて頭を下げた。

すでにナイルやその場にいた女官たちには謝罪していたが、申し訳ない気持ちは消えない。

目が覚めた瞬間、ナイルの血色の悪い顔色を見てしまったからこそ特に。

「せめて事前にお伝えしておくべきでした。母国では、いつもルルが来るより早く目覚めていたので、《仮死の術》を施した自身の状態を、すっかり失念しておりました」

「まぁ、その場に居合わせたのが私ではなく、ナイルだったのはよかった。もし私が知らずにその場面に遭遇していたら、動転するあまり、南の大陸を火の海に沈めているところだ」

「――!? い、以後気をつけます! 気をつけますので!」

カインは笑いながら言うが、ミレーユはまったく笑えなかった。

竜王である彼には、容易くそれを実行に移すだけの力がある。想像しただけで背筋に冷や汗が落ちた。

ミレーユが必死に謝罪を繰り返していると、いままで沈黙していたナイルがカッと目を見開き、「留意していただくべきはそこではございません!」と声を荒らげた。

「一番の問題は魔術そのものではなく、術を施すに至った経緯です!」

「へ?」

勢いに押され、ミレーユは目を瞬く。すぐにはナイルの怒りの意図を理解することができなかったのだ。

「ミレーユ様の夜更かしの原因は、すべて花嫁衣装のせいではありませんか! やはり針仕事など、花嫁がすべきものではございませんでした。こうなれば、即刻お止めいただきます!」

まさかの通告に、ミレーユの口から思わず「ふぇっ!?」と、素っ頓狂な悲鳴が零れる。

「で、ですが、私が任されていた部分の花嫁衣装はもう終わっておりますし、あとはカイン様のご衣装のみで……」

「では、そちらについては別の者に仕事を回しましょう」

「えぇ!?」

「婚儀まではお身体を第一に、長時間の読書も禁止です! 婚儀が終わるまでは本も没収させていただきます!」

「っ、それだけは……! もう身体も回復いたしましたし、以後気を付けるとお誓いします!」

実際、目覚めるタイミングについてはうまく調整できなかったが、そのぶん威力は良好で、体力はしっかりと回復された。 お蔭で肌の艶も蘇っている。

そもそもミレーユが自身の睡眠時間を削ってまで花嫁衣装に精を出していたのも、自分の分を早く終わらせ、カインの衣装に時間を割きたかったからだ。

昨夜は、明日からカインの婚礼衣装に着手できると喜び、一息ついたところで本に手を伸ばしてしまった。

(どちらも取り上げられてしまう事態だけは、何とか回避しないと!)

何よりカインの婚礼衣装を手伝いたいと言い出したのは自分だ。ここで諦めるわけにはいかない。

「み、皆様、婚儀の準備でお忙しいでしょうし、手が空いている方もいらっしゃらないのではないでしょうか? やはり、私が――」

「婚姻の儀では、花嫁と花婿の衣装は対が必須とされていますが、あくまで儀礼的なもの。期日中に間に合わなければ、仮式のときのものを使いまわせば事足ります。ミレーユ様が無理をなさる必要などございません」

困窮国生まれのミレーユからすれば、衣装の使いまわしが節約のためというなら納得もできる。

だが、花嫁衣装には千着という膨大な量を仕立て、大量の虹石と宝石を使用しているのだ。

これだけ贅を尽くしているのに対し、花婿の衣装が使いまわしとあっては、とても納得などできない。

けれどナイルの意志は固く。

「いくら魔術で体力を回復されたとしても、ミレーユ様が無理をなさった事実は変わりません。大切な御身を、しかも婚儀前に……。衣装制作がミレーユ様たっての願いとはいえ、これ以上、御身を酷使するような状況を捨て置くわけには参りません!」

キッパリと強く宣言されれば、これ以上押し通すことはできなかった。

楽しみにしていたカインの婚礼衣装の作成。本の没収という決定に、ミレーユはしょぼんと肩を落とす。

ミレーユに対しては過保護なナイルの決定に、一連のやり取りを黙って見守っていたカインは、慰めるように言った。

「私の婚礼衣装を手掛けてくれるのは嬉しいが、やはりミレーユの身体の方が大事だし、無理はしてほしくない。それに手持ち無沙汰なら、午後はゆっくりとお茶でも」

しようと言い終わる前に、ナイルが睨みを利かせる。

「――カイン様。ミレーユ様の自室に乱入されたことについてはまだ許しておりませんよ。あれほど婚儀前の花嫁にはむやみに近づかぬよう再三申し上げても、貴方というお方は一向にお守りになられない。本来会うこともかなわないのが慣例であることを、よもやお忘れですか?」

ショックにうな垂れていたミレーユだったが、これにはハッとして顔を上げた。

確かにドレイク国を訪れた初日、ナイルは婚姻の儀まではカインと会うことは難しいと言っていた。あのときはこちらの無理を通して謁見を頼んだが、それも特例。

(花嫁の行違いの一件が解決した後も、カイン様から「これはお互いの意志疎通が足りなかったせいだ」と、度々お誘いを頂いていたけれど、本来は禁則事項だったなんて……)

「カイン様のお気遣いに甘え、私はずっと禁忌を破らせていたのですね」

「いや、それは違う! 別に禁忌というわけでは!」

狼狽えるカインの代わりに、ゼルギスが間に入った。

「ミレーユ様、その点についてはお気になさらないでください。どうせ明日からは、食事を共にする時間もないほどカイン様は業務に追われます。これで慣例にも抵触いたしません」

これに驚いたのはカインだ。

「ちょっと待て。そんな話は聞いていないが!?」

「婚儀の支度も佳境に入り、仕事は山ほどございます。早めにお伝えすれば駄々をこねられるのは目に見えていましたので、ギリギリまで黙っておりました」

さらりとのたまうゼルギスの説明に、カインの額に青筋が浮かぶ。

「お前……、ミレーユの前なら私が拒否できないと知っていてこの場で開示したな!」

「はて、なんのことでしょう?」

ぐぬぬと睨むカインと、素知らぬ顔でにこやかな笑みを浮かべているゼルギス。

ミレーユはそんな二人を交互に見つめ、頭を悩ませた。

つまりこれは、婚儀の日までカインとはろくに会えないということになる。

針仕事は没収。本も読めず。カインと会うこともできない、となれば……。

(私、婚儀までいったい何をして過ごしたらいいの?)

❁❁❁

ナイルがミレーユの身体に支障をきたすものをすべて撤去するよう命じたのは、それからすぐだった。

ミレーユの朝餐が終わる前にと下命を受けたセナが、本を別室に移動させるよう指揮を取っていると、けだまがトコトコとやってきた。

「あら、もうご飯は終わったの?」

声をかけると、けだまは返事をするように一鳴きして、テーブルに置かれた本に興味を示した。

前足でぽふぽふと触っている姿は愛らしいが、ここにある本はすべて花嫁のためのもの。セナは苦笑しながらけだまを抱き上げた。

「イタズラしてはダメよ」

「にゃぁーん」

優しく注意しながらふわふわの身体を長椅子に移動させると、さきほどけだまが興味を示していた本を回収すべく腕を伸ばす。

「――あら?」

突然窓から入った強い風がパラパラとページをめくりあげ、思わずセナの手が止まった。

その本は、どのページも真っ白だったのだ。よく見ればタイトルもない。

「こんな何も書かれていない本を、なぜミレーユ様はお手に取られたのかしら?」

奇妙な本を手に、セナは首を傾げた。