作品タイトル不明
消えた竜印Ⅲ
震える指を握り締め下を向くミレーユに、ルトガーは「大丈夫ですか?」と声をかけつつ、強張っている肩に手を伸ばした。
しかし、その手はミレーユの肩に触れる前に、彼の後ろから現れた人物によって阻止される。
「ミレーユから離れろ!」
「――カイン様……」
いままさに思いを巡らせていた人物の名を、ミレーユは茫然と呟く。
カインは剣吞な表情で、ルトガーの腕飾りごと掴んだ腕を押しやると、ミレーユから引き離すように二人の間に入った。
「私の花嫁になんの用だ」
平坦な口調ながら、その声はゾッとするほど冷たく、言い知れぬ怒りを発していた。
威圧の込められた紅蓮の瞳に射貫かれ、ルトガーは弾かれるように後ずさる。
彼の肩に乗っていたフェイルも、野生の勘で危機を察したのか、脅えるような鳴き声を上げた。
ルトガーはフェイルの混乱を宥めるようにひとなですると、空へ放ち、カインに対して深い礼を取った。
「これは赤竜王陛下。正式な場では何度か拝謁を賜りましたが、これほど近くでお会いできるとは。私はイーグル国鷹族領主の」
「名は覚えている。ルトガー・イーグル」
ルトガーが少し驚いたように目を見開いた。
「……左様でしたか、これは失礼を。覚えていただいていたとは知らず」
「儀礼的なやり取りは求めていない。私の花嫁になんの用かと聞いているんだ」
ルトガーから隠すようにカインの背に庇われていたミレーユは、彼の険しい声にハッと我に返った。
まったく状況は違うが、このままではスネーク国の王子、ヨルムのときと同じ展開になる危険性を危惧したのだ。
「カイン様、ルトガー様は、私が声をかけさせていただいていたのです!」
「禁止されている区画には入っておりません。花嫁殿とお会いしたのも偶然でございます」
「…………わかった」
両方の主張に、カインは一応納得した様子を見せるも、ミレーユを背に隠すことは止めず。
「だが、南の大陸の者なら、竜王の花嫁がいかに特別な存在かは重々承知しているだろう。今後、私の許可なくむやみに近づくことは許さない」
冷淡な命令に、ルトガーは「心得ました」と短く告げると、いまいちど深く頭を垂れ、静かにその場を去った。
上位種族同士のやり取りをただ見守ることしかできなかったミレーユは、去るルトガーに一言詫びようとカインの背から離れようとしたが、それより先に焦りのこもった声で問われる。
「ミレーユ、なぜこんなところで一人でいるんだ?」
「申し訳ありません。空の庭園からエリアス様のお姿をお見掛けして、つい……」
「母上なら半時前に戻ってきたが、……会いたかったのか?」
「はい。ドレイク国の王妃としての心構えを教えていただければと」
予想だにしなかったミレーユの言葉に、カインは片眉をあげた。
「そんなものミレーユには不要だろう。君は私の花嫁になるのであって、国の花嫁になるわけじゃない」
「ですが……」
彼が竜王である以上、王妃としての役割はそう簡単に切り離せる問題ではないはずだ。
(それとも、私ではそれほどの重荷に耐えられないと、最初からあきらめられているの?)
だから竜王の儀式のことも教えてもらえなかった?
(違うわ。カイン様はそのような方ではない!)
意図的に排除しているのではない。ミレーユの心を慮って差配しているだけ。
分かっている。
それでも――――。
❁❁❁
瞳を伏せ、頬を強張らせるミレーユに、カインは動揺した。
ここ最近は婚儀の準備ばかりに時間を取られ、ミレーユと過ごせる時間は皆無。
その間に、彼女の中で自分との婚儀に対する不安が出てきたのではないかと焦る。さきほどミレーユの傍にいたルトガー・イーグルのことも気にかかる。
イーグル国の王としての手腕や、国民に対する慈悲は申し分ない男だとは聞いているが、だからといってミレーユと二人で話すなど言語道断。
たとえそれが偶然であったとしても許せないと言うのが本音だったが、スネーク国のヨルムと違い、ミレーユに対して無礼な振る舞いをしていない状態で、竜族独特の悋気を振り回すわけにもいかない。
(あの場では、なんとか我慢したが……)
我慢していただけで、ルトガーに対する苛立ちは皆無ではなかった。
ミレーユの頬の赤みが抜け落ちたような真っ青な顔を見ればなおさらだ。
「本当にルトガーとはなにもなかったのか? それにしては、顔色が悪い」
「これは……、空の庭園から走ってきたので、少し酸素が不足してしまっただけですわ。どうしても、エリアス様にお会いしたくて急いだのですが、私の足では間に合わなかったようです。少し休んでいれば、すぐに治りますから」
弱くほほ笑みながら、ミレーユが頬に手を当てる。その指先は頬と同様に、赤みが抜け白くなっていた。
「どうしても母上に会いたいと言うなら場を設けよう。帰って来てすぐにナイルに婚儀の打ち合わせをすると連行されていたが、そろそろ終わるだろう」
少しでも気がかりが払拭できるなら叶えてやりたいと告げれば、ミレーユが返事をするよりも先に、その張本人がカインの背から顔を出した。
「私がどうした?」
相変わらず清々しさと凛々しさを纏い、遺憾無く美青年ぶりを発揮している母の登場に、カインの眉間の皺が深くなる。