軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第30話 リリーヌの手紙/元夫からの最後の書簡

カルヴァレンへ出発する朝、リリーヌから手紙が届いた。封筒は実家の男爵家のものではなく、安い無地の紙だった。宛名は少し不揃いだが、丁寧に書かれている。私は馬車に乗る前、翻訳組合の玄関でそれを開いた。イザベル様。

証言書の件ではお世話になりました。実家に戻ってから、父に辞書を買ってもらいました。最初は笑われましたが、証言書の写しを見せたら、もう笑いませんでした。わたしは今まで、知らないことを可愛いと言われてきました。知らないままでいると、誰かが守ってくれると思っていました。でも、知らない紙に名前を書くことがどれほど怖いか、今は少し分かります。

この手紙は、自分で書いています。誤字があれば、次は直します。リリーヌ・オルフェ。私は手紙を畳んだ。サラが覗き込む。

「何て書いてありました?」

「自分で書いたそうです」

「リリーヌ様が?」

「ええ」

サラは複雑な顔をした。

「わたし、まだ好きじゃないです」

「私も、好きとは違います」

「でも、手紙はちゃんと書いたんですね」

「そうね」

人は、一度間違えたら終わりではない。けれど、間違いを認めたからといって、すぐ許されるわけでもない。その間にある長い道を、リリーヌは歩き始めたのだろう。私は返事を書くことにした。短く。手紙を受け取りました。自分で書いた言葉は、読み手に届きます。誤字は三つありますが、意味は通じています。次の手紙で直しましょう。

少し厳しいかと思ったが、リリーヌにはその方がよい気がした。馬車が動き出す。王都の門を抜けると、道は国境へ向かって伸びていた。サラは窓の外を見ている。オリーヌは旅程表を確認し、マルタは膝掛けを整えてくれた。エルネスト様は別の馬車で先導している。

カルヴァレンへ向かう道は、かつて停戦交渉の書類で何度も見た道だった。紙の上の線を、今は自分の体で進んでいる。途中、川町に近い宿駅で休憩した。ニコとミラが見送りに来ていた。ミラは救護院から一時的に働き始めたばかりで、今は正式な雇用契約を学んでいるという。

「名前、書けるようになりました」

ニコが得意げに見せた紙には、少し曲がった文字で自分の名が書かれていた。サラが負けじと、自分の署名を見せる。二人で互いの字を笑い合っている。その光景を見て、私はリリーヌの手紙を思い出した。知らないままでいることを可愛いと言われてきた。

それは貴族令嬢だけの話ではない。読めない人を読めないままにしておく社会は、いつでも誰かを利用できる。だから、読む力は少しずつ広げる必要がある。馬車へ戻る前、エルネスト様が私の隣に来た。

「何を考えている」

「手紙のことです。リリーヌ様が、自分で書いてきました」

「そうか」

「人は変われるのでしょうか」

「変わる者もいる。変わったふりをする者もいる。だから、言葉と行動を両方見る」

「外交官らしい答えですね」

「あなたの影響だ」

私は少し笑った。馬車の車輪がまた動き出す。王都を離れ、国境へ向かう道は、思っていたより明るかった。

国境へ向かう途中、外務院から転送された書簡が届いた。差出人は、アルマン・ヴァルニエ。私は宿駅の小さな部屋で封を開けた。エルネスト様は同席しなかった。元夫からの私信だからだ。サラは外で馬に人参をやっている。オリーヌは資料を整理し、マルタは静かに茶を置いてくれた。

書簡は、意外なほど短かった。 イザベル。補償金の第一回支払いを行った。裁判所の指示通り、慰謝料ではなく報酬として記録した。南書庫は外務院へ移送された。残っていた私物のうち、君のものと思われる万年筆置きと、父君の古い地図を別送する。

私は、君が何をしていたのか、今になって少しずつ読んでいる。遅すぎるが、読んでいる。これが最後の私信になるだろう。 アルマン 私は手紙を読み終え、しばらく黙っていた。謝罪の言葉はない。恋しさもない。未練を引きずる情の濃い文でもない。

ただ、報酬として記録したこと、私物を返すこと、少しずつ読んでいることが書かれていた。それでよかった。これ以上の長い言葉は、かえって私を疲れさせただろう。マルタが静かに尋ねた。

「お返事は」

「出します」

私は便箋を出した。 ヴァルニエ侯爵閣下 第一回支払いの記録を確認しました。報酬として扱われたことを受領します。私物の返送についても確認次第、裁判所記録へ追記します。これまでの私信については、本書をもって終了とします。イザベル・レヴィエ

書き終えて、少し迷った。冷たすぎるだろうか。しかし、もう温かくする必要はない。私たちは夫婦ではない。長い過去があり、清算すべき記録があるだけだ。私は署名し、封をした。宿駅の廊下へ出ると、エルネスト様が窓際に立っていた。

「大丈夫か」

「はい」

「最後だったか」

「おそらく」

彼は頷いた。

「寂しいか」

その問いは、嫉妬ではなかった。正確に知ろうとする問いだった。私は考えた。

「寂しい、とは少し違います。十年分の部屋が一つ閉じた感じです。好きな部屋ではありませんでしたが、長くいたので、扉の音は聞こえます」

エルネスト様は静かに聞いていた。

「その扉を、無理に開けなくていい」

「はい」

「閉じた音を聞く時間も必要だ」

私は彼を見た。この人は、いつも急がない。私が過去をすぐに捨てきれなくても、それを自分への拒絶として扱わない。

「ありがとうございます」

「礼を言うことではない」

「それでも」

私は微笑んだ。

「ありがとうございます」

宿駅の外で、サラが馬に鼻を押しつけられて叫んでいる。オリーヌが慌てて助けに行き、マルタが呆れたように笑った。旅は続く。元夫からの最後の書簡は、私の鞄の中で静かに閉じられた。