軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第20話 山岳語の嘘/砂州使節の賭け

山岳語は、王都の人間には扱いにくい言葉だ。単語が短く、助詞が少なく、沈黙まで意味を持つ。商人たちは必要な言葉だけ覚えるが、契約に使うには危うい。小さな省略が、あとで大きな争いになる。その山岳語の通達に、不自然な一文が見つかった。

発見したのはオリーヌだった。

「イザベル様、ここです」

彼女は山岳道の通行保証に関する文を指した。表向きは、冬の救援物資を優先して通すという内容だ。しかし山岳語の短い句が一つ、別の意味を持っていた。直訳すれば、道を持つ者が荷を選ぶ。つまり、山岳路を管理する者が、どの救援品を通すか選別できる余地がある。

「これを入れたのは誰?」

「宮内局経由の現場案です。ルベール書記長の失職後、別の係が出したものだと」

「別の係」

私は紙を見た。ルベール一人で終わる問題ではなかったのだろう。曖昧な条文で得をする者は多い。山岳路の通行権は、冬には金になる。クロイツ公爵が公文書館へ来ると、私はすぐにその文を見せた。

「山岳語は専門外だが、不自然なのは分かる」

「現地の長老に確認します」

「会えるのか」

「昔、父が通訳した方の弟子が王都にいます」

その弟子は、山岳商会の老女ナディアだった。彼女は公文書館に呼ばれると、椅子に座る前から通達を読み、鼻で笑った。

「王都の人間が書いた嘘だね」

「嘘ですか」

「山の者なら、こんな言い方はしない。これは、道を預かる者に権限があるように見せているが、本来は道を守る者に義務があるという言葉だ」

ナディアは筆を取り、短い山岳語を書いた。

「これにしな。荷を選ぶのではなく、道を空ける。守る者は、先に通す者を間違えない。昔からそう言う」

私はその文を読み、頷いた。同じ短さでも、重さが違う。

「ありがとうございます」

「レヴィエの娘かい」

「父をご存じですか」

「山の発音が下手な男だった。でも、聞こうとした。聞こうとする者は少ない」

父の話を不意に聞かされ、胸が温かくなった。ナディアはサラを見た。

「その子も、混ざった言葉を持っているね」

サラは少し緊張して頷く。

「恥じるんじゃないよ。混ざった言葉は、道を知っている言葉だ」

サラの目が輝いた。通達の山岳語は、その場で修正された。しかし問題は、誰が嘘の文を入れたかだ。オリーヌが記録をたどると、宮内局ではなく、山岳路を管理する貴族商会からの提案が混ざっていた。ルベールの失脚後も、条文の隙間を狙う者は動いている。

「終わりませんね」

オリーヌが疲れた顔で言った。

「終わりません。だから、仕組みにするのです」

私は修正済みの文を見た。道を守る者は、先に通す者を間違えない。その短い山岳語は、説明より強かった。嘘は言葉の形をして来る。ならば、正しい言葉も、形を整えて置かなければならない。

砂州自治領の老使節カシムは、いつも眠そうな目をしている。だが、眠そうに見える人ほど、会議の急所で目を開くことがある。彼が私を茶席に招いたのは、山岳語の通達を修正した翌日だった。場所は砂州使節団の宿舎。部屋には薄い香草の匂いが漂い、机には砂州式の小さな杯が並んでいる。

「レヴィエ殿。あなたは古帝国語を読む」

「必要な範囲で」

「必要な範囲という者ほど、余計な範囲まで読む」

カシムは笑い、古い紙片を出した。

「これは、保護附属書の古帝国語引用についての異議だ」

紙片には、別の法典の一節が書かれていた。人を保護する者は、その労働によって費用を回収してよい。危険な一節だった。

「これを出されれば、労働移送を正当化できます」

「そうだ。砂州の一部商人が使いたがっている」

「なぜ私に見せるのですか」

「あなたがどう返すか見たい」

試されている。私は紙片を受け取り、裏の注釈を確認した。古帝国語は一節だけで読んではいけない。前後の文、時代、適用対象、注釈の伝統。すべてが意味を変える。

「この一節は、成人の捕虜労働に関する規定です。未成年の避難民、民間保護には適用できません」

「根拠は」

「同じ章の前文です。『武装して捕らえられた者』とあります。さらに、後代注釈では未成年者を除外しています」

カシムの目が少し開いた。

「読んでいるな」

「父の蔵書で、眠れない夜に」

「眠れない夜の読書は、外交で役に立つ」

彼は杯を置いた。

「砂州は、正式には附属書を支持する。ただし我々の内部にも、抜け道を探す者がいる。古い法を盾にする者には、古い法で返す必要がある」

「この異議を、本会議記録へ予防的に入れます」

「頼む」

「なぜそこまで協力を」

カシムは窓の外を見た。

「砂州は旅の地だ。国を持たぬ者、家を離れた者、商いで境を越える者が多い。避難民が労働力として安く扱われる道ができれば、明日は我々の若者が同じ扱いを受ける」

彼の声は静かだった。

「人を箱にする国は、商人も箱にする」

私はニコの言葉を思い出した。箱に番号を書くみたいに名前を書いた。遠い砂州の老使節と、川町の少年が、同じことを言っている。

「分かりました」

私は紙片を写した。

「ただ、これは砂州内部の不利な情報です。私が使えば、あなたの立場が悪くなるのでは」

「外交は賭けだ」

カシムは眠そうな目で笑った。

「私は、あなたが正確に読む方に賭ける」

その言葉は重かった。信頼は、いつも温かい形で来るとは限らない。時には、危険な紙片を手渡される形で来る。私は茶席を辞したあと、公文書館へ戻り、古帝国語注釈の補足条項を書いた。オリーヌが覗き込み、顔をしかめる。

「難しいです」

「難しい文は、現場通達にそのまま載せません。ただ、抜け道を塞ぐ壁として必要です」

「壁ですか」

「ええ。子どもを箱にしないための壁」

窓の外では、夕日が王宮の屋根を赤くしていた。六カ国会議は合意した。けれど、本当の戦いは合意の後に始まる。古い言葉が悪用されるなら、古い言葉を正しく読み返す人が必要だった。