作品タイトル不明
蹂躙の頂と、命の時間
Aランクダンジョン『蒼鳴の霊峰』、第16階層。
ここから先は、もはや生物が生存することすら許されない「死の世界」だった。
吹き荒れる魔力の暴風は、鋼鉄さえも一瞬で紙屑のように引き裂く圧力へと変わっている。
だが、今の俺には関係なかった。
「オラァッ!!」
俺の右拳が、空間を浮遊する氷の悪霊『アイス・スペクター』の群れを、正面から粉砕した。
本来なら物理攻撃が一切通じないはずの霊体たちが、新スキル【 霊体干渉(ゴースト・バスター) 】を纏った俺の筋肉に触れた瞬間、断末魔すら上げられずに霧散していく。
「マスター、素晴らしい効率です! これまでの『霊体モンスターに足を止められる時間』がゼロになったことで、攻略速度が理論上の最高値を更新し続けています!」
脳内でトラ子が、高速で更新されるマップデータを処理しながら告げる。
フロアボスから奪ったスキルは、まさにこのダンジョンの「特効薬」だった。
形のない敵を、形のある物以上に無残に殴り飛ばせるようになった俺にとって、第16階層から先はもはや「ただの障害物競走」に過ぎない。
「よし、次は!?」
「前方、第18階層への連絡路を守る『フロスト・ゴーレム』の重装部隊です! ……ですが、今のマスターなら正面突破一択ですね!」
エク子のノリノリな実況を背に、俺は足元の氷晶を爆砕させて突進した。
――ドゴォォォォォォォォンッ!!
一撃。
家ほどもある氷の巨兵たちが、理不尽な破壊力の前に、文字通り粉々に粉砕されていく。
俺の全力の打撃は、もはやAランクの魔物ですら「受け止める」という選択肢を奪っていた。
第17、18、19階層。
酸素は薄く、重力すら歪み始めた霊峰の頂上付近。
全身の筋肉が熱を持ち、肺が焼けるような疲労感に襲われながらも、俺は一度も足を止めることなく、ただひたすらに「上」を目指した。
ボロボロになったジャージを袋から取り出した新しいものに着替え、プロテインを喉に流し込み、ただ一歩でも早く、あのバケモノの元へ。
そして、突入から5日目の夜。
俺はついに、この霊峰の最上層――第20階層へと続く、巨大な氷の門の前に到達した。
「……ここか」
門の向こうからは、これまでとは比較にならないほど巨大で、神聖さすら感じさせる「圧倒的な力」の波動が漏れ出していた。
この奥に、蒼竜がいる。美桜を救うための、最後の鍵が。
「マスター。……ここから先は、私の演算でも予測不可能な領域です。心してかかってください」
「わかってる。……待たせたな、トカゲ野郎」
俺は黄色い袋をギュッと握りしめ、最後の戦いへと挑もうとした。
だが。
俺が地上の時間を忘れ、戦いに没頭していたその裏で。
命の時計は、残酷な速度で進んでいた。
◆
都立総合病院。
夜の静寂を切り裂くように、ICU(集中治療室)に鋭いアラート音が鳴り響いた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーーーーーー。
「心拍低下! 美桜ちゃん、美桜ちゃん聞こえる!?」
「昇圧剤追加! 早く、先生を呼んで!!」
走り回る看護師たち。
騒然とする処置室の中で、真っ白な顔をした美桜が、無数の管に繋がれたまま苦しげに胸を上下させていた。
その顔色は、すでに生きている者のそれとは思えないほど透き通っている。
「……あ、あぁ……。美桜、美桜!!」
ICUのガラス越しに、母親が狂ったように叫び、泣き崩れていた。
予断を許さない状況――いや、それはすでに「末期」の宣告に等しかった。
「結城さんは!? お兄さんには連絡がついたの!?」
「ダメです、何度かけても圏外で……!」
母親の手の中で、スマートフォンの画面が虚しく光る。
発信履歴は、数十回を超える誠への履歴で埋め尽くされていた。
だが、そのすべては届かない。
物理的に遮断されたダンジョンの深淵にいる誠に、地上からの悲鳴は聞こえない。
(……おにい、ちゃん……)
意識の混濁する中で、美桜の指先が、微かに、何かに縋るように動いた。
特級エリクサーによる投与リミットまで、あと数日。
しかし、美桜の肉体は、それよりも遥か手前で限界を迎えようとしていた。
最深部の門の前に立つ誠。
そして、病室で命の火を消しかけている美桜。
命を繋ぐ糸は今にも千切れそうなほどに細く、震えていた。