軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

形なき絶望

Aランクダンジョン『蒼鳴の霊峰』に突入してから4日目。

極寒の地獄を歩き続け、無数のAランク魔物たちをドドンキの袋(質量兵器)と拳で粉砕してきた俺は、ついに「第15階層」へと足を踏み入れた。

「……おい、急に吹雪が止んだぞ。それに、なんだここは」

これまで視界を遮っていた猛烈な蒼い吹雪が嘘のように消え去り、不気味なほどの静寂が支配する空間に出た。

そこは、山の中腹にぽっかりと開いた、巨大なドーム状の空洞だった。

床一面が、まるで磨き上げられた鏡のような透明な氷晶で覆い尽くされており、天井にはシャンデリアのように巨大な氷の柱がいくつもぶら下がっている。

ただの洞窟ではない。

明らかに「何者か」によって意図的に造られた、コロッセオのような闘技場だった。

「マスター、警戒を。ここは『フロアボス』の部屋です」

脳内で、トラ子が冷徹な声を響かせる。

「フロアボス? エリアボスの蒼竜とは違うのか?」

「はい。広大なダンジョンの各所に配置された、いわゆる『関所』の役割を果たす強力な個体です。

Bランクダンジョンで言えば、最深部のボスに匹敵する魔力密度を誇ります。ここを突破しなければ、上層(第16階層以降)へ続くルートは開きません」

エク子も「中ボス戦ですね! 気合入れていきましょう!」とポンポンを振る。

なるほど、この鏡のような氷の広間は、そいつを迎えるためのリングというわけか。

俺が黄色いドドンキの袋を握り直した、その時だった。

ピキッ、ピキンッ!

鏡のような氷の床の中心が、突如として眩い蒼光を放ちながら隆起し始めた。

莫大な魔力が渦を巻き、周囲の空気が一気に絶対零度へと急冷される。

隆起した氷晶はやがて人の形を成し、全長10メートルはあろうかという巨大な騎士の姿へと変貌を遂げた。

全身を重厚な氷の鎧で覆い、手には巨大な氷の処刑剣(大剣)を構えている。

兜の奥では、蒼い鬼火のような双眸が爛々と輝いていた。

『……我ガ領域ヲ侵ス者ヨ。凍テツク死ヲ以テ、贖エ』

「喋った!? Aランクって人語まで解するのか!」

「Aランク中位・フロアボス『 氷帝騎士(グレイシャル・ナイト) 』です! マスター、あの大剣は触れるものすべてを分子レベルで凍結させます! 直撃は避けてください!」

トラ子の警告と同時、氷帝騎士が巨体に似合わぬ速度で踏み込み、処刑剣を大上段から振り下ろしてきた。

ゴオォォォォォォッ!!

大気を凍らせながら迫る巨大な刃。

だが。

「……遅い」

俺の敏捷からすれば、巨大な鎧の動きなど、まるでスローモーションだった。

俺はスッと半歩だけ横にズレて、致死の刃を完全に回避する。

ズガァァァァァァァァンッ!!

処刑剣が鏡の床に直撃し、霊峰全体が揺れるような轟音が響く。

凄まじい氷の衝撃波が広がるが、俺はすでに騎士の懐(空いた胴体)へと入り込んでいた。

「ガラ空きだぜ、デカブツ」

俺はドドンキの袋を上へ放りなげ、両拳に【竜鱗装甲(極)】を纏わせた。

そして、筋力の出力を100%引き出し、氷帝騎士の胸部装甲に向かって渾身の 連打(ラッシュ) を叩き込む。

「オラオラオラオラオラオラオラァァァッ!!」

ガガガガガガガガガガッ!!

俺の拳が触れるたび、絶対の硬度を誇るはずの氷の鎧が、安物のガラス細工のように次々と粉砕されていく。

俺の異常な打撃力に、巨体が浮き上がり、後方へとズルズルと押し込まれる氷帝騎士。

『ガ、オォォォォォッ!?』

「トドメだ!!」

俺は大きく跳躍し、空中で腰を捻って、右の回し蹴りを兜の側面にクリーンヒットさせた。

バキィィィィィィンッ!!という甲高い砕音と共に、氷帝騎士の兜が吹き飛び、首から上が完全に消失する。

バランスを崩した巨体は、そのまま鏡の床へと仰向けに倒れ伏し、動かなくなった。

「……ふぅ。一丁上がりだ」

着地した俺は、軽く肩を回した。

拍子抜けだった。

確かに一撃の威力は高かったが、動きは単調で的がデカい。

道中で散々俺を苦しめてきた、吹雪に紛れて遠距離狙撃をしてくる小賢しい魔物たちに比べれば、ただ真っ直ぐ突っ込んでくるだけのこいつは、俺の脳筋戦法にとって一番戦いやすい相手だった。

「マスター! お見事です! 圧倒的なインファイトでしたね!」

エク子が拍手喝采を送る。

「ああ。だが……なんか違和感があるな。こいつ、本当にフロアボスか? Bランク最上位のタイタン・ボアの突進の方が、よっぽど重かったぞ。Aランクの中ボスにしては、明らかに『脆すぎる』」

「……」

俺の言葉に、トラ子が沈黙した。

数秒後、俺の大胸筋と広背筋をフル回転させた彼女の演算結果が、かつてなく緊迫した声で脳内に響き渡る。

「……マスター。すぐにそこから離れてください!!」

「えっ?」

「倒したはずの敵の魔力反応が、消失していません! それどころか、砕け散った鎧の破片から、致死レベルの高濃度魔力が漏れ出しています! システム上、討伐は完了していません!!」

俺はハッとして、首なしのまま倒れている氷帝騎士の残骸を見下ろした。

普通、魔物を倒せば光の粒子となって消え、【存在強奪】のシステム音声が鳴るはずだ。

だが、今回はそれが無い。

それどころか――砕け散った無数の氷の破片が、ドロドロの「蒼い 液体(スライム) 」のように融解し、床一面に広がり始めていた。

『……愚カナ物理ノ獣ヨ。我ガ 外殻(ヨロイ) ヲ砕イタ事、後悔スルガイイ』

床に広がった蒼い液体の中から、地獄の底から響くような不気味な声が轟いた。

液体は瞬く間に気化し、濃密な「蒼い 霧(ガス) 」となって、闘技場全体を包み込み始める。

「な、なんだこれ! 鎧の中身が、ガス状になった!?」

「マスター! ヤツの真の姿です! Aランク上位・フロアボス『コキュートス・レイス』! 物理的な実体を持たない、純粋な魔力と冷気の集合体――『霊体(魔法生物)』です!」

トラ子の絶叫に近い報告を聞き、俺の背筋に氷を流し込まれたような悪寒が走った。

実体を持たない。

それはつまり、俺の拳も、破壊不可のドドンキの袋の打撃も、すべて「すり抜ける」ということだ。

「おいおいおい! 物理無効ってことかよ!?」

俺は咄嗟に、迫り来る蒼い霧に向かって右ストレートを放った。

強烈な風圧が霧を吹き飛ばすが、霧はすぐに集まり、不気味な笑い声を上げながら俺の身体にまとわりついてくる。

『……無駄ダ。貴様ノ暴力ハ、我ニハ届カナイ。大人シク、内側カラ凍リツクガイイ』

「がっ……!? ぐぁぁぁぁぁッ!?」

霧に触れた瞬間、俺はかつてない激痛に襲われ、膝から崩れ落ちた。

【竜鱗装甲(極)】が、全く機能していない。

外側からの物理・魔法攻撃を防ぐはずの装甲だが、この霧は俺の呼吸と共に「肺」へ入り込み、皮膚の毛穴から直接「体内」へと侵入してきているのだ。

「マ、マスター!! 体内温度が急激に低下しています! 内臓が直接凍結されかけています! マスターの【耐久】は高いため即死は免れていますが、このままでは数分で内側から凍死します!」

「クソッ、ゲホッ……! 殴れない敵なんて、どうやって倒せば……ッ!」

俺の最強の武器である「筋肉」が全く通用しない、完全なる天敵。

広間を埋め尽くす形なき絶望の霧の中で、俺は吐血しながら、Aランクの真の恐ろしさを骨の髄まで味わっていた。