軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

黒犬の闇

黒曜の森での 迷宮氾濫(ダンジョンブレイク) から、数日の時が過ぎた。

元凶となった魔人の大群は、幸いにも森の境界を越える前にすべて討伐された。

そのため、新宿の街そのものには魔物一匹たりとも侵入しておらず、被害は皆無だった。

冒険者ギルド新宿本部のロビーも、事後処理に追われ戦場のようだった数日前の喧騒が嘘のように、いつもの落ち着きを取り戻していた。

掲示板の前で依頼を探す冒険者たちや、素材の買い取りカウンターに並ぶパーティーたちの姿は、平和な日常そのものだ。

俺はギルドの自動ドアを抜け、まっすぐに受付へと向かった。

「雨宮さん。ギルマスに面会をお願いしたい」

「あっ、結城様。はい、ギルドマスターから『結城が来たらすぐに通すように』と言付かっております。どうぞ、最上階の執務室へ」

雨宮さんは慣れた手つきで来客用のパスを発行してくれた。

俺はエレベーターに乗り込み、最上階へと向かう。重厚な扉の前に立ち、小さく深呼吸をしてからノックをした。

「入れ」

扉の向こうから、低くしゃがれた声が響く。

執務室の中は、相変わらずコーヒーと紫煙の匂いが漂っていた。

巨大なデスクの奥で、ギルドマスターは書類の束から顔を上げ、静かに俺を見据えた。

「……来たか、結城」

片桐はペンを置き、灰皿に煙草を押し付けた。

俺は無言のままデスクの前に歩み寄り、アイテムボックスから借りていた小型の魔導端末を取り出して、机の上に置いた。

「大罪スキルについて……調べたようだな」

「ええ」

俺は片桐の目を真っ直ぐに見返し、静かに口を開いた。

「俺から全てを奪ったあの『嫉妬』の男が、【NULL】という闇の組織に所属していること。そして、その組織がギルドの裏側で暗躍し、スパイすら生還できない深淵だということも」

俺の言葉に対し、片桐は驚く素振りを見せなかった。

ただ、重々しく目を伏せ、「そうか」とだけ呟いた。

ここまでの情報は、ギルドのトップである彼にとってもすでに把握済みの事実だったのだ。

「それとギルマス。……あんたに一つ、聞きたいことがある」

「なんだ?」

「柊宗一郎という男を知っていますね?」

その名前を口にした瞬間、執務室の空気がわずかに張り詰めた。

鋭い眼光が、俺の顔を射抜く。

「……ああ、知っているとも。私がまだ現役の冒険者だった頃、Sランクパーティー【銀の天秤】で共に戦い、背中を預け合った……かつての仲間だ」

懐かしむような、それでいてひどく苦いものを噛み潰したような声だった。

だが、俺の心にあるのは感傷ではなく、抑えきれない怒りだ。

「じゃあ、彼が現在、『黒犬』のトップに君臨していることも?

そして……その黒犬という組織が、NULLの資金洗浄や素材調達に深く関わっていることも、知っていたんですか?」

沈黙が降りた。

片桐は視線を逸らさず、ただ静かに息を吐き出した。

「……ああ。知っている」

その肯定の言葉に、俺はバンッ! と両手でデスクを叩きつけた。

「なんで黙ってたんですか!」

俺の怒声が執務室に響き渡る。

俺は先日まで、妹の治療費である1億円を稼ぐために、大量のドロップアイテムを裏社会のルートである『黒犬』に流していた。

自分が生きるために、結果として茜を奪った憎き組織【NULL】を裏で支援してしまっていたのだ。

その事実を知った時の吐き気と絶望を、片桐は知る由もないだろう。

「黒犬が裏社会で違法な取引に手を染めていることは、とうの昔から把握していた。

……だが、あの組織が【NULL】のフロント企業として直接繋がっていると知ったのは、ごく最近のことだ」

「最近だとしても! じゃあ、なんで俺に言ってくれなかったんだ! あんたは俺にこの端末を渡した時、俺が黒犬の情報を引き当てることも分かってたはずだろ!」

俺の激しい追及に、片桐は深く目を閉じ、そして絞り出すように言った。

「……私は、あいつを信じたかったんだ」

「なんだって……?」

「宗一郎は、たしかに冒険者を引退した後、裏社会に身を投じ、手段を選ばない冷酷な男になったかもしれない。

だが……世界を脅かすような闇の組織に魂を売るような男じゃない。それだけは断言できる」

片桐の拳が、デスクの上で固く握りしめられていた。

「ただ一つ言える事は、あいつは絶対にそんな事をする奴じゃない。昔のあいつは、誰よりも……」

「そんなの、分からないだろ」

俺は、冷たく吐き捨てた。

「人は変わるんです。

どれだけ昔に固い絆で結ばれていたとしても、金や力、状況が人間を歪ませる。

……現に俺自身もそうだったから」

俺の自嘲気味な言葉に、片桐は目を見開いた。

そして、己の甘さを恥じるように、深くため息をついた。

「……君の言う通りだ。私はギルドのトップでありながら、かつての友への個人的な情に流され、憶測で現実から目を背けていたに過ぎない」

片桐はデスクの引き出しを開け、厳重にロックのかかった黒い魔導通信機を取り出した。

「じゃあ分かった。……直接聞くか」

「ギルマス……」

「迷宮氾濫の事後処理でバタバタしていたが、落ち着いたら私の方から直接、宗一郎を問い詰めるつもりだった。

俺も、どうしてもあいつの口から真実を聞きたかったからな」

片桐は迷いのない手つきで通信機を操作し、暗号化された回線を開いた。

数回のコールの後、通信が繋がる。

『……どうした豪?こんな日中にお前から連絡が来るとは……何の用だ?』

通信機から聞こえてきたのは、底冷えするような、低く冷酷な男の声。

まどかの一件で俺を追放した男、柊宗一郎の声だった。

「宗一郎。積もる話がある。……【NULL】のことだ」

片桐がその名を口にした瞬間、通信機の向こう側で、かすかに息を呑む気配がした。

『……なるほど。ついにそこまで嗅ぎつけたか、豪』

「今日の夜、会えるか」

『……いいだろう。いつもの場所を指定する。一人で来い』

「いや、もう一人連れて行く」

片桐はチラリと俺に視線を向け、はっきりと告げた。

「君の組織(黒犬)の取引相手でもあった、結城誠だ」

『……ほう、誠が? ……ふっ、面白くなってきたな』

柊の微かな笑い声と共に、通信が一方的に切られた。

片桐は通信機をデスクに置き、俺に向き直った。

「今日の夜、指定された場所で柊宗一郎と会う。……結城、覚悟はいいか?」

「ええ。望むところです」

深淵への招待状は、こうして俺の手に渡った。

かつての友を信じたい男と、すべての真実を引きずり出したい男。

二つの決意を乗せ、夜の裏社会へと向かう歯車が静かに回り始めた。