軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

迷宮氾濫4  圧倒的な勘違い

黒曜の森、中層エリア。

かつて静寂と暗闇に支配されていたその地下空間は、今や赤蓮の炎と夥しい血の匂いに塗り潰され、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

「押し返せェッ! 陣形を崩すな! 後衛、回復魔法を急げ!」

Aランク冒険者の悲痛な怒号が、爆音にかき消される。

新宿ギルドが誇る百名以上の精鋭部隊。

彼らは重装甲の盾を連ね、その後方から絶え間なく魔法の豪雨を降らせていた。

火球が弾け、雷鳴が轟き、鋭い氷柱が白髪の悪魔たちの肉体を串刺しにする。

並の魔物の群れであれば、とうの昔に殲滅できているほどの圧倒的な火力。

だが、彼らが対峙しているのは『並の魔物』ではなかった。

「……ギルッ、アァァァァッ!!」

胸を氷柱で貫かれた白髪の魔物(眷属)が、異様な咆哮を上げた。

その傷口から赤黒い瘴気が噴き出したかと思うと、足元の黒曜石の地面に広がる『冒険者たちの流した血』が、まるで意思を持った蛇のように這い上がり、眷属の傷口へと吸い込まれていく。

バキバキバキッ!

肉が蠢き、骨が再構築される不気味な音。

致命傷を負っていたはずの眷属は、わずか数秒で傷を完全に塞いだだけでなく、周囲の血と魔力を取り込んだことで、先ほどよりも一回り巨大に、そして凶悪に進化して立ち上がった。

「ば、馬鹿な……! こっちの血を吸って、どんどん強くなってやがる……ッ!」

「斬っても斬ってもキリがねえ! なんなんだよこいつらは!!」

冒険者たちの顔に、色濃い絶望が浮かび上がる。

倒しても、倒しても、敵陣の最後尾に立つ大男――キバの足元の影から、際限なく新たな眷属が湧き出してくる。

さらに、戦いが長引けば長引くほど、戦場に流れた血を啜って眷属たちは自己強化を繰り返していくのだ。

圧倒的な持久戦。防戦一方に追い込まれた冒険者たちの盾陣は、次第に後退を余儀なくされ、今にも決壊しそうになっていた。

そんな膠着しつつある死地の後方から、俺は凛と手を繋ぎ、のんきに黄色いドドンキの袋を揺らしながら近づいていた。

「うおー、すっげえ魔法の数だな。映画の撮影みたいだぞ」

『マスター、感心している場合ではありません。前線の防衛力はすでに限界を迎えつつあります。

対象の再生能力と進化速度は、ギルドの想定を遥かに上回っています』

(マジか。でも俺、Cランクだしなぁ。前に出たらAランクの皆さんに怒られそうだし……)

俺が呑気にそんなことを考えていた、その時だった。

「――――ッ」

戦場の最後尾で、つまらなそうに腕を組んでいたキバの赤い双眸が、大きく見開かれた。

彼の嗅覚と、種族としての絶対的な本能が、血と硝煙の匂いに混じって漂ってきた『ある気配』を捉えたのだ。

「……この気配。まさか」

キバの視線が、冒険者たちの分厚い防衛線越しに、はるか後方にいる小さな影――『凛』を真っ直ぐに射抜いた。

「シル、ロビ。道を開けろ」

「はっ!」

キバの低く冷酷な声に、上位眷属の二人が即座に反応した。

キバがゆっくりと歩みを進める。

その両脇を固めるシルとロビが、大地を蹴って弾丸のように前線へと飛び出した。

「なっ……!? ボス格が前に出てきたぞ! 迎撃しろォッ!」

Aランクの盾役たちが巨大なミスリルの大盾を構え、後衛が残存魔力を振り絞って魔法の壁を構築する。

だが、それはあまりにも無力だった。

「退け、下等生物ども」

シルが無造作に右腕を薙ぎ払う。

ただそれだけで、巻き起こった暴風と不可視の衝撃波が、分厚いミスリルの大盾を紙屑のようにへし折り、数十人の冒険者たちを魔法の障壁ごと後方へと吹き飛ばした。

阿鼻叫喚の悲鳴。

強固だった防衛線は、キバと二体の側近が通り抜けるための『道』として、真っ二つに裂け、無惨に瓦解してしまった。

「ひぃっ……!」「ば、バケモノ……っ!」

血を吐いて倒れ伏す冒険者たちには目もくれず、キバたちは真っ直ぐに俺と凛の元へと歩み寄ってきた。

そして、俺たちの数メートル手前でピタリと足を止めると、キバはまるで神に祈るかのように、静かにその場に片膝をついた。

「……ユト様。ああ……ようやく、見つけました」

巨躯の大男から発せられたのは、先ほどの冷酷な殺戮者からは想像もつかないほど、震えるような歓喜と、深い敬愛に満ちた声だった。

「……え?」

俺の背中に隠れていた凛が、ビクッと肩を震わせた。

「ユト様。このような薄暗い地下で、さぞご不安だったことでしょう。このキバ、あなた様をお迎えに上がりました」

キバが血塗れの右手を胸に当て、恭しく頭を下げる。

その背後で、シルとロビも同様に片膝をつき、凛に向けて深々と平伏していた。

異様な光景だった。

新宿の精鋭たちを虫けらのように蹂躙した災害級の悪魔たちが、一人の少女の前で、忠犬のように頭を垂れているのだ。

「……おじさん。だれ、このこわいひとたち?」

凛は、俺のジャージの裾をギュッと力強く握りしめ、怯えた瞳でキバを見下ろした。

その言葉に、キバの動きがピタリと止まった。

「……ユト様? 私です。あなたの守護者である、キバです。……私の顔を、お忘れになられたのですか?」

キバが、すがるような視線を向ける。

だが、凛はふるふると強く首を横に振った。

「わかんない……。あなたなんか、知らない。わたしの名前はユトじゃないもん。……わたしは、『凛』だよ!」

――ピキッ。

凛の口からその言葉が出た瞬間、地下空間の空気が、文字通り凍りついた。

キバの赤い瞳が、限界まで見開かれる。

「……リン? あなた様が、リン……?」

キバが呆然と呟く。

やがてその視線が紺色ジャージを着た、いかにも冴えない人間の男へと向けられた。

「おい、アンタら」

俺は、ため息をつきながらキバを睨み下ろした。

「無視して話進めんなよ。この子は凛だ。変な名前で呼んで怖がらせるな」

その瞬間だった。

キバの瞳から、すがりつくような光が完全に消え失せ、代わりにドス黒い、底無しの『殺意』が爆発的に膨れ上がった。

周囲の黒曜石の地面が、キバから漏れ出す魔力の重圧だけでメキメキとひび割れていく。

「……なるほど。理解した」

キバが、ギリッと牙を噛み鳴らして立ち上がった。

「貴様ら下等生物のニンゲンどもが……我らが誇り高き鬼人族の姫君を捕らえ、その尊き記憶を操作し、あろうことか愛玩動物のように卑しい名をつけたというわけか……!!」

完全に、圧倒的なまでの『勘違い(誤解)』である。

俺はダンジョンで凛を保護して、なし崩し的に保護者になっただけだが。

しかしキバの脳内では「人類によるおぞましい洗脳と記憶操作の被害者」という最悪のストーリーが完成してしまっていた。