軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

75 褐色竜と毒の爪

突然の異常事態に、観客席から悲鳴が上がる。とはいえ大半の観客はまだ何が起こっているのか分からないまま戸惑っている段階らしく、「え、なに? 演出?」「それにしては」「まさか本物?」「いや、いくらなんでも」などという声が聞こえてくる。

異変に気付いた役者たちが次々に舞台から飛び降りる一方、劇場警備の騎士たちが舞台に上がって事態の収拾を試みるものの、威嚇する魔獣を前に近づけない様相だ。

「ライナス、探索であれの種類は分からないか?」

ユージィンの問いに、ライナスが「ええっと……おそらく褐色竜です」と返答する。

褐色竜はドラゴンの中では小型で危険性の低い部類に入るが、鱗が固く物理耐性が異様に高いので、人間相手しか想定していない騎士の手には余るだろう。

「私、ちょっと行ってきますわね!」

クローディアは身体強化を発動させると、ボックスの手すりを蹴って跳躍し、一階席の通路まで一気に飛び降りた。

(弱点は確か冷却魔法。爪と尾には毒がある、だったかしらね)

演習前に勉強した特徴を思い出しながら舞台まで駆け抜けようとしたものの、正面から慌てふためいた人々がわっと押し寄せてきたために、足を止めざるを得なかった。

「みんな落ち着け!」

パニックを起こしかけている一階席の観客に対し、ユージィンの声が響き渡った。

「大丈夫だ! 我々が対処するから、落ち着いてほしい」

ユージィンの声は良く通り、聞く者が従わざるを得ない威厳がある。

観客たちが足を止めている間に、クローディアは彼らの横をすり抜けて舞台上まで駆け上がった。

「どいてくださいませ!」

クローディアは騎士たちに呼びかけざま、柱を蹴って跳躍すると、褐色竜の真上から冷却魔法を叩き込んだ。今まさに騎士に噛みつかんとしていた褐色竜は、クローディアの魔法をまともに食らい、一瞬にして凍り付く。

(やった?)

しかし安堵と共に床に降り立ったのも束の間、竜はぶるりと身を震わせて、氷の破片をまき散らしながら雄たけびを上げた。

どうやら凍らせることができたのは表面だけだったようである。

すかさず二撃目を放って凍らせるものの、やはり一時動きを止められるだけで、致命傷には至らない。

(ああもう、やり辛いわね。こんなの全力でやったら一発なのに!)

巨人たちとの戦いは、そういう意味ではやりやすかった。闇の森では周囲の被害など気にせずに、全力の爆炎魔法を使い放題だったものである。

一方ここは人に溢れた劇場で、外は目抜き通りときている。こんなところで全力の攻撃魔法を放ったら、一体どれほどの被害が出るものやら、考えただけでぞっとする。

クローディアは竜の猛攻を避けながら三度目の冷却魔法を放つが、やはり仕留めることは叶わない。さてどうしたものかと攻めあぐねていると、背後から「結界張ったわよ! クローディアさん」というエリザベスの声が聞こえた。続いて「クローディア嬢、もう思い切りやって大丈夫だ!」というユージィンの声もする。

「了解ですわ!」

エリザベスとユージィン、この二人がかりの結界ならば、少々のことでは揺るがない。

クローディアは褐色竜に真正面から対峙すると、くわっと開いた顎に向かって、手加減なしの冷却魔法を叩き込んだ。

ドラゴンは攻撃しようとした姿のまま凍り付き――そして、どさりと横倒しになった。

息をひそめて見守っていても、もう動き出す気配はない。

ほっと息をついて振り返った瞬間、周囲から爆音が押し寄せてきた。

それが新たな魔獣の咆哮ではなく万雷の拍手だと気づくまで、少しばかり時間を要した。

見回せば観客たちは皆総立ちになって手を叩いており、「ブラボー」という声も聞こえてくる。その内訳は怪物を倒したことに賛辞を贈っているのが三割、「なんかすごい演出だった!」と喜んでいるのが七割といったところだろうか。

(……まあパニック起こされるよりはずっとましよね。出入り口に殺到して将棋倒しになったら大変だもの)

クローディアは千両役者よろしく観客席に向かって一礼すると、さらなる喝采を浴びながら舞台裏へと引っ込んだ。

(ああ、やり辛かった。やっぱり戦闘は森に限るわね……!)

クローディアがやれやれと息をついていると、続いて仲間たちが舞台裏に現れた。

「クローディア嬢、怪我はないか?」

「クローディア様、大丈夫ですか? あれは爪や尻尾に毒があるので、かすり傷でも危険です」

心配そうに尋ねるユージィンとルーシーに「かすり傷ひとつありませんわ」と微笑んでから、「劇場にいる魔獣はあれだけですの?」と問いかけた。

「探索魔法で確認してみたけど、この近辺にいるのはあれだけだ」

ライナスが返答する。

「じゃあこれで一応は安心ということですわね、……あとは、なんであんなものが劇場にいたのか、ですけれど」

「そうよね、こんなの中央劇場始まって以来の不祥事なんじゃないかしら」

「ああ、しかもよりによって殿下がいらしてるときにこんな事件が起きるなんて、とんでもない話だ」

ライナスは憤然と言ってから、「……まさか、ユージィン殿下を狙ったとか?」と息をのんだ。

「だけど殿下を狙うにしては微妙じゃありませんこと? 褐色竜って」

「それは、まあ」

本物の暗黒竜ならいざ知らず、褐色竜は炎も吐けず飛ぶことすらできないドラゴンなので、ユージィンのような実力者にとって危険はさほど大きくない。

それにあの竜が暴れるに任せたとしても、被害に遭うのはまず舞台上の役者、次は一階席の観客だろう。ボックス席のユージィンは、その間に悠々と避難することが可能である。

ユージィンを狙ったものではないとしたら、誰が何の目的であんなものを持ち込んだのか。劇場か、あるいは舞台上の俳優が個人的な恨みでも買っていたのだろうか。

(原作にはこんな事件なかったと思うんだけど、単に描かれていないだけなのかしら……)

皆で首をひねっていると、支配人と思しき小太りの男性が駆け寄ってきた。

「お嬢様、退治してくださってありがとうございます! ユージィン殿下、せっかくお越しいただいたのにとんでもないご迷惑をおかけして、お詫びの仕様もございません」

支配人が何度も頭を下げつつ語ったところによれば、なんでもあの竜は舞台監督の肝入りで持ち込まれた代物で、「剥製を特殊な魔道具で動かしているが、詳しいことは秘中の秘なので教えられない」と言って、自分と助手以外には誰にも触らせなかったということだ。

「あいつは剥製だって、剥製だって言ってたんです! まさか本物の魔獣だなんて夢にも思いませんでした……!」

支配人が声を震わせて弁解する姿は、とても演技とは思われなかった。

疑惑の舞台監督とその助手はと言えば、既に警備の騎士に捕縛されているらしく、王国騎士団の到着次第、引き渡す予定だとのこと。支配人をはじめ他の関係者も進んで取り調べに協力するつもりだと言っているので、捜査の方はそちらに任せればいいだろう、という結論に落ち着いた。

「まあ舞台監督の意図はともかく、あんなものが王都の真ん中に出現した割には、大した被害がなくてよかったわね」

「ああ、被害はあの王子役の俳優だけだもんな」

「そういえばあの方はどうなったのでしょう? お怪我は大丈夫ですか?」

ルーシーが支配人に問いかける。

「ああ……彼は今、控室に寝かせています」

支配人はどこか気まずそうな表情で言った。

「怪我が酷いのですか?」

「酷いというか……噛み傷はそこまでじゃなかったんですけど、苦しみようがすごくて……」

五人は互いに顔を見合わせた。皆同じことを考えているのは明白だった。苦しんでいるのは褐色竜の毒のせいだ。遠目には噛みつかれたところしか見えなかったが、毒の爪か尻尾にもやられていたのだろう。

「あの、すぐに連れて行ってください! 毒を何とかしないと危険です」

「え、でも」

「ルーシー様は薬師の卵なんです」

クローディアが言い添えると、支配人は「分かりました」とうなずいて、ルーシーと付き添いのクローディアを部屋まで案内してくれた。

控室のドアを開けた途端、苦し気なうめき声が耳に飛び込んできた。続いて中央の長椅子に寝かされている俳優の姿が目に映る。息が荒く、額に脂汗が浮いており、見るからに辛そうな様子である。腕に巻かれた包帯の一部が不気味な緑色に変色しているのは、褐色竜の毒にやられたせいだろうか。

そして周囲にはヒロイン役の女優や他の劇団員、劇場スタッフなどが取り囲むように座っていて、皆気づかわしげな表情を浮かべていた。

ルーシーは怪我人に駆け寄ってその様子を確認すると、「お医者様は?」とその場にいる劇場スタッフに問いかけた。

「今呼びに行ったところです」

「そうですか……。あの、貴賓室の軽食にレモネードがありましたよね。あれに使ったレモンはまだ余ってますか?」

「え、あ、はい」

「すぐに持ってきてください。毒を受けた傷口に絞ったら、応急処置になるはずです」

「え、レモンを傷口に絞るんですか?」

「褐色竜やトカゲ型魔獣の毒にやられた場合の応急処置です。毒消しポーションがない場合はそれで代用できるんです」

「でも、傷口にレモンなんて」

そのとき、「君は薬師か?」と尋ねる声が背後から響いた。

声の主は幕間で出会った長身の男性だった。扉横の壁にもたれていたため、今まで存在に気づかなかった。

なぜあの男性がこんなところにいるのか。彼も劇場関係者だったのか。いや、それよりも――。

(この人って……!)

その苦悩に満ちた表情から、クローディアはようやく男性の正体に気が付いた。

彼こそは少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』において、再生する巨人に領地を蹂躙され、絶望的な戦いを強いられながらも必死に指揮を執っていた「マッチョイケメン」ことイアン・トラヴィニオン辺境伯その人であった。