軽量なろうリーダー

婚約破棄された後、他国の王族が求婚してくるのって怖すぎませんか?

作者: ばぅ @1/8シゴデキ令嬢アンソロ発売

本文

王宮の大広間で開催されている王立魔導学園の年度末パーティーは、華やかな音楽が鳴り止み、異様な熱気に包まれていた。

その中心に立つのは、この国ウィステリア王国の王太子、ロイゼル・ウィステリア殿下。

そして、その向かいに立たされているのは――私、リノア・レインハートである。

どこからどう見ても、よろしくない公開処刑の構図だった。

「リノア・レインハート!」

ロイゼル殿下が、びしりと私を指差す。

「君との婚約を、ここに破棄する!」

わあ、と周囲がどよめいた。

殿下の隣には、桃色の髪をふわりと揺らす少女が寄り添っている。最近、平民特待生として編入してきたメリル・プリムローズだ。

庇護欲をそそる可憐な顔で、彼女は殿下の袖をきゅっと掴んでいた。

「リノア嬢は、メリルを執拗にいじめた!教科書を隠し、階段から突き落とそうとし、あまつさえ水魔法を浴びせたそうだな!」

「やっておりませんわ」

私は即答した。

「言い訳するな!この悪女め!」

「そもそも、わたくしがやったという証拠がありませんもの。階段の件に関しては、彼女が勝手によろけただけですし、水魔法についても知りません」

「ええい、そんなことは関係ない!メリルが泣いていたのだぞ!」

「理屈が雑ですわね……」

思わず本音が漏れた。

周囲が「うわぁ」とでも言いたげな顔をした、その時。

「では――」

場違いなほど甘やかな声が、広間に響いた。

「私が求婚してもよろしいかな?」

一斉に視線が向く。

人垣を割って現れたのは、金糸のような髪に、青い宝玉じみた瞳を持つ青年だった。整いすぎた美貌のせいで、ぱっと見は絵画の中から抜け出した王子様である。実際、王子様なのだが。

バムーア共和国からの留学生、クリスチアーノ・バムーア。

その正体は、共和国元首の嫡子――王族相当の地位を持つ、事実上の王太子だ。

彼は胸に手を当て、芝居がかったほど優雅に微笑んだ。

「リノア嬢が無実であることは、この私にはわかる。聡明で、慎み深く、気高い令嬢だ。そんな彼女を手放すというのなら――ロイゼル殿下、私が頂いても文句はないでしょう?」

うっとりと見惚れる女子生徒たち。顔だけなら、たいそう絵になる。

けれど私は、その台詞を耳にした瞬間、背筋がぞくりとした。

――やはり来た。

「リノア嬢」

クリスチアーノが私の前に立ち、白い手袋に包まれた手を差し出す。

「どうか我が国へ。君のような女性を傷つける国に、いつまでもいる必要はない」

甘い声。

優しい眼差し。

周囲から見れば、傷ついた令嬢を救う救世主そのもの。

「クリスチアーノ様……」

私はかすかに震える声を作り、彼の手に自分の手を重ねた。

次の瞬間。

「「拘束魔法発動!」」

私とロイゼル殿下の声が、ぴたりと重なった。

足元に展開した二重の魔法陣が光を放ち、白銀の鎖となってクリスチアーノと、殿下の隣にいたメリルを絡めとる。

「なっ――!?」

「きゃああっ!?」

クリスチアーノが目を見開き、メリルが悲鳴を上げた。

会場は騒然となる。

「何をする!」

「何すんのよぉ!」

先ほどまでの麗しさも可憐さも吹き飛ばし、二人はほとんど素で叫んでいた。

私は一歩退き、ふうと息を吐く。指先が、少しだけ汗ばんでいた。

そんな私の前に進み出て、ロイゼル殿下が高らかに告げる。

「バムーア共和国王族クリスチアーノ・バムーア、並びにその協力者メリル・プリムローズ。貴様らを、ウィステリア王国並びに近隣諸国における令嬢失踪、人身売買、違法転移魔法陣の使用、及び国外への不正連行未遂の容疑で拘束する」

一瞬の静寂のあと、広間が爆発したようにざわめいた。

私は、ようやく唇の端を上げる。

「――婚約破棄の後に、都合よく他国の王子が求婚してくるわけがないでしょう?」

*****

「か、仮初の婚約者!?」

数か月前。私は王城の一室で、素っ頓狂な声を上げていた。目の前にはロイゼル殿下。近衛騎士も侍女も下げた極秘の場で、殿下はひどく難しい顔をしていた。

「最近、我が国や近隣諸国で、魔力を持つ若い貴族令嬢の失踪が相次いでいることは知っているな?」

「ええ。神隠しだの、駆け落ちだのと噂されていますわね」

「実態はもっと悪辣だ。我々が秘密裏に進めていた捜査で、一つの共通点が浮かび上がった」

殿下は手元の資料をテーブルに広げた。そこには、何人もの貴族令嬢たちの顔写真と経歴が記されている。他国の見知った顔もあった。

「失踪した彼女たちは皆、直前に『婚約破棄』をされている。それも公の場で、酷い形でな。傷物になった令嬢が新しい相手と駆け落ちしたと思われれば、表沙汰になりにくい」

「……なるほど。意図的に孤立させられていると」

「ああ。協力者を使って標的のカップルを破局させ、周囲から孤立した令嬢に『新たな庇護者』を装って近づき、他国へ連れ去る手口だ。そして黒幕は、魔力至上主義と独自の悪魔信仰を掲げるバムーア共和国の者である可能性が高い」

ぞくり、とした。他国の、それも魔力の高い貴族令嬢を攫って何をしているのか。想像するだけで悍ましい。

「そこでだ」

殿下が一枚の書類を差し出してくる。そこには、魔法契約書の文言が記されていた。

「リノア・レインハート。君に、私の婚約者役を頼みたい」

「……はい?」

「囮捜査だ。私が彼らの標的となりそうな令嬢ーーつまり君と婚約した後冷遇し、最終的に婚約破棄する。そこに現れた連中の接触役を、現行犯で捕らえる」

王太子の婚約者役。たとえ最終的に破棄される前提の芝居だとしても、その座が持つ政治的な意味合いは計り知れない。言葉の一つひとつが重すぎて、脳が順に理解を拒否した。

「いえ、ちょっと待ってくださいませ。なぜわたくしが?王太子殿下の婚約者など、国内の高位貴族が血眼になって望む立場でしょう?わたくし、しがない伯爵令嬢ですし。地味で陰気な魔術オタクですし」

「魔術オタクという自覚はあるのだな……」

「あります」

「君は優秀だ」

即答だった。

「魔力総量、術式理解、拘束・結界系の適性、どれを取っても学園上位だ。いざという時、実戦レベルの魔術で身を守れる女性でなければ、この危険な任務は任せられない。それに、君は口が堅い」

「褒められているのか、便利扱いされているのか判断に迷いますわね」

私がじとりと見ると、殿下はわずかに視線を逸らした。

「……危険だから、本当は私一人でやりたかった」

「女性を一人も使わずに、『傷ついた令嬢を狙う』手口をどう炙り出すおつもりですの」

「それは……」

「ほら見なさい」

私は腕を組んだ。

「理由は分かりました。ですが、わたくしが協力することに何のメリットが?」

すると殿下は、少しだけ間を置いてから口を開いた。

「《魔導商会連盟(コマース・ギルド連盟)》に推薦する」

私は固まった。《魔導商会連盟》。七つの大国が共同で権限を委ねる超国家組織。危険魔道具の流通管理、国際紛争時の魔術協定、交易網の保守、各国の魔導研究の共有。魔術師を志す者なら、誰もが一度は憧れる最高峰の研究機関だ。

「……本気、ですの?」

「ああ。今回の件で功績を立てれば、私の名で推薦する。そもそも、今回の事件解決も魔導商会連盟の依頼だ」

喉が鳴った。卑怯だ。この条件は卑怯である。何しろ私は、レインハート伯爵家の令嬢でありながら、幼い頃から舞踏会より魔術書に目を輝かせてきた女だ。どんな大きな宝石よりも、最新の拘束陣式や転移封鎖術式の論文の方が嬉しい。ましてや大陸最高の魔術研究機関への推薦状なんて、喉から手が出るほど欲しいものだった。

「……魅力的な条件ですわ」

私は一つ息を吐き、改めて殿下の顔を真っ直ぐに見据えた。

「でも、殿下がわたくしを選んだ理由は、それだけではありませんわよね?」

「……な、何が言いたい」

殿下は珍しく慌てて、顔を背ける。図星だったのか、顔が少し赤い。

「国内の派閥争いですわ」

私がずばりと言い当てると、殿下の肩がぴくりと跳ねた。

「現在、国内の高位貴族たちはこぞって自身の娘を殿下の婚約者に据えようと牽制し合っています。ここで殿下が特定の公爵家や侯爵家の令嬢を『仮初の婚約者』に選べば、派閥の均衡が崩れ、要らぬ反発を生む。その点、中立派であり、家格もそこそこの伯爵家のわたくしならば、角が立たない。違いますか?」

「っ……」

「『魔術にしか興味のない地味な伯爵令嬢』。長きにわたる派閥争いの緩衝材として、これほど都合の良い隠れ蓑はありませんわよね」

おそらく正解だったのだろう。殿下は気まずそうに目を泳がせ、しどろもどろになり始めた。

「あ、いや……それは、その……結果的にそういう側面がないとは言い切れないが……決して君を都合よく利用しようなどと……!」

「構いませんわ」

私はあっさりと頷いた。

「理由はともかく、わたくしは《魔導商会連盟》への推薦状が喉から手が出るほど欲しい。殿下は安全な囮役と、派閥争いの隠れ蓑が欲しい。お互いの利害は完全に一致していますもの」

「リノア嬢……」

「お受けいたします、殿下。わたくしの持てる魔術のすべてをもって、この悪辣な誘拐犯を炙り出してみせましょう」

こうして、私と殿下の奇妙な共犯関係――仮初の婚約期間が幕を開けたのである。

*****

新学期が始まり、私が殿下の婚約者として発表されるや否や、学園は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。当然だろう。「なぜあんな地味な伯爵令嬢が」と、高位貴族の令嬢たちからの嫉妬と嫌がらせは凄まじいものがあった。すれ違いざまの舌打ちや、教科書がなくなるのは日常茶飯事。

「あら、ごきげんようリノアさん。手が滑ってしまいましたわ」

ある日の放課後。中庭で魔術書を読んでいた私の頭上から、冷たい水が降り注いだ。見上げると、テラスから国内最大派閥の筆頭である公爵令嬢、イザベラ様が、取り巻きを連れて扇で口元を隠していた。あからさまな水魔法による嫌がらせである。

「……ごきげんよう、イザベラ様」

私は濡れた本を閉じ、立ち上がる。そして、無詠唱で自身に『熱魔法』を展開した。シュゥゥゥッ、と白い湯気が上がり、私の濡れた制服と髪は、ほんの数秒で完全に乾燥した。ついでに本も乾かす。

「なっ……無詠唱で、それほどの熱量制御を……?」

「イザベラ様の水魔法は、魔力収束率が少し甘いようですわね」

私は淡々と指摘した。

「大気中の水分を凝結させるプロセスで無駄な魔力が散逸しています。術式を三節ほど省略し、イメージを球体に絞れば、もう少し威力が上がるかと」

「っ、この……!可愛げのない女ね!」

イザベラ様は顔を真っ赤にして、足早に去っていった。私はため息をつく。実害はないが、精神的に疲れることには変わりない。

そんな荒んだ日々の中で、唯一の救いは殿下からの気遣いだった。殿下は毎日、私に一輪の花と短い手紙を届けてくれた。

『今日は黄色のチューリップだ。花言葉は「希望」。作戦は順調だ、すまないがもう少し耐えてくれ』

簡素な言葉だが、それが私にはひどく嬉しかった。私という人間を、単なる手駒としてではなく、一人の協力者として見てくれている気がしたからだ。

朝、教室の机にそっと置かれた一輪。

昼、侍従を通じて届けられる小さな花束。

夜、寮の部屋に差し入れられる押し花のしおり。

そこには必ず、短い言葉が添えられていた。

――今日も君の無事を祈る。

――東塔に注意。

――白百合。誇り。

――勿忘草。信頼。

表向きは婚約者への贈り物。実際には、捜査上の注意喚起や合図も兼ねている。でもそれだけではない気がして、私は毎回その小さな紙片を、捨てられずに箱へしまった。

ロイゼル殿下は、基本的に無愛想だ。人前では必要以上に甘く近づいてくるくせに、二人きりになると途端に口数が減る。演技だから当然だ、と自分に言い聞かせていた。

けれど。

「その術式展開、教本通りではありませんのね」

「教本通りでは遅い。実戦では使えない」

「……でも、第二節の圧縮率、よく気付きましたわね」

「君の論文を読んだからな」

そんな会話を重ねるうちに、私は少しずつ知ってしまったのだ。この人が、思っていたよりずっと真面目で、不器用で、誰よりも国を思って戦っている優しい人だということを。だから、困った。仮初なのに。任務なのに。花だって、全部演技の一環のはずなのに。胸の奥で早鐘のように鳴り始めた音を無視することはできなくなっていた。

そこへ現れたのが、メリル・プリムローズだった。平民出身の特待生。愛らしく、素直で、少し頼りなげで、誰かが守ってあげたくなるような少女。

彼女が学園に入ってきた初日、私は殿下に呼ばれた。

「メリルや、彼女の身辺にいる者たちを洗い出す」

短い説明だった。つまり、彼女は敵に接触するための餌だ。

「……殿下が、彼女に近づくのですね」

「ああ」

頭では理解していた。作戦上、必要なのだと。でも、心はまるで理解してくれなかった。

メリルは殿下にすぐ懐いた。殿下もまた、人前では彼女を庇い、気遣い、よく声をかけていた。そのたびに「これは作戦」と私は自分に言い聞かせる。けれど、ある日。中庭の薔薇園の向こうで、殿下がメリルに花束を渡しているのが見えた。白い花だった。私は立ち尽くした。その白い花は、昨日、私の机の上に置かれていたものと同じだったからだ。

白い花に添えられていた言葉は、こうだった。――『清らかなただ一つ』

胸がぐしゃりと潰れる音がした。ああ、そうか。私は静かに悟った。殿下にとって、私はメリルと同じなのだ。作戦を遂行するための手駒。花を選ぶ手間すら省くほどに、効率的に処理される存在。魔術の術式ならいくらでも解読できるのに、人の心の動きだけは、どう計算しても答えが出なかった。

その日から、私は殿下と目を合わせることを無意識に避けるようになってしまった。演技ではなく、本当に胸が塞ぎ込んでしまったのだ。

私が廊下でため息をついていた、ある日のこと。

「リノアさん……」

声をかけてきたのは、かつて私に水を浴びせた公爵令嬢のイザベラ様だった。

「……いくらなんでも、殿下は酷すぎますわ。あなたという正当な婚約者がいながら、あんな平民の女狐にうつつを抜かすなんて」

(さんざん私に嫌がらせをしておいて、今更なんだというのだろうか)

私は内心で首を傾げたが、彼女の瞳に浮かんでいる感情を観察して、ふと納得した。

そこにあったのは、以前のような刺々しい敵意ではない。明らかな同情と、そして『焦燥感』だった。

思えば、以前の私に対する嫌がらせは、純粋な『嫉妬』からくるものだったのだろう。嫉妬とは、自分と同等、あるいは手の届く範囲にいると認めた相手にしか抱かない感情だ。

だが、殿下が今入れ上げているのは、平民の特待生であるメリルだ。高位貴族であるイザベラ様たちからすれば、次期国王が平民の娘に夢中になるという状況は、もはや嫉妬を通り越して「貴族の威信が舐められている」「身分制度そのものが揺るがされかねない」という危機感に直結する。高位貴族として当たり前の感情だ。

敵の敵は味方、ということわざもある。

それに加えて――かつて魔法の腕と理詰めで自分を堂々と打ち負かした私が、ポッと出の平民ごときに惨めに負ける姿など見たくない、という彼女なりの矜持と思い入れもあったのかもしれない。

私は、そんな彼女の不器用な歩み寄りを内心で少しだけ微笑ましく思いながら、静かに首を横に振った。

「お気遣い感謝いたします、イザベラ様。ですが、殿下には殿下のお考えがあるのでしょう。それに、わたくしたち貴族の娘の価値は、殿方の寵愛のみで決まるものではありませんわ」

「リノア様……」

「イザベラ様は最近、領地の治水工事のために土木魔術の教本を読み込んでいらっしゃいましたね。もしよろしければ、地盤強化の術式構築、わたくしもお手伝いいたしますわ」

イザベラ様は、ハッと息を呑んで目を丸くした。

「かつてあんな酷い真似をした私に……派閥の垣根を越えて、領地問題の助力を申し出てくださるというのですか?」

「ええ。魔術の真理の前に派閥など関係ありませんし」

というのは建前で、ただ純粋に地盤強化の特殊な魔術式に興味があっただけだ。それに、殿下から冷遇される(演技の)日々の中で、いちいち誰かを恨んだり派閥争いに首を突っ込んだりする気力すらなかった、というのが本音である。しかし、そんな私の「魔術オタクゆえの好奇心」と「ただの疲労」が、イザベラ様の目には全く違うものに映ったらしい。

彼女は感動に打ち震えながら、私の手を両手でぎゅっと握りしめた。

「ああ、なんてことでしょう……!殿下の寵愛を失っても決して取り乱さず、ご自身の学業を淡々とこなす気高さ。自分を虐げた相手にすら、国と民のために知識を共有してくださる寛大さ……。あなた様こそ、次期王妃にふさわしい器ですわ!」

「……はい?」

「ええ、そうですわ!私たち高位貴族が、派閥争いなどしている場合ではありません。あの浅ましい女を退け、一丸となってリノア様をお支えしなくては!」

イザベラ様が熱弁を振るうと、いつの間にか彼女の後ろにいた、かつて敵対していたはずの別の派閥の令嬢たちも、「その通りですわ!」「王妃にふさわしいのはリノア様だけです!」と深く頷き始めた。

私は内心、ひどく間の抜けた顔をしていたと思う。なんという皮肉だろうか。殿下があれほど頭を悩ませていた国内の派閥争いは、共通の敵の出現と、私の魔術オタクゆえの奇行(彼女たちにとっては『王妃の器』らしい)によって、この立ち話を境に見事に丸く収まってしまったのである。

そして迎えた、卒業パーティー。全ての伏線が収束し、私たちは罠を張って、獲物が飛び込んでくるのを待っていたのだ。

*******

――そして今。

足元から伸びた白銀の鎖に縛り上げられ、床に這いつくばるクリスチアーノとメリル。先ほどまでの劇的な悲劇のヒロインと救世主の面影は、見る影もない。

「は、離せ!一国の王族に対して、なんたる無礼か!」

クリスチアーノが美しい顔を夜叉のように歪めて叫ぶ。

「無礼は承知の上だ、クリスチアーノ・バムーア」

ロイゼル殿下が、氷のように冷たい声で見下ろした。

「バムーア共和国で広がっているという悪魔信仰……その儀式に、攫った娘たちを使っていたな」

ロイゼルの言葉に、クリスチアーノは、唇の端を吊り上げた。

先ほどまでの甘い微笑みとは似ても似つかぬ、歪んだ笑みだった。

「最初は平民を使うだけで事足りた。だが、より大きな恩寵を得るには、高い魔力を持った生贄が必要になる。貴族の娘の魔力は上等だ。特に――」

青い瞳が、私を射抜く。

「王太子の婚約者という箔までついた魔力持ちなら、最高の供物になる」

ぞっとするような冷たさが背中を走る。でも、私は怯んでいられなかった。

「傷ついた令嬢を新しい婚約者として迎えるふりをして、国外へ連れ出す……実に卑劣ですわね」

「卑劣?違うな。効率的なんだよ」

クリスチアーノは嗤った。

「誰も疑わない。婚約破棄で居場所をなくした女は、優しい言葉に縋る。家族も、体面を守るために黙る。女一人消えたところで、国も社交界もすぐに忘れる」

「……哀れな男だ」

ロイゼル殿下は、ゴミでも見るかのような冷ややかな視線を向けた。

「本当に、自分たちの姑息な手口が、いつまでも通用するとでも思っていたのか?」

「何……?」

「貴様らが各国で誘拐を働いていた証拠、ならびに悪魔信仰の全容は、すでに《魔導商会連盟(コマース・ギルド連盟)》の特別議会に提出済みだ」

その言葉に、クリスチアーノの顔から余裕の笑みがスッと消え去った。

「……《魔導商会連盟》だと?」

「ああ。七つの大国が共同で権限を委ねる超国家組織だ。昨日、全会一致で議決が下されたよ。――悪魔信仰に手を染め、他国民を供物として消費するバムーア共和国の現体制は、世界に対する深刻な脅威である、とな」

殿下が一歩、彼に近づき、冷徹な声で宣告した。

「今この瞬間、七国連盟の討伐軍が、貴様の国の国境を越えている頃だろう。我が国内にある、貴様らの隠れ家である郊外の洋館も、先ほど近衛騎士団が完全に制圧した」

「な、ば、馬鹿な……!我が国の誇る強大な悪魔の力が、そうやすやすと……!」

「観念しろ、クリスチアーノ。貴様の野望も、帰るべき国も、もはやどこにも存在しない」

絶対的な自信を持っていた計画を見破られ、自国の滅亡すら突きつけられたクリスチアーノ。彼の顔が、信じられないものを見るような驚愕から、やがて屈辱と絶望で醜く歪んでいく。

「おのれぇぇぇっ!!」

突然、追い詰められたクリスチアーノからどす黒い瘴気が噴き出した。美しい金髪が逆立ち、青かった瞳が血のような赤に染まる。悪魔信仰による、禁忌の魔力暴走だ。

「こうなったら道連れだ!この講堂ごと吹き飛ばしてやる!」

「きゃあああああっ!」

クリスチアーノの体が異常に膨張し、足元に禍々しい赤黒い魔法陣が展開された。爆破魔法だ。

「危ない、リノア!」

殿下が咄嗟に前に飛び出し、私を背に庇うように両腕を広げた。

(……ああ、本当に)

私は、その不器用で真っ直ぐな背中を見つめながら、小さく息を吐いた。魔力暴走による爆破。並の魔術師なら絶望する状況だが、今の私にはむしろ、ただの計算式にしか見えない。私は殿下の背中越しに一歩前に出ると、右手をスッと前にかざした。

「第三節省略。魔力圧縮率、最大。多重展開・ 絶対結界(イージス・シールド) 」

私の唇から紡がれた術式が、空間そのものを書き換える。

バォォォォォォンッ!!!

すさまじい爆炎と衝撃波が放たれたが、私の展開した五重の半球状結界にぶつかり、あっけなく霧散した。講堂のシャンデリア一つ、窓ガラス一枚すら揺れていない。

「な、ばかな……私の全力の爆破魔法が……」

「魔力出力はなかなかのものですが、術式の編み込みが雑すぎますわね。あんな大味な爆発、第二結界の位相を少しずらすだけで簡単に相殺できますわ」

私が淡々と講評を述べると、クリスチアーノは「化け物……」と呻き、魔力切れで白目を剥いて気絶した。横ではメリルも腰を抜かして泡を吹いている。

「……ふう。魔術オタクを舐めないでいただきたいですわね」

私がドレスの埃を払いながら言うと、一瞬の静寂の後、講堂は割れんばかりの歓声と拍手に包まれたのだった。

*****

騒動が落ち着き、犯人たちが近衛騎士に引き渡された後のこと。私は、夜風を浴びるために王城のバルコニーに出ていた。

(終わった……)

全て、終わったのだ。囮捜査は成功し、誘拐犯は捕縛された。そして何より、私と殿下の「仮初の婚約」も、これでおしまい。

少しだけ冷たい夜風が、火照った頬を撫でる。胸の奥に広がるこの空虚な痛みは、きっと明日になれば消えるはずだ。図書室にこもって、新しい術式の研究でもしよう。そうすればきっと。

「リノア!」

背後から、焦ったような足音が近づいてきた。振り返ると、少し息を切らした殿下が立っていた。

「殿下。お疲れ様でした。見事な作戦勝ちですわね」

私は努めて、いつもの「淡々とした伯爵令嬢」の顔を作って微笑んだ。

「これで、お約束通り《魔導商会連盟》への推薦状をいただけますわね。明日には婚約解消の手続きを――」

「待ってくれ!!」

殿下が、大股で私に歩み寄り、両肩をがっしりと掴んだ。

「えっ?」

「その前に、どうしても解いておきたい誤解があるんだ!あの白い花の件だ!」

「……白い花?」

私が目を瞬かせると、殿下はひどく切羽詰まった顔で捲し立てた。

「君があれから、私と目を合わせてくれなくなっただろう。本当に気が気じゃなくて……いいか、よく聞いてくれ。私が君に贈ったのは『心からの愛』を意味する白いバラだ!だが、メリルへの牽制のためにあいつに贈ったのは『あなたの愛を信じない』という意味を持つ、白いゼラニウムなんだ!」

「はあ……」

「花言葉も全く違うし、花びらの形も違うのに、君が『同じ花を使い回された』と勘違いして落ち込んでいるとイザベラ嬢から聞いて、私は……私は……!」

殿下は、顔を真っ赤にして額を押さえた。私はきょとんとして、首を傾げる。

「……殿下。魔術の計算式なら分かりますけど、花言葉なんて存じませんわ」

「えっ?」

「白いバラのつもりだったのかもしれませんが、わたくしの目にはどっちも『ただの白い花』にしか見えません。というか、イザベラ様に何を聞いたんですか」

私の言葉に、殿下はぽかんと口を開け、それから深々とため息をついた。

「……君のそういう、色気のないところも好きだが……今回ばかりは本当に寿命が縮んだ……」

「好き、とは?」

私が聞き返すと、殿下は改めて私の目を真っ直ぐに見つめた。その青い瞳には、いつかの冷酷な演技でも、不愛想な態度でもない、むき出しの熱が宿っていた。

「最初から、君が好きだった」

「……」

「君は『都合の良い隠れ蓑だから選ばれた』と言ったが、それは違う。ずっと前、夜会のバルコニーで、一人星空を見上げて指先で魔術の軌跡を描いている君を見たんだ。飾り立てて愛想笑いを浮かべる令嬢たちの中で、誰にも媚びず、純粋に自分の愛するものを追う君の横顔が……誰よりも美しくて、ずっと惹かれていた」

殿下の大きな手が、私の頬にそっと触れる。

「危険な囮捜査に巻き込みたくはなかった。だが……例え演技であっても、他の令嬢を婚約者にしたくなかった。それに、君と話をするきっかけが欲しくて……だから、君を私の婚約者に指名した。職権乱用だ、すまない」

顔が、カッと熱くなるのがわかった。

「殿下……それは、つまり」

「仮初ではない。本物の婚約者になってほしい。リノア、君を愛している」

心臓が、痛いほど跳ねていた。私は魔術オタクだ。論理で説明できない事象は嫌いだった。なのに、彼からの不器用な告白は、どんな複雑な術式よりも美しく、私の心の防壁をあっさりと突破してしまった。

それでも、私は真っ赤になった顔をごまかすように、震える声で口を開いた。

「……ひとつ、確認してもよろしいですか」

「なんだ」

「《魔導商会連盟》への推薦は」

「もちろん有効だ」

「婚約しても、取り消されませんの?」

「まさか。私は君の才覚に惚れたんだ」

さらっととんでもないことを言われた。顔がさらに熱くなるのを自覚しながら、私は必死に防衛線を張ろうと畳み掛けた。

「わ、わたくし、王太子妃教育より、危険魔道具の管理規約を読む方が好きですけれど」

「知っている」

「机いっぱいに術式図を広げて徹夜することもありますわよ」

「それも知っている」

「研究に没頭すると昼食を忘れます」

「忘れないように、一緒に食事を取ろう」

殿下は、私を丸ごと包み込むような、底抜けに優しい微笑みを浮かべていた。

「……そこまで完璧な対策を用意されていたら、もう降参するしかありませんわ」

私は観念して、照れ隠しにそっぽを向きながらも彼の手をそっと握り返した。

「《魔導商会連盟》の研究と、王太子妃の公務。両立させてみせますわ。……ですから、ずっと側にいてくださいませ」

「ああ。君ならできると信じているよ」

甘い言葉で騙してくる他国の王子なんかより、少し不器用だけど、こうして一緒に並び立ってくれるこの人の方が、ずっといい。夜空に輝く月に見守られながら、私たちは本当の婚約者としての、初めてのキスを交わしたのだった。

*****

その後、バムーア共和国の悪魔信仰に関する証拠は、クリスチアーノとメリルの供述、及び押収した転移陣式の記録から次々に明るみに出た。

失踪した娘たちの一部も無事に保護され、各国は連携して捜査を進めることとなる。事件の功績により、私は本当に《魔導商会連盟》の研修候補生として推薦されることになった。 レインハート家の両親は腰を抜かし、学園中は大騒ぎだった。

かつて私に水を浴びせた公爵令嬢のイザベラ様をはじめとする高位貴族の令嬢たちは、今や私の熱烈な支持者となっている。派閥の垣根を越えて一緒に領地問題の魔術式を解いたり、研究に没頭する私にお茶や軽食を差し入れてくれたりと、すっかりいいお茶飲み友達だ。完全に一致団結して私を甘やかしてくる彼女たちの存在は、少しだけ居心地がむず痒くも、温かかった。

そして今日も、私の机の上には花が一輪置かれている。淡い青のアイリス。添えられた紙片には、見慣れた文字。――吉報。未来は明るい。

思わず頬が緩んだ、その時。

「リノア」

背後から声がして振り向けば、ロイゼル殿下が立っていた。

「午後、時間はあるか」

「ございますけれど」

「城へ来てくれ。正式な婚約発表の前に、君に見せたいものがある」

「見せたいもの?」

「《魔導商会連盟》の最新規約改訂案だ」

私は目を輝かせた。

「行きます」

「即答だな……」

「当然ですわ!」

すると殿下は、少しだけ複雑そうな顔をしたあと、小さく笑った。

「まあ、そういうところが好きなんだが」

「……殿下、最近そういうことをさらっと言いますわよね」

「慣れてくれ」

「無茶をおっしゃらないでくださいませ」

けれど、慣れないままでいたい気もした。この人の言葉に、何度だって胸を高鳴らせていたい。

私は机の上のアイリスをそっと手に取り、立ち上がる。都合よく他国の王子が現れて、幸せな未来をくれるわけではない。甘い言葉の裏には、悪意が潜んでいることだってある。

でも。ちゃんと見て、考えて、疑って。それでもなお、自分の手で掴みたいと思える未来なら。きっとそれは、物語よりもずっと確かな幸福だ。

差し出されたロイゼル殿下の手を、私は迷わず取った。今度こそ、囮でも演技でもない。本物の婚約者として。