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作品タイトル不明

第四三話 天文十二年三月下旬『岡崎の戦いその壱』織田信秀SIDE

尾張にて成経が服部友貞を討ち取ったのとほぼ同じ頃――

織田信秀は矢作川を越え、こちらに寝返った松平忠倫が籠る上和田城へと入城を果たしていた。

上和田城は岡崎城から南へ一里(約三・九キロメートル)もないところに築かれた城である。

岡崎城攻略の本陣を置くのにこれほど最適な場所もなかった。

「ふぅむ、さすが松平家の本城。これを力押しで落とすのはさすがに骨じゃな」

その大広間で、信秀は松平忠倫が持つこの辺りの地図、そして同じく織田方へと下った松平信孝が持ってきた岡崎城の縄張り図を睨みつつうなる。

岡崎城は伊賀川と乙川の合流地点の丘陵に築かれた城である。

近づくため渡河しようとすれば、高台にいる城兵たちから矢の雨を降らせられるという寸法だ。

伊賀川からは城内へと一応橋がかかってはいるが、縄張り図を見る限り、橋を越えて大手門へと向かう間、さらに高所である本丸と二の丸から矢の雨を浴び続ける構造だ。

どう考えても罠であり、ここから攻めても、いたずらに損害を増やすだけなのは明白だった。

できればその選択肢は避けたいところである。

「はっ、やはりここは支城から落としにかかるのが定石かと」

そう言ったのは、青山信昌。

彼は織田弾正忠家の三番家老を務める重鎮である。

その左隣には信秀の弟にして片腕の織田信光が座り、右隣には四番家老内藤勝介もいる。

今まさに岡崎城攻略の評定(会議)の真っ最中であった。

「我々もそれをお薦め致します。岡崎城は名君と名高き我が兄、清康が築いた城。縄張り図があったからとてそう易々と落とせる城ではござらぬ」

家臣たちの対面に座っていた松平信孝が誇らしげに言い切れば、その隣では同族の松平忠倫もコクコクと頷いている。

この二人を呼んだのは、元々松平家の人間である彼らは、この辺りの地理に明るいからである。

地形を知っている人間がいるといないのとでは、戦いの有利さがまるで違う。

彼らを使わない手はなかった。

「ふむ、となるとまずは北の井田城と、東の平岩城あたりか」

信秀は地図上にある二点を指し示す。

岡崎城を迂回して伊賀川を渡ろうとすれば井田城が、乙川を渡ろうとすれば平岩城が邪魔になるという、それぞれ実に面倒臭い位置にある支城である。

逆に言えばこの二つを落とせば、渡河も容易に行えるというわけだ。

「おぬしはどう思う、信光?」

隣に座る弟に、信秀は問いかける。

普段は豪放磊落なところがある彼が、この評定中、ずっと眉間にしわを寄せ塞ぎこんでいるのが気になったのだ。

信光は迷うように視線を彷徨わせてから、

「……兄者。長年の悲願だった安祥城を取り、西三河を切り取ったのです。一旦、ここらで軍を退きませぬか?」

「はあっ!? いきなり何を腑抜けたことを抜かしとるんじゃ、おぬしは!?」

さすがの信秀も目の色を変える。

当然、家臣たちからもどよめきが起こる。

この圧倒的有利な状況で、まさか織田軍随一の猛将からこんな弱気な発言が飛び出すとは、みな思ってもいなかったのだ。

「俺もおかしなことを言っていると思います。が、安祥を落としてからこっち、どうにも嫌な感じが止まらないんです」

「嫌な感じ、じゃと?」

「ええ、安祥の頃はただの気のせいかと思ったんですが、矢作川を越えてからというもの、悪寒は増す一方なのです」

「むぅぅ……」

今度は眉間にしわを寄せて、信秀はうなる。

この手の信光の勘は、百発百中とまではいわないが、よく当たるのだ。

そんなのただの気のせいじゃ! と無視するわけにもいかなかった。

「具体的に何か気になる事でもあるのか?」

「いや、そういうんだったら言っております。ただこのままここにいると、ろくなことにならない。そんな確信にも似た予感があるんです」

「さすがに根拠もなしにそれは通らんぞ」

難しげに信秀は顔をしかめて言う。

すでに織田勢は皆、これは勝ち戦と踏んでいる事だろう。

彼らが戦に加わっているのは、もちろん信秀の号令に逆らえないという部分もあるが、半分は勝った時の恩賞が目当てなのだ。

そもそも戦は大名にとっても諸将たちにとっても、支度金や兵糧などなど大層な出費であり、恩賞が出なければ大赤字なのである。

こんな状況で取るもの取らずに退却しては、諸将や兵たちが納得しない。

不満がくすぶり、信秀の求心力の低下を招きかねない。

退却するにしても、それなりの口実が必要だった。

「とは言え、おぬしの勘はよく当たる。それを軽く扱うつもりもない。皆も聞いたな? 敵は起死回生の一手を企んでるやもしれぬ。勝ち戦だからと気を緩ませるな! ふんどしを引き締めて当たるぞ!」

「「「はっ!!」」」

信秀がそう締めると、家臣たちはきびきびとした声で返す。

先程までの浮かれた感じは一切なくなっている。

そういう意味では、信光の懸念は良い効果をもたらしたと言える。

まあ、正直懸念は残るが、この辺りが落としどころだろう。

男には、武者には、危険とわかっていても征かねばならぬときがあるのだ。

「青山信昌!」

「はっ」

「貴様は別動隊二〇〇〇を率い北の井田城を攻略せよ」

「ははっ! 拝命いたしました!」

「内藤勝介!」

「はっ!」

「貴様は東の平岩城だ。同じく二〇〇〇を預ける。抜かるなよ?」

「承知! 必ずやご期待に応えて見せます」

「信光!」

「はっ!」

「おぬしはこの上和田でともに岡崎城の牽制じゃ。わずかの違和感も見逃さず、儂に報告せい!」

「了解です、兄者!」

信秀は矢継ぎ早に指示を出していく。

その指示は、この時点では状況に即した極めて妥当なものだったと言える。

だがこの時の判断を、信秀は生涯悔いることとなる。

たとえ大損であろうとも、信光の言葉に従い早々に退却するべきであった、と。

そうすれば、 あのようなこと(・・・・・・・) にはならなかったのに、と。

尾張から一向宗蜂起の報が届くのは、その翌日の事であった。