軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第四一話 天文十二年三月下旬『市江川の戦いその弐』

「ふう、ぎりっぎり間に合ったみたいね」

倒れた馬防柵や、打ち捨てられた矢盾を見回しつつ、わたしはホッと安堵の吐息をつく。

まじで危なかったわ。

まだこの時代には存在しない『弓胎弓』と『焙烙玉』を用いることで、敵の不意を突いてなんとか追い払えたみたいだけど、あと少し成経たちが到着するのが遅く、堀に土塁まで作られてたらそれも難しかっただろう。

「姫様、手の者に確認させたところ、討ち取った者の中に服部友貞と思しき男が……」

下柘植小猿がスッと近寄ってきて報告してくる。

わたしは思わず目を瞠り、一方で納得もした。

「へえ、なるほどね。ずいぶんあっさり退くなぁと思ったら、そういうことか」

大将を討たれて、統制を失い我先に逃げ帰ったってことね。

二一世紀の軍隊みたいに、指揮系統のトップが討たれたら、次の位階の者が指揮を受け継ぐ、なんてことはこの時代にはない。

大将を討たれたら、一気に総崩れを起こすのだ。

桶狭間の戦いがそうであったように。

「なかなか幸先がいいわ」

わたしはうんと頷く。

話によれば敵はかなりの恐慌状態に陥っていたから、服部友貞が生きていても負ける事はまずなかったと思うけど、戦いはもっと長引いていただろうし、こちらにも損害が出ていた可能性は否めない。

負傷者三名程度で、この窮地を切り抜けられたのは、まさしく僥倖と言えた。

「額に刺さった矢の羽根を確認したところ、討ち取ったのは成経殿のようです」

「っ!?」

わたしは思わず目を見開く。

えっ、まじ!? それもなの!?

「敵が上陸してくる場所も見抜いたって話だし、超大手柄じゃない、成経!」

これはもう手放しで称賛するしかなかった。

まじで一時のスランプはどこへやら、である。

まあ、でもこれが彼本来の力なのだろう。

戦場にはごくごく稀にいるのだ。

神がかってるとしか思えない人間離れした勘の冴えを見せ続ける奴ってのが。

有名所だとドイツの空の魔王ルーデルとか、フィンランドの死神シモヘイヘとか。

思えば若い頃の信長なんかもそうだった。

対岸の斎藤軍の兵の様子を見ただけで庶兄信広の内通と裏切りを察知したり、桶狭間では雹が降るような悪天候の中、敵の総大将義元の本陣の位置を見つけたり。

成経が彼らに伍するとまでは思わないが、そういう類の人間ではあるのだろう。

成経もまんざらではない様子で鼻の下を指でこすり、

「まあ、姫さんが言った通りにしただけっすわ。ほら、考えるな、感じろ、ってやつ」

「あ~、あれ、ね」

言ったことはもちろん覚えているけれど、まさかその日の内にスランプ脱出して大手柄上げてくるとは、さすがに思いもしなかったわ。

偉大なるブルース・リーにはただただ感謝である。

彼の創始したジークンドーは、極めて体系的に、論理的に組み上げられた武術である。

動きの一つ一つに『理』がある。

彼が考えに考え抜いた集大成だというのをひしひしと感じる。

にもかかわらず、『考えるな、感じろ』と彼は言った。

昔、この矛盾をわたしなりに考えてみたことがある。

それで思い至ったのは、二一世紀で盛んに言われる『言語化』って確かにめちゃくちゃ大事なんだけれど、あれは一方で諸刃の刃だということだ。

言葉には言霊が宿る、とはよく言ったもので、言葉にしてしまった瞬間、事象を規定してしまう。

それは情報量を落として単純化する、ということでもある。

それでわかりやすくはなるし、物事を上達させる上ではセーブポイントみたいな役割を示してはくれるのだが、一方でその言語化の周囲にある『微細な体感情報』を取りこぼすデメリットもある。

例えば、「手」って言えば、だいたいこんな形って思い浮かべることが出来ると思うが、手の形なんて一人ひとり微細に違う。

その微細な違いなんてあまりに大量すぎて、いちいち言語化なんてできない。

だが、わたしたちの脳というものは、そこまでしっかり感じ取って物事を判断している。

つまり、表層意識よりも深層心理のほうが、はるかに多くの情報を取り扱っているのだ。

特に成経みたいな感性が鋭い天才は、常人なら取りこぼすような様々な微細情報を無意識に取得しているんだと思う。

ピラミッドの底が広いほど、頂点の質は高まる。

だから彼の勘はよく当たるのだ。

まあ、そもそも戦闘なんて瞬時の判断の連続である。

言語化は大事であるが、いちいち言語化なんてしていたら、瞬時の判断など到底無理。

だから、平時には言語化で足場を固めつつも、急時には考えずに経験則が導き出す直観を信じる。

それがわたしなりの『考えるな、感じろ』の解釈だった。

実際にその解釈が合ってるのかどうかは知らないけれど、成経のスランプ脱出の一助になったのなら、それこそ必死に考えた甲斐があるというものだった。

ただまあ、

「あんなのはただのきっかけ、全部あんたの力、よ」

それをわたしの手柄、というのはあまりにおこがましいし、みみっちい。

部下の手柄を横取りするとかもってのほか、わたしの手柄は支えてくれた部下あってのもの、部下の失敗はわたしの責任。

それが人の上に立つ者の心得というものだろう。

実際、わたしのアドバイスなんて些細なものだ。

アドバイス一つでこんな偉業を成し遂げられる奴が、いったいどれだけいるのか。

今回の事は成経だからこそ成し得たことである。

「ほんとめちゃくちゃ助かったわ。 橋頭堡(きょうとうほ) を作られてたら、一巻の終わりだった」

ほんと今回の勝利は、織田家にとってはガチ目に値千金だった。

実は成経には当初、津島湊に向かい、佐屋川沿いを 哨戒(パトロール) するよう指示していたのよね。

津島を取られたらおしまいだし、そんな大量の船舶が接舷しようってなったら、地理的にもこのあたりだろうって。

だがしかし、実際に敵が橋頭堡を築こうとしていたのは、佐屋川沿いではなく、市江川沿いだった。

もし成経が気付いてなかったらと思うと、考えるだけでゾッとする事態である。

「うむ、よくやったぞ、成経。ううっ、あのドラ息子がまさか織田家の危機を救うまでになるとは……」

感極まったようにそう言うのは、じぃこと佐々成宗である。

息子(なりつね) の育成によっぽど苦労したのが伝わってくる。

よかったねぇ、その苦労が報われて。

「気が早えんだよ、くそ親父。戦はまだまだこれからだろうが」

舌打ちとともに、成経は吐き捨てたものである。

わたしの褒めは素直に受け取るのに、じぃのそれは気恥ずかしく、身の置き場がないらしい。

とは言え、やはりどこかその顔は誇らしげだ。

まあ、なんだかんだじぃの事は尊敬しているっぽいしなぁ。

実は一番認めてもらいたい人だったのかもしれない。

「ふむ、確かに気を緩めるのは早計じゃったな」

言うや、じぃの顔が親ばかな好々爺から熟練のいくさ人のそれへと変わる。

この切り替えの早さは経験のなせる業だろう。

途端、成経が不服そうに口を少し尖らせている。どうやらもっと褒めてもらいたかったらしい。

自分で言ったくせに、ね。

ふふっ、ツンデレだなぁ。

「しかし、大きく目立つものに目を向けさせておいて、実際には小さく目立たないところに本命を置く。まさしく兵とは 詭道(きどう) なり。敵もなかなかやりますな」

「ええ、やはり太原雪斎、一筋縄ではいかない相手ね」

唸るようなじぃの言葉に、わたしも険しい顔で頷く。

正直、服部党の事は完全に頭からすっぽり抜け落ちていた。

なにせ一向宗は伊勢全域に動員をかけ、話にあがっていた戸田だって海運を加味すれば一〇万石をゆうに超える大名である。

その裏には二ヵ国の太守たる今川家の存在まで見え隠れする。

そんな連中が包囲網を敷き、織田を狙っているというのだ。

そして津島湊は織田家の財政の屋台骨である。絶対に守らねばならない場所だ。

どうしたってそっちのほうにばかり意識が行ってしまい、足下にある小石の存在にまったく気がついていなかった。

まさかその足元にある小石で転ばす事こそが敵の真の狙いだったとか……

わかるか、ンなもん!

性格悪すぎでしょ。

人の心の動き、操り方、どうすれば盲点を作れるのかを熟知している。

史実において信秀兄さまに完勝し三河から追い出したのも、あの戦国時代の最終的な覇者、徳川家康の師匠というのも、心底納得である。

「総大将の役目、やっぱり勝家殿に任せて正解だったわ。正直、将として勝てる気がまるでしないもの」

清州では一応、わたしは勝利の立役者とか言われてるけど、それは相手がぼんくらの織田信友だったことが大きい。

実際のわたしなんて前々世では岩村城で醜態を晒してる、史実的には凡将どころか愚将なのである。

その意味では勝家殿は、将としての格で負けてない。

やはりわたしなんかより彼が適任だろう。

なんて思っていたのだが、

「いや、そんなことはないでしょう? むしろ姫様が負けるほうが想像ができませぬ」

じぃがきょとんとした様子で返してくる。

わたしは思わず苦笑する。

「それは買いかぶりすぎでしょ、今回だって完全にしてやられたし。成経がいなければほんとやばかったわ」

「その成経を馬廻先手衆筆頭に抜擢し、哨戒には 彼奴(きゃつ) が適任と出動を命じたのは、まさに姫様ではございませんか」

「それは、そうだけど」

「ひと一人で出来る事など高がしれておりまする。人の上に立つ者にとって最も重要なことは、方針を定め皆にわかりやすくそれを示し、適材適所に人を配すこと、ただただこれに尽きます」

「あー……」

そっか、そうよね。

それがトップの心得ってもんだわ。

実際、これまでわたしも普段はそう心掛けてはきたんだけれど、前々世で岩村城で大失敗したこともあって、こと戦に関しては無意識にコンプレックスを抱えて、ちょっと卑屈になっている部分もあるかもしれない。

「その点、姫様は人を見抜き、人の心をつかみ、適所に人を配する才をしっかりお持ちだ。いわば将を扱う帥の器。それこそ格が違いますわい」

「ふふっ、ありがとう、じぃ」

当たり前と言えば当たり前の話なんだけど、なんか気づかされたわ。

足りないところは、それこそ人を使えばいいだけの話だ。

その権限が、わたしにはあるのだから。

個人で勝つのではなく、チームで勝てるようにするのがまさに人の上に立つ者の仕事だろう。

それこそ今、わたしの旗下には綺羅星のごとき将が揃っているのだから。

うん、確かに上手く使えば、負ける気がまるでしないな!

とは言えもちろん、相手はあの太原雪斎。

油断は禁物だ。

今回はなんとか勝ちを拾えたが、まだまだ相手の引き出しには色々な策が詰まっているに違いない。

兵力だって大きく下回っている。

ピンチな事には変わりはないのだ。

戦いはまだこれからが本番だった。