軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二八話 天文十二年三月初旬『稀代の謀将』

鳴海城――

尾張愛智郡の東端付近の丘陵に建てられた城である。

二一世紀の鳴海は海岸からはけっこう距離があるが、戦国時代は伊勢湾がもっと入り込んでおり、満潮時には城のすぐそばまで潮に浸かるほど海に面した城であった。

史実においてはかの有名な桶狭間の戦いの発端となった城として知られる。

今川義元の尾張侵攻は上洛を目的としたものというのが昭和の頃の定説であったが、今はそれも否定され、信長が鳴海城の周囲に砦を三つ築き、攻勢を強めてきたのでその救援が目的というのが最近の定説だ。

まあ、わたしのおぼろげな記憶でも確かにそうだったはずだ。

そして今は、織田本家の惣領にして尾張守護代、織田信秀――信秀兄さまの居城にして、三河攻略の前線基地となっている。

元々は防衛用の拠点でありそこまで大きな城ではなかったのだが、この一年で縄張りがかなり拡張され、すっかり様変わりしたとのことだ。

わたしは前々世でも今世でも昔の鳴海城を見てないので知らないんだけど、ビフォアアフターを知る勝家殿の話ではそうらしい。

実際、その威容は尾張守護が住まう清州城と比較にしても遜色ない。

これを一年足らずで、か。

「内装も凝ってるなぁ」

通された遠待の間(来殿者の控え室)の入口の 襖(ふすま) には、ふんだんに金箔が押され、竹林に棲む巨大でいかにも獰猛そうな虎が描かれている。

わたしには残念ながら絵心はないのだが、見ているとなにやら妙な凄みを感じる。

もしかしたら有名な絵師に依頼したのかもしれない。

部屋の中も金箔や漆で煌びやかに装飾され、実に壮麗であり圧倒される。

控え室の段階でこれは、ずいぶんとお金がかかっていそうだ。

まあ、昨年の熱田、津島から上がった税は一昨年の倍近かったという話だし、清州で上がった税も、半分は信秀兄さまに献上しているし。

今の織田弾正忠家の財力ならこれぐらい余裕だろう。

わたし自身はこういう豪奢な感じより、質実剛健って感じのほうが趣があって好みなのだけれど、織田家は財力あるぞ! と示すのは対外的には効果あるだろうし、これはこれでいいんじゃないだろうか。

弱肉強食の戦国時代、舐められたら終わりである。

「お待たせ致しました。どうぞこちらへ」

お伺いに向かった小姓がすぐに戻ってきて、奥へと案内される。

少し歩くと、岩山にたたずむ雌雄の鳳凰が描かれた豪奢な襖が出迎えてくれた。

遠待の間同様、その絵からはなんともいえない凄みを感じる。

思わず足を止め、魅入ってしまうが、

「いえ、一の間ではなく三の間でございます」

さらに奥へと導かれる。

現れたのは先程までとは打って変わって、無地の襖である。

天井や鴨居、 欄間(らんま) なども漆塗だったのが、木目調になっていた。

シックと言おうか、いっそこれはもう質素と言ったほうがいいかもしれない。

「守護代、お連れ致しました」

「信秀兄さま、つやにございます」

「うむ、入れ」

その声にうながされるように小姓が襖を開ける。

中もいたって普通の、言い換えれば地味な内装の、なんともこじんまりとした書院造の部屋である。

「身内と話すなら、こっちのほうが落ち着くからのぅ」

わたしの表情から察したのか、信秀兄さまがにやりと笑って言う。

なるほど、気の置けない相手にまで見栄を張る必要はないし、ね。

そしてこの部屋に呼ばれたということは、信秀兄さまからの信頼の証というにもなる。

先程までの金箔張りの豪奢さからのギャップもあり、なかなかにくい演出だった。

「そうですね。わたしもこっちのほうが落ち着いてて好きです」

「じゃろう? まあ、座れ」

「はい」

言われるままに、わたしは入室して信秀兄さまに対面するようにして座る。

それを確認してから、

「見よ」

信秀兄さまが目の前に広げられた地図を指さす。

尾張三河一帯のものだった。

二一世紀の正確なものを記憶しているわたしからすると、ところどころ地形が歪んでいるのだが、その辺りは時代的にも仕方ないだろう。

「一月ほど前か、おぬしの予言通り、岡崎城を追放された松平信孝が駆け込んできおったわ」

「鴨がネギ背負って来ましたか」

「うむ」

わたしの辛辣な物言いに、信秀兄さまも特に否定することなく頷く。

信秀兄さまからしても、三河侵攻の格好の大義名分だし、ね。

「まず、その信孝の居城、三木城がここ」

言って、信秀兄さまは、松平家の本拠地、岡崎城のすぐ下にある城を指さし、

「そして水野家当主、信元からも戦の折にはこちらに内応する約定を取り付けておる」

次いで、信秀兄さまがぴっと知多半島の入口あたりを指さす。

「なるほど」

「やはり驚かんのじゃな」

ふんっと信秀兄さまが鼻を鳴らす。

わたしがあっさり受け入れたことがあまりおもしろくなかったらしい。

「ああ、松平宗家現当主、広忠の正妻於大の実家、でしたね」

正妻の実家が離反して、敵国に付くのだ。

本来であれば確かに、けっこうな大ニュースよね。

けどわたしにとっては、それほど驚くほどのことでもないんだよなぁ。

広忠の妻、於大はかの江戸幕府の創立者、徳川家康の実母である。

そして、家康が生まれてまだ間もない頃に母と別れることになる逸話は、徳川家康の伝記を読めばだいたい書いてあることだが、その原因となるのが、この水野信元の離反だったりする。

だからまあ、わたしも普通に知っていたのだ。

とは言え、

「織田軍が攻めてきたところでこれを知らされる松平広忠には、今から少し同情しますね」

二一世紀の人間には、尾張と三河の大名は織田と松平(徳川)と思われがちだが、実はこの水野家も、知多半島北部と碧海郡の一部を領する一〇万石近い立派な大名である。

婚姻同盟まで結んでいたそんな大勢力が、敵方に付くのだ。

まさに青天の霹靂もいいところだろう。

だが、事態はさらにそれだけに留まらないことを、わたしは知っている。

「他には、上野城の 酒井忠尚(さかいただなお) 、桜井城の 松平清定(まつだいらきよさだ) 、 福釜(ふくかま) 城の 松平親次(まつだいらちかつぐ) 、上和田城の 松平忠倫(まつだいらただとも) もこちらに与すると返答がきておる」

地図に書き込まれた城を一つ一つ指さしながら、信秀兄さまは得意げに言う。

一族である松平家の者が多くなびいているのは、実質上の支配者であり武名が轟いていた信孝を当主に擁立したおかげだろう。

史実がそうだったというのは知っていたのだが、

「うわぁ」

いざこうして実際に地図で見せられると、そのえぐさに思わずうめき声が漏れた。

西三河の最重要拠点の一つに、安祥城という城がある。

織田と松平の長年に渡る戦いの名称が「安祥合戦」であり、この要衝の取り合いだったことからも、その重要性はわかるだろう。

今、信秀兄さまが述べた城を並べ、さらに松平信孝の三木城も加えると、ぐるりと綺麗にその安祥城を包囲する形になっているのだ。

「安祥城はもう丸裸同然、ですね」

「うむ。必勝の布陣であろう?」

「ええ、戦に絶対はないと申しますが、これはもう勝ち確定かと」

それぐらいもう状況は、圧倒的に織田側に優勢な状況だった。

松平家の本拠地である岡崎城と安祥城の間には、矢作川が流れる。

松平勢が安祥城に援軍を送る際には、当然、河を渡らなくてはならないのだが、軍事上、渡河中に攻められるのは非常にリスクが大きい。

しかもこの地図を見る限り、両岸をすでに織田方が押さえており、下手に援軍を送ろうものなら、そんな場所で挟み撃ちになりかねない。

これでは松平勢としては、なかなか援軍は送ろうにも送りようがない状況なのだ。

うん、わりとガチ目に同情するかも。

織田勢が攻めてきたと思ったら、瞬く間にそういう苦境に陥らされる。

青天の霹靂どころか、もうこれ驚天動地でしょ。

「何気に信秀兄さまは戦わずに城を奪うの上手いですよね」

攻城戦というのは、敵は堅牢な城塞の中に閉じこもっているのだから、力づくで攻め落とすというのはやはり難しい。

いかに敵兵の士気をくじき降伏に追い込むかが重要となる。

そして、籠城と言うのは基本、援軍が来ることを前提に行う。

なのにその援軍が来ない、来れない。

この孤立無援の状況では守兵たちの士気もそう長くは保つまい。

もはや戦う前から勝負は決していると言える。

まったく惚れ惚れするほどに鮮やかな手並みだった。

かつては那古野城を今川方から謀略で奪い取ってもいる。

経済感覚も鋭く、その怖そうな見た目や、「尾張の虎」なんて獰猛そうな二つ名とは裏腹に、実は武勇面よりも、頭脳面での実績のほうが豊富なんだよな、このひと。

「ふっ、『百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり。 戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり』よ」

「なるほど、孫子の一節ですね。さすがは信秀兄さまです」

おべんちゃらではなく、本心からの感嘆だった。

戦争するとなれば、勝とうが負けようが、金銭、兵糧、兵士の全てにおいて損害を被る。

戦地となった町や農地なども荒れ、民も苦しむ。

元に戻すのも大変だ。

だから実際に戦うのは次善の策であり、最良の策とは戦わずに相手に敗北させることであると孫子は喝破したのだ。

わたしも激しく同感である。

ほとんど損害を被ることなく丸儲けできるんなら、そっちが良いに決まっている。

この辺り、信秀兄さまは非凡な将だとやっぱり思う。

戦場での派手な活躍のほうが喝采を浴びがちだが、地味でもこういうのをこそ本当は評価するべきなんだよな。

そして癪ではあるが、この点、信長はさすがと言わざるを得ない。

あいつ、戦場で派手な活躍したやつより、こういう地味でも素晴らしい活躍をした将をこそ称賛し出世させているのよね。

桶狭間の戦いなら、義元の首を取った毛利新助よりも、今川義元の本陣の位置を伝えた簗田政綱を一番の功績と讃え沓掛城を与えているし、秀吉なんかも、戦場での槍働きだけではなく、城の普請とか、調略により敵を味方に引き入れるのが上手だったりしたから、身分が卑しかろうと高く評価し出世させている。

この辺はわたしも見習いたいところである。……ほんっと癪だけど。

「まあ、今回の調略が簡単に進んだのは、貴様のおかげも大きい」

「はい? わたし、ですか?」

突如褒められ、わたしはきょとんとする。

今回は特に何かした覚え、まったくないんだけどな。

調略作戦だって戦略の基本だし、すでに信秀兄さまの腹の中にもあったっぽいし。

信秀兄さまはフッと口の端を吊り上げ、

「貴様はスサノオの巫女、じゃからな。誰も神に弓引きたくはあるまいて」

「ああ、なるほど」

わたしは納得したようにうなずく。

まだまだ全然、迷信深い世の中だしなぁ、戦国時代って。

「神を騙る者はよくいるが、貴様が台頭してからというもの、我が織田弾正忠家の躍進は著しい上に、熱田も津島も大繁盛、清州も貴様が城代になってから一気に栄えたし、のぅ」

確かに我が事なのであまり自覚はなかったが、そう並べられると、確かに傍目には信憑性がありそうである。

「おかげであっさりとなびくもんだから、拍子抜けもいいところよ」

かっかっかっと信秀兄さまが笑う。

実際、松平信孝が追放され、織田に流れてきてまだ一ヶ月かそこら。

普通は調略って年単位の時間をかけてじっくりやるもんだよなぁ。

「ただ肝心の安祥城主、 松平張忠(まつだいらはるただ) だけは一向になびく気配を見せん。まあ、仕方があるまいか。彼奴にとって儂は、先の安祥の戦いで、弟の長家に嫡子の 康忠(やすただ) を討ち取った恨み骨髄の仇敵、じゃろうしなぁ」

やれやれと信秀兄さまは嘆息する。

弟に嫡子、か。

それは確かにちょっと、手を取り合うのは難しいだろう。

「となると、戦しかありませんか」

「うむ。次の吉日にも早々に挙兵する腹づもりじゃ。今川も出張ってくるらしいし、のぅ。あまりゆっくりはしてられん」

「ですね」

わたしも深々と頷く。

わたしの知る史実は、すでに信秀兄さまには伝えてある。

現時点では、東の北条家と西の遠江の堀越家・井伊家の挟み撃ちにされ二方面作戦の苦境に立たされてる今川義元であるが、それも天文一四年(一五四五年)まで、だ。

天文一四年には北条から河東の地を取り戻した上に和睦、遠江の堀越も屈服させ、後顧の憂いを絶って三河に進出してくる。

そしてその後に起きる小豆坂の戦いでは信秀兄さまを退け、あの織田信長さえもあと一歩のところまで追い詰めるのだ。

その戦略的手腕はやはり侮れない。

桶狭間の戦いで討ち取られた事で愚将扱いされがちだが、東海道一の弓取りの名はやはり伊達ではないのだ。

そして義元の右腕にして稀代の名参謀、徳川家康の師でもある『黒衣の宰相』太原雪斎も未だ健在。

織田家としては、彼らが出張ってくる前に早々に、松平家との戦いにけりを付けておきたいところである。

「ではわたしも、清州に戻り次第、戦支度を進めたいと思います」

正直、戦になんて参加したくはないのだけど、立場上仕方がない。

家臣たちも危険に晒したくないし、出来れば後方支援とかに回してもらえたらいいんだけどなぁ。

「いや、此度の戦は貴様が出張るまでもない」

なんて思っていたら、まさかの言葉が信秀兄さまの口から飛び出てくる。

えっ!? 戦出なくていいの!?

「貴様は清州に留め置いておいたほうが、富を生みそうじゃしのぅ」

「なるほど。ええ、ええ、頑張って生み出しますとも!」

俄然張り切ってわたしはコクコクと頷く。

やった!

戦よりそっちのほうが一〇〇倍性にあっている。

成経あたりは盛大に不満を漏らしそうだけど、わたしとしては万々歳である。

「代わりに一つだけ、戦の前に貴様には是非やってもらいたいことがある」

と、喜んだのもつかの間、信秀兄さまが人差し指を立て、にまぁっと悪戯っぽく笑う。

あ、な~んか嫌な予感。

このひとがこういう笑い方する時って、だいたいろくでもないことを考えているのよね。

そして、悪い予感というものは往々にして当たるものである。

その後、信秀兄さまの口から語られたお願いに、わたしは心底嫌そうに顔をしかめたのだった。