軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十五話 天文十一年七月上旬『表裏比興』

「おお、懐かしの我が家!」

二ヶ月ぶりに見る下河原の屋敷に、わたしは意気揚々と叫ぶ。

温泉が湧いたなら、入るしかない!

というわけで、城代のさらに代わりを林秀貞殿に押し付けて、早速視察に来た次第である。

まあ、結局、この屋敷に住んだの、正味三ヶ月かそこらでしかないんだけど、自分なりに色々工夫を凝らしたりもしたから、愛着はあるのよね。

けっこう有り金のほとんどを注ぎ込みもしたし。

「おお、姫様! 見て下せえ!」

見覚えのある村人が、高揚した顔で声をかけてくる。

下河原村の住人、牛乳を搾ってくれた茂助である。

彼が指さした先に目を向けると、櫓とその内側に木製の車輪のようなものがそびえ立つ。

いわゆる上総掘りと呼ばれる、滑車の原理やてこの原理を用いて、子ども一人分ぐらいの重さはある鉄管を地面に叩き付けながら掘削していく、今より実に三〇〇年ぐらい先の明治時代に発明された掘削用具である。

人力でも実に五〇〇メートルほども地中を掘り進めることができる、この時代においては実に画期的な代物だった。

「へえ、ちゃんと湧いてるじゃない!」

わたしは思わず感嘆の声をあげる。

櫓の下に開いた穴からは、どばどばと勢いよく透明な湯水があふれ出てきていた。

それは村人が突貫工事で掘ったと思われる溝をつたって、人二~三人ぐらいは入れそうな池へと注がれている。

わたしはすぐさま池へと駆け寄り、袖をめくって池の中に手を突っ込む。

「あったかい!」

喜々としてわたしは叫ぶ。

温泉だ! これは間違いなく温泉である!

肌感覚的にはだいたい四〇度ぐらいだろうか。

お風呂としてまさに適温! エクセレント!

早速、着物を脱ぎ棄ててダイブしたいところではあったが、八歳とは言えわたしも女の端くれ。

そういうわけにもいかない。

「茂助、この温泉の周りに陣幕を張ってもらえる?」

「へ、へい! おい、お前ら、手伝え。姫様直々のご命令だ!」

茂助がその場にいた小者たちに声をかけ、陣幕の設営にとりかかる。

まあ、ざっと四半刻(三〇分)もあれば出来上がるだろう。

「どう時間潰そうかな? 成経、将棋でも一局打つ?」

でも、温泉の事が気になりすぎて集中できないかも。

まあ、それも丁度いいハンデかな。

「いや、もっといい暇つぶしがあるっすよ」

けど、成経は首を横に振る。

おろ?

すっかり将棋にハマってる成経なら、絶対に乗って来ると思っていたのに。

……嫌な予感するなぁ。

こいつ、な~んか殺気立ってるし。

「おい、下柘植のおっさん」

呼びつけ、成経が小猿をジロリと睨みつける。

それでだいたい察した。

さっき二度に渡って手玉に取られていたからなぁ。

「なんでしょう?」

「ここには道場もある。一手、指南してもらおうか」

言って、成経は口の端をにぃっと剣呑に歪める。

明らかに人に物を頼む態度ではない。

教えてもらうつもりも、たぶんあるまい。

ヤンキー気質の彼としては、あのまま負けたままでは気が済まないのだろう。

虎視眈々とリベンジの機会をうかがっていたといったところか。

「お断りします」

だが、小猿はあっさりとその申し出を断ってしまう。

「なにっ!? ちょっ、待てよ!」

断られると思っていなかったのか、成経は慌てる。

「男ならここは受けるところだろう!? 逃げんのか!?」

「ええ、逃げます。我らは伊賀者。そのような矜持は持ち合わせてはおりませぬゆえ」

煽って挑発するも、するりとかわされる。

まあ、忍者は敵地に乗り込んで、情報を盗んで帰ってくる、あるいは、潜伏して偽の情報を流布するのが主な仕事である。

戦って勝つのは武士の仕事であり、そこに矜持など持っても邪魔なだけ、ということだろう。

「あんた、新参者だろう? 姫さんに実力を見せるいい機会じゃねえか」

「伊賀者の技は表裏比興の術。いざ尋常に勝負! といった戦いでは実力の十分の一も出せませぬ。なので良い機会ではござらぬかと」

「ぐぬ~、じゃあ、いいぜ。お前の流儀に合わせてやる。それならいいだろう!?」

「あっしの流儀、でございますか?」

「ああ、卑怯上等、なんでもありだ! いつでもどこでも仕掛けてこい! これならどうだ!?」

おいおい、わたしの陣幕設営の間の暇つぶしというお題目はどうなった?

本末転倒過ぎる。

いつどこで始まるかもわからんものなんて、絶対暇つぶしにはならんぞ?

まあ、小猿とやりたいだけの口実なのはわかっていたけどさ。

「どう、と言われましても、その勝負を受けて、あっしにどんな得が?」

小猿が小首を傾げる。

あ~、確かに。

普通に怪我するかもしれないしなぁ。

「じゃあ、勝負受けてくれたら、一貫文。俺に勝ったら一〇貫文でどうだ?」

「ふむ……」

それまでのれんに腕押しだった小猿が、ようやく考えるような素振りを見せる。

「なんなら二〇貫……」

ここが好機と見た成経が金に物を言わせて畳みかけようとしたところで、

「うっ!?」

その喉元に小猿の苦無が突きつけられていた。

「ひ、ひきょ……いや、なんでもねえ」

卑怯と言いかけたところで、ぐっと成経はその言葉を呑み込む。

完全に不意打ちだし、卑怯と言えば卑怯以外の何物でもないのだが、小猿の流儀で勝負すると言ったのは成経だ。

小猿はご丁寧に、いざ尋常に勝負なんてことはしない、と明言もしている。

言い訳のしようもない、成経の敗北だった。

「ちくしょう! 俺の負けだ! 清州に戻ったら二〇貫文くれてやらぁ!」

どかっとその場であぐらを組んで頬杖を突き、いかにも不貞腐れた顔で宣言する。

全然、納得はしていないのだろうが、それでも吐いた唾は意地でも飲まないのがこの男である。

二〇貫文と言えば二一世紀換算で二四〇万円相当。

成経の身代を考えれば、相当の大金である。

しかも同意してはいるとはいえ、不意打ちでの敗北。

出し渋ってもそう恥ではないと思うが、そこは己の矜持が許さないのだろう。

牛一との時もそうだが、本当にプライドの高い男である。

決して賢いとは言えず、むしろ大馬鹿の類ではあるのだが……

わたしはやはりこういう意地の張り方をする男が、嫌いじゃないのだ。

「ふふっ、なかなかいい暇つぶしだったわよ、成経?」

「ちっ!」

わたしがからかうと、成経は舌打ちとともに唇を尖らせ、そっぽを向いてしまう。

ありゃ、拗ねちゃった。

親しくなってくると、ついつい可愛さ余ってからかいたくなっちゃうのがわたしの悪い癖である。