軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三八話 天文十二年七月中旬『頑なな信念』太田牛一side

福釜城――

矢作川の西に広がる台地の南西端付近に、松平親盛によって築かれた、安祥城の支城である。

「はあ、どうやら貴方の勘が当たったようですね」

その櫓の上で、牛一が矢作川の方向を睨み、苦々しげに嘆息する。

ここからなら遮蔽物もなく、矢作川周辺がはっきりと一望できるのだ。

「みたいだな、へへっ、腕が鳴るぜ」

そういって楽し気に口の端を吊り上げたのは、佐々成経である。

続々と矢作川を越えてくる敵兵の群れに、戦の気配に高揚しているのだろう。

「不謹慎すぎます。安祥城には姫様がおられるのですよ?」

牛一は顔をしかめつつ、注意する。

ざっと見た感じ、敵は一万は下るまい。

堅固な山城ならともかく、平城である安祥城では守り切れるか、少々心もとないところである。

つやは彼らの直属の主君であり、また現在の尾張の大発展を生み出した中心人物である。

尾張の、強いては日ノ本全体の為にも、万が一さえあってはならぬ人物だ。

呑気に心躍らせている場合では断じてなかった。

「あん? だからこうして急いで戻って来たんだろうが」

興がそがれたのか、苛立たしげに成経は吐き捨てる。

彼と牛一は今、自らの手勢を率い、つやのいる安祥城へと向かう途上にあった。

そして実は出発前、成経が嫌な予感がするというので、その進軍速度を早めていたのだが、小休止がてらこの城により確認してみたら案の定、今川方が今まさに安祥城へと押し寄せようとしているところだったというわけである。

牛一も、勝家も、あのつやでさえ、今川軍が渡河してくることはないだろうと踏んでいた。

理屈で考えれば、無謀なことだからだ。

にもかかわらず、この男は遠い尾張の地でそれを嗅ぎ取った。

やはりこの男の野生の勘は、常軌を逸しているというしかない。

「……そうですね。こうしてはいられません。すぐ姫様の下へと向かいましょう」

早速、踵を返しはしごに手をかけた牛一であったが、

「成経殿?」

同僚が動く気配を全く見せないことに、いぶかしげに振り返る。

成経は微動だにせず軍勢を見据えたまま、

「あ~、俺らはもうしばらくここで休んでくわ」

「っ!? いきなり何を言い出すのです!?」

冷静沈着でならす牛一も、これにはさすがに声を荒らげる。

今川勢は早晩、安祥城を包囲するだろう。

そうなれば、つやと合流するのは難しくなる。

休んでる暇など全くないことは、明明白白だった。

「俺ら馬廻先手衆は、下手に合流するよりここにいたほうが、なんとな~くいい気がするんでな」

「……貴方がただ自由に戦いたいだけでは?」

「城の中にいたほうが、むしろ楽しめそうではあるんだけどな」

牛一は、自らの顔が強張るのがわかった。

繰り返すが、この男の勘は常軌を逸している。

だから今回もおそらくは当たってはいるのだろう。

だが――

「安祥城に集結せよ。それが姫様の命だったはずです」

主君の命に背くなど、あってはならぬことである。

各々が自分勝手に動けば、規律も何もなくなるのだから。

「ちっ、相変わらずあったまかってえなぁ、お前」

呆れたように、成経が舌打ちし、

「平時ならお前の言いたいこともわかっけどよ。今は戦時だ」

「戦時だろうと、例外は許されません!」

一度でも例外を作れば、それは前例となる。

前例があれば、常態化してしまうのだ。

その先にあるのは――

「はあ? それで姫さん失ったら、元も子もねえだろうが!」

「っ!」

痛いところを突かれ、牛一は思わず押し黙る。

規律は守られねばならぬ。

この男の言葉に、理があるわけでもない。

だが、この男の勘はとにかく当たるのだ。

絶対につやを失うわけにもいかぬ。

ここに成経率いる馬廻先手衆が留まる事が、こと此度の戦に関してはおそらく正しいのだろう。

ならば黙って送り出すべきではないのか。

しかし、しかし――

「そもそも俺は、お前の命令に従ういわれはねえ。安祥城に行くならさっさと行きな」

葛藤する牛一を無視して、もう話は終わりだとばかりに成経がしっしっと手を払う。

確かに現実問題、牛一が何を言ったところで、成経の意志は変えられないだろう。

そして、こんなところで言い争っている時間もない。

今はまさに文字通り、一刻を争う状況なのだから。

「わかりました。が、この事は姫様には報告させて頂きますよ?」

自分でも、虎の威を借りる狐のようなことを言っている自覚はあった。

はたから見ても、嫌な人間であろう。

「ああ、好きにしな。それがお前の仕事なんだろうしな」

だが成経は意に介した様子もなく、振り返ることもなく、淡々と返してくる。

もはや牛一のことも、処罰のことも、彼には眼中にないようだった。

完全に戦の事だけに集中しきっている。

正直、そんな彼が頼もしく、そしてわずかに妬ましかった。

この快刀乱麻を断つような姿に、人は憧れ惹かれ、付いていきたくなるのだろう。

自分もそうやって思うがままに振る舞えたらどんなに楽なことか。

だが、それは出来ぬのだ。

『お兄ちゃん!』

脳裏に幼く愛らしい女児の声が響く。

忘れるはずもない。

今はもうこの世にいない、最愛の妹の声だ。

同時に瞼の裏に、目を開かない妹の青白い顔がまざまざと浮かび上がってくる。

腕の中で、どんどんと温もりが消え冷たくなっていく感触が蘇ってくる。

(誰かが……拙者が引き締めねばならないのです……っ!)

ぐっと牛一は下唇を噛み締め、あの日の決意を新たにする。

忘れられるはずもない。

あの時、領主が上の言いつけを守り、古来からの税率を維持していれば、妹が死ぬようなことはなかったのだから。