軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第五五話 天文十二年三月下旬『市江川の戦いその拾壱』柴田勝家SIDE

ぶおおおおおお! ぶおおおおおおお!

対岸から法螺貝の音が高らかに鳴り響く。

出撃を告げる合図であった。

「っ! 来たか!」

床几(しょうぎ) ――折り畳み式の簡易な椅子――から立ち上がり、勝家は前方を睨み据える。

彼が今いるのは川の氾濫用の土手の上であり、敵がよく見えた。

数は……とても数え切れない。

正直、憶測すら難しい。

とりあえず劔神社に集った織田勢一万を大きく上回っているのは確実だろう。

今、織田勢は二〇〇〇弱。

兵力差は圧倒的といっていい。

だが、不思議と恐怖はない。

心に満ちるのはただ高揚感である。

「敵は横陣か」

名前の通り、横に長く広がった陣形である。

数にものを言わせて渡ってしまおうという作戦だろう。

確かにこちらの兵は少なく、対応するには限りがある。

実に原始的で乱暴で力任せな策ではあるが、有効な策ではあった。

「「「「「おおおおおおおっ!!」」」」」

鬨の声とともに、敵が一斉に川に突っ込んでくる。

一昨日の雨による増水も一段落し、水深もかなり浅くなっている。

そもそも佐屋川の支流に過ぎない市江川は、水深もそこまで深くない。せいぜい胸下ぐらいまでといったところか。

足が付くから鎧を着ても渡ることは可能だろう。

それをむざむざ許すつもりもないが。

「弓隊! 矢を射かけい!」

勝家が号令を掛けるや、自陣より数百本の矢が一斉に打ち放たれる。

まだ本来なら弓でも届かない距離ではあったが、

「ぐあっ!」

「ぎゃあっ!」

問題なく敵先鋒に矢の雨が降り注ぐ。

従来の弓は四方竹弓といって木芯の四方を竹で囲む造りなのだが、今、織田軍が使っているのは側面部分だけを木材にし、芯の部分まで竹にしたものに改良した 弓胎弓(ひごゆみ) である。

これにより威力や飛距離が格段に増した織田家の新兵器であった。

軍記物語などの中では白兵戦が華となるが、実際の戦は弓こそ主役である。

当たり前ながら、射程が長い武器のほうが、基本的に短い武器より圧倒的に有利なのだ。

「手を休めるな!」

織田勢から絶え間なく矢が放たれていく。

川の流れに足を取られた一向宗の歩みは亀のごとしであり、まさに絶好の的だった。

敵兵たちが次々と川の中に倒れ伏していく。

川が紅く染まっていく。

「「「「「南無阿弥陀仏っ! 南無阿弥陀仏っ!!」」」」」

だが一向宗は止まらない。

念仏を唱えながら、歩みを進めてくる。

全く戦意が揺らがない。

否、むしろ士気が高まっているようですらあった。

「な、なんですかい、ありゃあ!? ま、まるで亡者の群れじゃねえスか」

そう言って顔を引き攣らせたのは吉田次兵衛。

勝家に負けず劣らずの巨躯と筋骨隆々な厳つい男である。

元は勝家の草履取りにすぎない身であったが、安祥での見事な戦いぶり、そして頭も回ることから、見込みがあると士分に取り立てた男であった。

「ああ。川を前にしながら、さながら背水の陣を敷いたかのようだ」

勝家も緊張に顔を強張らせつつ、ゴクリと唾を飲み込む。

加賀国を奪い取った一向一揆の恐ろしさは、噂に伝え聞いてはいた。

だが、聞くのと実際に目の当たりにするのとでは大違いだった。

本来、足軽というものは農兵であり、戦うことを本業にしていない。

ゆえにちょっとしたことで怖気づくし、逃げ出すものだ。

にもかかわらず、一向宗は一切怯まない。

「「「「「南無阿弥陀仏っ! 南無阿弥陀仏っ!!」」」」」

ただひたすらに念仏を唱えるだけで、誰一人として逃げ出そうとしない。

渡河の最中、足を取られ敵のいい的になっているような状況だというのに、だ。

その異様さに、さすがの勝家も背筋に寒いものが疾る。

死を恐れぬ兵ほど怖いものはない。

そんなものが万単位の軍となって襲い掛かってくるのだ。

とんでもない脅威である。

「これは前もって覚悟していなければ、呑まれていたやもしれんな」

ニッと勝家は口の端を吊り上げる。

前もってつやから一向宗の恐ろしさを言い含められていたのが幸いした。

つやの忠告がなければ、とても冷静さを保ってはいられなかっただろう。

想定の大事さを、改めて痛感する勝家である。

「弓隊は敵の両翼を重点的に射かけよ。槍隊、前へ」

指示通りに弓隊の狙いが変わる。

当然、矢の雨という障害のなくなった中央の部隊は、続々と川を渡ってくる。

勝家はその様を瞬きすら惜しむぐらいに凝視し、

「槍隊、突撃開始ーっ!」

敵が川を八割ほど渡ったところで命を下す。

「「「「「おおおおおっ!!」」」」」

自軍より鬨の声が上がり、槍隊が駆け出す。

かたや土手を一気に駆け降り勢いを付けた織田勢。

かたや川の流れに足を取られ亀の歩みであった一向宗。

どちらに分があるかは、言うまでもなかった。

ようやく上陸を果たした一向宗を、再び川へと押し戻す。

ひたすら押し戻す。

とにかく押し戻す。

さすがに織田勢の突撃の勢いもなくなったが、それでもまだ数で劣るはずの織田が押し気味であった。

その秘密は、槍の長さにあった。

三間半槍。

従来の長槍は二間半《約四・五メートル》前後だったところを、文字通り三間半(約六・四メートル》にまで伸ばしたものだ。

前述の通り、間合いが長いほうが戦いは有利だ。

こちらの攻撃だけが届き、相手の攻撃は届かない、と言う状況を作れるからだ。

一方の攻撃だけが当たるのなら、どちらが押し気味になるかは自明の理と言えた。

「当たり前と言えば当たり前の理屈ではあるが、これは盲点だったわ」

確かに間合いは長ければ長いほど有利ではあるが、一方で槍は長ければ長いほど取り回しが難しくなる。

だからこそ自分で槍を扱っていると、長すぎてもよくない、という思い込みが生まれる。

だが、集団戦は理が全く違うのだ。

まず足軽の大半は農兵である。

さらに両隣にも味方がいる。

元々、そんな自由自在に取り回せるはずがないのである。

上から振り下ろす。真正面に突く。

できるのはこれぐらいであろう、ならば取り回しの良さなど捨てて、その分長くしてしまえばいいのである。

つやがひそかに製造していた三間半槍、しめて六〇〇本。

長い分だけ重く持ち運びには不便であり遠征向きではなく、また実戦での効果も実証されてないうちからいきなりそんな万単位の大量生産にも踏み切れなかったため、三河侵攻戦では採用されなかったが、防衛戦ではその威力を遺憾なく発揮していた。

が、それもせいぜい半刻《一時間》が限度だった。

「ちぃっ、まるで雨後の 筍(たけのこ) だな!」

勝家は忌々しげに吐き捨てる。

どれだけ叩いても叩いても、次から次へと予備兵力が投下され押し寄せてくる。

これでは切りがない。

一方、織田勢には足軽の予備兵力などない。

三間半もある長物を上げては降ろして上げては降ろしてを繰り返していれば、疲労は蓄積していく。

死と隣り合わせの緊張感は、疲労を倍加させる。

いくら農民がその手の運動に日ごろからクワで慣れているとはいえ、限度があった。

さらに言えば、弓隊のほうでも、焙烙玉は使い切り、矢玉ももう切れかけているという報告が上がってきている。

逆茂木や馬防柵などで防御を固め、佐々成経や太田牛一などつや姫直属の者たちにも遊撃で両翼の上陸を防いでもらっているが、それももう限界が近いだろう。

「頃合いか。長槍隊、下がれ! 騎馬武者隊、出るぞ!」

号令とともに勝家は愛馬にまたがり、先陣を切るように土手を駆け降りる。

左右に分かれ下がっていく槍隊の間を、切り裂くように抜けていく。

その後ろに騎馬武者隊四〇〇が続く。

もっとも実際に馬に乗っているのは一〇〇程度、残り三〇〇はその部下たちで 徒歩(かち) の兵である。

「かかれぇぇぇぇっ!!」

獣のごとき号令とともに、勝家は自ら敵陣へと突っ込み、その勢いのままに長槍を一閃するや、その軌道上にいた一向宗門徒たちが三人、まとめて弾け飛ぶ。

いくら勢いを付けたとはいえ、恐るべき膂力であった。

「我が名は柴田勝家なり! 死にたい者だけかかってこいっ!!」

人間離れした一撃を見舞われた直後にこの雷のごとき一喝に、敵兵たちがたじろぎその進軍が止まる。

蛇に睨まれた 蛙(かえる) のごとく、敵兵たちは微動だに出来ない。

ごくごく稀に、この世界にはいるのだ。

その武勇によるものか、豪胆さによるものか、はたまた声量によるものか、あるいはその全てか。

その一喝で万単位の兵の進軍を止める化け物が。

古くは三国志における長坂橋の張飛翼徳。

後の時代にはなるが、稲生の戦いの織田信長。

小牧・長久手の戦いにおける本多忠勝などがそれに当たる。

矢でも長槍でも止まらなかった死を恐れぬはずの一向宗門徒たちも、この鬼神の業にはさすがに怯まざるを得ないようだった。

心は行けといっても、身体が、そして本能が拒否したのだ。

勝家の鬼のごとき強さと迫力に。

「「「「「おおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」」」

そこに一拍遅れて、騎馬武者隊の突撃である。

さすがの一向宗も、これにはたちまち恐慌状態に陥った。

「さ、さっすが大将! おらがついていくと見込んだ方だ!」

隣で槍を振るう吉田次兵衛が興奮気味に絶賛してくる。

「大将さえいりゃあ一向宗なんざ……」

「いや、所詮は 一時凌(いちじしの) ぎだ」

だが、当の本人である勝家は、なんとも 醒(さ) めきった顔で言う。

人は慣れる生き物である。

大喝で怯ませるなど、二度も通用するものではないと彼は見切っていた。

「じゃ、じゃあどうするんですかい!?」

「最終手段を使うのみだ」

「さ、最終手段っすか?」

吉田次兵衛がゴクリと唾を呑み込み、期待の眼差しで問うてくる。

勝家は頷き、

「ああ、三六計逃げるに如かず、だ。騎馬武者隊、退けい、退けーいっ!」

叫びつつ愛馬をぐるりと回頭させ駆けさせる。

元よりこの騎馬武者隊の突撃は、強烈な一撃を見舞い、敵の勢いを止め、味方の撤退の時間を稼ぐ為である。

そしてそれはすでに果たした。

もうこの場にいる理由はない。

槍隊の番頭にも、すでに退却の指示は下してある。

後はもう一目散に逃げるのみだった。

「いいいっ!? ま、マジですかっ!?」

悲鳴じみた声を上げつつも、吉田次兵衛もすぐさま転進して逃げ出す。

敵陣に突っ込んでいた他の隊士たちも同様だ。

このあたりが、士分だけで構成された部隊の有難いところである。

農兵主体の足軽隊では、やはり命令が行き届かない。

優勢であれば退けと命じても空気に呑まれて戦おうとするし、逆に不利ならば戦えといっても怖気つき進めなくなったりする。

だが、士分の者なら日々の訓練の賜物か、軍令に従うことを叩き込まれている。

より指揮官の思い通りに動かすことができるのだ。

「つや姫様、申し訳ございませぬ」

出来れば後詰の到着までなんとか 堪(こら) えたいところだったのだが、力が及ばなかった。

ただただ無念であった。

自分にもっと力があれば、彼女にこんな 重荷(・・) を背負わせることもなかっただろうに。

「最後は結局、あの方頼み、か。情けない限りだ」

自虐の言葉をつぶやくとほぼ同時に、勝家は視界の隅で、狼煙が上がるのをとらえる。

それは、つやの最後の策が発動したことを意味していた。