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作品タイトル不明

第五三話 天文十二年三月下旬『市江川の戦いその玖』太原雪斎SIDE

「もはやこうなれば、全軍による一斉攻撃を仕掛けるよりありますまい」

荷之上城の大広間、開口一番、太原雪斎はそう切り出す。

証恵をはじめ列席している高僧たちの顔が一斉に険しくなり、

「ふざけるな! そなたの策に従っても全然成功していないではないか!」

「そうだそうだ! 被害は増えるばかり!」

「あんな兵器があるなど、まったく聞いておらなんだぞ!?」

「津島をすぐ奪えるという話だったではないか、この大嘘つきが!」

ついで雪斎への非難が始まる。

当然と言えば当然だった。

願証寺の損害はすでになかなかのものになっている。

伊勢全域から行軍の為に船を借り受けたのだ。

多少は今川からの援助はあったが、その額は相当のものになっている。

その船も百隻以上が焼き払われ、その損害の補填も、後々求められるだろう。

死者はまだ二〇〇人ほどだが、その内の一人はこの荷之上城の城主服部友貞そのひとだし、負傷者に至っては一〇〇〇人を超す。

それほどの損害を被りながら、まだ織田領に踏み込めてさえいないのである。

つまり、略奪を一切行えていない。

一万を超える兵たちの食糧は、願証寺の持ち出しである。

これで不満がないほうがおかしい状況だった。

「わたしの見通しが甘かったことに関しては、心から陳謝致しましょう。ですが……ならばここで退きますか?」

不穏な空気の中、それでも表情一つ変えることなく、雪斎はしれっと言う。

すでに花倉の乱に河東の乱と、雪斎は二度の激戦を潜り抜けてきたのである。

どちらも非常に厳しい戦いであり、生臭坊主どもの圧など彼にしてみればそよ風のごときものにすぎなかった。

「たわけ! 今さらできるわけがなかろう!」

「そうだ、貴様の甘言に乗ったせいで、いったいどれだけ銭を使ったと思っている!」

「取るもの取らねばそれこそ割に合わぬわ!」

またもや 非難轟轟(ひなんごうごう) である。

だが、透けて見えてくるのは、死なせてしまった門徒への申し訳なさなどではまったくなく、ただただ金銭的な損得勘定である。

ここにいる者は皆、妻帯しており、実に血色もいい。 袈裟(けさ) も 豪奢(ごうしゃ) だ。

この現世利益への執着ぶりで、民の前では『南無阿弥陀仏』と唱えれば救われる。極楽浄土に行ける。

だから仏敵を滅ぼす為、死も恐れず戦いなさい!

とけしかけるのだから、雪斎は畏れ入るところである。

全部自らの欲を満たす為ではないか。

まあ、だからこそ 操りやすい(・・・・・) のだが。

「ならば尚更、急がねばなりませぬな。先程、我が手の者より報告がありました。三河より織田勢主力が撤退。おそらく明日には尾張に戻ってくるかと」

「「「「「っ!?」」」」」

列席者たちが一様に息を呑むと同時に、どよめきが疾り、

「斎藤の後詰もあると考えれば、もうあまり時間をかけていられないのも事実。後詰が到着すれば、もはや津島を取るのはますます困難となりましょう」

「そ、それは困るぞ!」

「津島が取れねばそれこそ大損も大損ではないか」

「うむ、こやつの策に乗るかどうかは別として、後詰が来る前に片付けねばならぬのは確か、じゃな」

面白いぐらいに慌てふためき、喧々諤々と津島攻略の案を練り出し始め、雪斎は苦笑を禁じえなかった。

雪斎に騙されたと言いながら、また彼らはまんまと雪斎の掌の上で踊らされ、かつそれに気が付いていないのだから。

この欲深坊主どもの関心が、もっぱら金にあることはこれまでの交渉で把握していた。

ならば、彼らにとって津島は最高の餌であり、急所である。

そこを突けば動くという確信が、雪斎にはあったがまさにその通りであった。

(二虎競食。全軍突撃して互いに食い潰れてくれればそれが一番と言えば一番ですが……)

それはあくまで期待に過ぎない。

雪斎の提案を蹴り、別の策をとってももはや一向に構わなかった。

今回の織田包囲網の雪斎の最優先目的は、織田家の三河侵出を食い止める事である。

そしてそれはすでに果たされている。

矢作川以西が取られたのは痛いと言えば痛いが、以東は 凌(しの) ぎ切った。

織田家随一の猛将、織田信光を討ち取ったとの報も聞いている。

もはや上出来と言っていい仕上がりだ。

後の事はもうおまけである。

(さて、一向宗はどう動く? 織田の鳳雛はどう凌ぐ?)

悠々とほくそ笑みながら、高みの見物を決め込む太原雪斎であった。