軽量なろうリーダー

精霊巫女など要らぬと追放されたので、精霊様方も連れて出ていきます

作者: 夢見叶

本文

「精霊巫女リーゼロッテ・フォン・エルメンライヒ。今この時をもって、其方の任を解く」

冷ややかなお声が、玉座の間の高い天井に吸い込まれていった。

王太子殿下アルブレヒト様。お隣にお立ちなのは、1年前にご婚約あそばされた聖女クララ様。

私は床に膝をついたまま、静かに頭を垂れた。

「畏まりました」

「……驚かぬのか」

殿下のお声に、わずかな苛立ちが滲んだ。私は顔を上げず、ただ床の目地を見つめていた。

「精霊巫女などというものは、もはやこの国には不要だ。クララ嬢が新たな信仰をもたらしてくださる。其方の務める古臭い迷信は、これより一切廃する。神殿は閉鎖し、巫女の身分は剥奪する」

迷信。

その単語が天井に反響した。

私の右肩のあたりで、空気がぴくりと動いた。それは見える者には見え、見えない者にはただの風として通り過ぎていく。

風の精霊シルフィードが、怒っていらっしゃる。

私は息を吸い込んで、静かに口を開いた。

「殿下、誠に勝手なお願いではございますが」

「なんだ」

「1つだけ、お許しいただけないでしょうか」

「申してみよ」

「神殿の閉鎖の前に、最後に1度だけ、精霊様方にお別れのご挨拶をさせていただきとうございます」

クララ様が、くすりとお笑いになった。

「まあ、リーゼロッテ様。お別れのご挨拶だなんて。よろしいんじゃありませんこと、殿下? どうせ誰もいらっしゃらない神殿で、空に向かってお話しになるだけですもの」

「うむ。許す」

殿下は鷹揚に頷かれた。

「存分に、其方の想像上のお友達に別れを告げてくるがよい」

「……ありがたき幸せ」

私は床に額をつけて、深く深く礼をした。

その瞬間、玉座の間の四隅で、小さな炎の灯火が一斉に揺れた。誰も気づかなかった。クララ様のうっとりとしたお顔も、殿下のご機嫌な笑みも、何も変わらなかった。

ただ、私だけが知っていた。

──炎の精霊サラマンダー様も、お聞きになっていらっしゃる。

夜が明ける前に、私は神殿へ向かった。

エルメンライヒ王国の四大精霊神殿は、王宮から少し離れた古い森の中にある。500年前、初代の精霊巫女がこの地に四大精霊を呼び寄せて以来、代々の巫女が朝の祈祷を欠かさずに参った場所。

私は12歳でこの神殿に入った。

母も祖母も、その前の代も、私の家系は代々、精霊の声を聞ける娘を1人ずつ出してきた。私が10年お務めしてきたこの場所を、明日にはもう私のものではない場所として歩く。

それを、寂しいとは思わなかった。

ただ──精霊様方のことを、思った。

「皆様」

私は祭壇の前に膝をついて、両手を組んだ。

「お聞きいただきとうございます」

四方の壁の角から、一斉に光が灯った。

東の壁から青い水の光。ウンディーネ様。

西の壁から赤い炎の光。サラマンダー様。

南の壁から金の大地の光。グノーム様。

北の壁から透き通る風の光。シルフィード様。

四つの光が、それぞれ人の姿を取って祭壇の前に現れた。

「リーゼロッテ」

水の精霊ウンディーネ様が、青い髪を揺らして仰った。

「聞いていた。あの愚かな子が、私たちを迷信と呼んだそうね」

「申し訳ございません」

「あなたが謝ることではないわ」

「いいえ」

私は頭を下げた。

「皆様にお仕えしながら、その務めを王宮に正しくお伝えできなかった私の落ち度でございます。皆様がこの土地に居てくださることが、どれほどの加護であったかを、私はもう少し声高く申し上げるべきでした」

「リーゼロッテ」

今度は風のシルフィード様が、私の頬に触れた。

「あなたは何も間違っていない。土地の繁栄が誰のおかげかなど、土地の主が問わぬ限り、巫女が言うことではない。これは王宮の不徳よ」

炎のサラマンダー様が、ゆらりと前へお出になった。

「で、リーゼロッテ。お前はこれからどうする」

「家に戻ります。母が病を患うておりますのでお世話をしながらまた新たな務めを探そうかと」

「ふん」

サラマンダー様は赤い瞳をすうっと細めた。

「私たちはどうする?」

「……皆様は、どうかこの土地にお残りください」

私は深く礼をした。

「皆様がいてくださらねば、この国は痩せて参ります。雨は降らず、麦は実らず、家畜は弱ります。私はもう巫女ではございませんが、それでもこの国の民でございます。どうか、民をお見捨てなさらないでくださいませ」

「リーゼロッテ」

大地のグノーム様が、低くお笑いになった。

「お前はどうも、肝心なところを分かっておらぬな」

「……は?」

「我ら四大精霊が、なぜこの土地にいると思う」

「初代の精霊巫女様が、お呼びになったからと──」

「呼んだのは、500年前の娘だ。今ここで我らに祈っているのは、誰だ」

私は、息を呑んだ。

「我らは土地に仕えておるのではない。巫女に仕えておるのだ」

「巫女が呼べばゆき、巫女が去ればゆく」

「お前が出ていくのなら、我らも出てゆくのみ」

4人の精霊様方が、揃って静かに微笑まれた。

私は床に額をつけた。

「お待ちくださいませ。それでは民が」

「民は」

水のウンディーネ様が、ゆっくりと仰った。

「お前を捨てた王太子と、迷信と嘲った聖女を選んだ。我らはその選択を尊重する」

「ですが」

「リーゼロッテ」

シルフィード様が私の肩に手を置かれた。

「これは、お前の罪ではない」

「……」

「お前は今夜、家に帰る。我らも共にゆく。後は王宮が、自分たちで蒔いた種を刈り取るだけだ」

私は、もう何も申し上げられなかった。

夜が明ける頃、私は神殿の鍵を石の祭壇に置いて、ただ一礼をして外へ出た。

4つの光が、私の歩みに静かに寄り添った。

そして──朝の最初の鳥が啼く前に、エルメンライヒ王国の四大精霊は、誰にも気づかれぬまま、500年いた土地を後にしたのです。

私が国境の森を抜けたのは、その翌々日の明け方だった。

エルメンライヒの東に隣接するヴァインヘルツ精霊帝国。古くから精霊信仰を国是とし、皇家には代々わずかに精霊の声を聞ける血筋が伝わるという、私たちの国とは正反対の国。

母は、その国境近くの小さな領地に住んでいる。私の家──エルメンライヒでは没落寸前の田舎貴族──の本領が、たまたまそちらに寄った場所にあった。

精霊様方が一緒に来てくださっていることを、私はうまく言葉にできないでいた。

「リーゼロッテ」

シルフィード様が、ふと立ち止まられた。

「誰か、来る」

「え?」

森の向こうから、馬の蹄の音。

数騎。整然とした駆け足。

葉影から現れたのは、深い藍色の軍装に身を包んだ若い騎士たちと──その先頭に立つ、1人のお方。

栗色の髪、灰がかった青の瞳。30歳ほどか、もう少し上か。物静かなお顔立ちで、けれども背筋の伸び方に、生まれが透けて見えた。

そのお方が、馬を降りられた。

そして、私ではなく──私の隣の何もない空間に向かって、深く深く礼をなさった。

「ようこそ、四大精霊様」

私は息を呑んだ。

「……見える、のですか」

「いいえ」

そのお方は、私のほうへ向き直って、また静かに頭を下げられた。

「ですが、感じます。森の空気の重さが、昨日とまるで違う。これほどの強い精霊様方を、この国の森で感じたのは生まれて初めてです」

私は、何と申し上げるべきか分からず、立ち尽くした。

「失礼を。私はテオドール・フォン・ヴァインヘルツと申します。この国の皇太子を務めております」

「……皇太子、殿下?」

「はい」

殿下は微笑まれた。

「あなたが、エルメンライヒの精霊巫女様でいらっしゃいますか」

「……元、巫女でございます」

「いいえ」

殿下は首を横に振られた。

「精霊様方は、まだあなたを巫女と呼んでおいでです。私には声は聞こえませんが──そのことだけは、確かに分かります」

私は、目の奥が熱くなった。

ここに辿り着くまで、私は誰にも何も言わなかった。家を捨てたとも、国を捨てたとも、精霊様方が私と共に来てくださっているとも、一言も誰にも言わなかった。

ただ、自分の足で歩いてきただけ。

それを、初対面のこの方は──全部、感じ取ってくださった。

「殿下」

私の隣で、サラマンダー様がふっとお笑いになった。

「リーゼロッテ。この男、なかなか可愛らしい血筋を引いているぞ」

私は思わず吹き出しそうになって、ぐっと堪えた。

殿下は怪訝そうに首を傾げられた。

「精霊様が、何か?」

「いえ」

私は深く息を吸って、頭を下げた。

「ありがたきお出迎えでございます。私は──」

声が震えた。

精霊様方が、私の周りで、温かく静かにお笑いになった。

「私は、リーゼロッテ・フォン・エルメンライヒと申します」

「リーゼロッテ様」

殿下は静かに繰り返された。

「我が国に、ようこそお越しくださいました」

私が母の家に身を寄せて、1か月が過ぎた。

母の病は思いのほか軽くて、薬と精霊様方の加護で日に日に回復していった。テオドール殿下は──皇太子殿下とは思えぬ気軽さで──週に2度、お忍びで母の家までいらしては、私と精霊様方への礼を欠かさなかった。

その間に、エルメンライヒから、噂が流れてきた。

最初は、ただの不作。

次は、井戸の水位の低下。

それから、原因不明の家畜の病死。

そして、2か月目に入る頃には──東部の麦畑が、500年に1度の凶作になった、と伝令が走った。

3か月目には、北の山間部で土砂崩れが続き、村が3つ呑まれた。

4か月目には、王宮の中庭の池が、突然干上がった。

王太子殿下アルブレヒト様は、各地の事象を「偶然の重なり」と発表なさったらしい。聖女クララ様は「新たな信仰の試練だ」と仰り、神殿を取り壊した跡地に、ご自分の故郷の作法に倣った「合理的祈祷所」を建造させたという。

合理的祈祷所からは、一滴の雨も降らなかった。

5か月目、王宮から、密使がヴァインヘルツへ送られた。

「精霊巫女リーゼロッテを返してほしい」

そう書かれた書状を、ヴァインヘルツ皇帝陛下は丁寧に開かれ、そして、丁寧にお戻しになった。

「貴国は、精霊信仰を迷信と公式に廃された。我が国は精霊信仰を国是としている。よって、当人が望まぬ限り、我が国の客人を貴国に引き渡すことはない」

王太子殿下からの2通目の書状は、もっと感情的だった。

「精霊巫女が我が国の精霊を連れ去った。即刻返還せよ」

ヴァインヘルツ皇帝陛下のお返事は、もっと冷ややかだった。

「精霊様方は、貴国の所有物ではない。精霊様方は、お呼びになった巫女の元へ赴かれるもの。貴国が呼ばぬと決めた以上、貴国に居らぬのは当然である」

3通目は、来なかった。

代わりに──エルメンライヒ東部の貴族家のいくつかが、ヴァインヘルツへの帰順を申し出てきた。

精霊様方の加護のない土地から、加護のある土地へ。それは、領民を抱える貴族としては、当然の判断だった。

テオドール殿下が、ある夕方、母の家の縁側に腰を下ろしながら、静かに仰った。

「リーゼロッテ様」

「はい」

「もし、いつかご気分が向かれましたら」

「……はい」

「私の妻に、なってはいただけませんか」

私の隣で、シルフィード様が、楽しそうに笑った。

サラマンダー様は「やっと言ったか」と呆れた声を出された。

グノーム様は「無粋に断るでないぞ」と低くお唸りになった。

ウンディーネ様は──ただ、私の手をそっと押された。

「テオドール様」

私は、長く長く息を吐いて、それから笑った。

「精霊様方が、お喜びになっておいでです」

「では」

「はい」

「私の妻になってくださいますか」

「精霊様方ともども、ご厄介になります」

殿下は、ふっと笑われた。

「光栄です」

縁側の向こうで、母が、こっそり涙を拭っていた。

私がヴァインヘルツ皇太子妃となった年の冬、エルメンライヒ王国は事実上、崩壊した。

最後の引き金は、王太子殿下アルブレヒト様ご自身が引かれた。

ご自分の判断の誤りを認めることができず、聖女クララ様の「合理的祈祷」を国教として制度化なさろうとした結果、長年の宰相と5人の大臣が一斉に辞任。続いて東部の貴族の半数がヴァインヘルツ帝国への帰順を表明。

国王陛下はご病床に伏され、王太子殿下はようやく我に返って、聖女クララ様を「公衆の面前で正気を取り戻すため」突き放そうとなさったが──時すでに遅し。

クララ様は、王宮に乗り込んだ近衛兵によって聖女の称号を剥奪され、彼女を王宮に招き入れた殿下ご本人もまた、ご自身の妹君である王女殿下の即位とともに、廃嫡された。

新女王陛下が最初になさったのは、私への正式な書簡だった。

「我が姉、リーゼロッテ・フォン・ヴァインヘルツ皇太子妃殿下へ。

かつての国の不徳を、深くお詫び申し上げます。

精霊様方の加護を再びこの土地に賜りたく、我が国の編入を伏してお願い申し上げます」

私はその書簡を、テオドール様と一緒に読んだ。

「お返事は、どうなさいますか」

「お受けする以外に、ないでしょう」

私は静かに頷いた。

「ただし、条件を1つ」

「何を」

「神殿の再建を、王宮の費用で。そして精霊様方を迷信と呼ぶ者は──子々孫々に渡って、王家の名を継ぐことを禁じる、と」

「随分と」

殿下は微笑まれた。

「お厳しい」

「精霊様方が、10年泣いておいでだったのです」

殿下は静かに、私の手を握られた。

「畏まりました、巫女殿」

その夜、私は皇宮の北の塔に登った。

精霊様方が、四方からそっと姿を現された。

「リーゼロッテ」

風のシルフィード様が、私の頬に触れて、にっこりとお笑いになった。

「お前、ようやく笑うようになったな」

「……はい」

「これからが、長い長いお務めだ。我らともども、励めよ」

「はい」

私は、塔の手摺りに手を置いて、月を見上げた。

遠い西の空に、かつての王国の灯が見える。

その光は、もう薄い。

けれども、見えなくなったわけではない。

これから、私たちが──また少しずつ、灯していくのだ。

「シルフィード様」

「ん」

「精霊様方は、本当に、私についてきてくださってよかったのですか」

シルフィード様は、ふっと笑われた。

「巫女よ」

「はい」

「500年前、初代の巫女が我らを呼んだとき、何と言ったか知っているか」

「……いいえ」

「『どうか、私と一緒に泣いてくださいませんか』」

私は、息を呑んだ。

「我らは、それで答えた。『一緒に泣こう』と。──それから、お前まで、12代の巫女が我らに祈った。お前の1つ前の代までは、皆、笑って我らを呼んだ」

シルフィード様は、私の頬を撫でられた。

「お前だけが、10年、神殿で1人で泣いておった」

「……」

「我らは、それを知っていた。けれど、お前の家を、お前の母を、お前の国を、お前が大切にしておるのも知っていたから、何も言わなかった」

私は、月を見つめたまま、目を閉じた。

「精霊様方が、ずっと泣いていらっしゃったのです」

シルフィード様は、首を横に振られた。

「いいや、リーゼロッテ。精霊たちが、ずっと泣いていたのではない。お前が泣いていたのを、我らは見ておったのだ」

風が、私の頬の涙を、そっとさらっていった。

塔の下から、テオドール様が、私を呼ぶ声がした。

私は塔を降りた。

精霊様方も、ゆっくりと、私の後に続かれた。