作品タイトル不明
入学式のときの彼女
予期せぬアレスとの遭遇から少し経ったある日。
エリックか皇太子が苦情を言ったのか、あれ以来学院内で彼と会うことはなく平穏な日々を送っていた。
そうして本日最後の授業を終えた私は課題の資料を得るために図書館へと向かっていた。
学院の図書館というだけあって、蔵書数はかなりのもので目当ての本も見つけられるだろう。
さっさと課題を終わらせて寮に帰ろうと歩いていると、建物の影から複数の人の話し声が聞こえてきた。
雰囲気的にあまり良くなさそうな感じがして、少し様子を見ようと私はコッソリと覗いてみた。
「平民がどうして貴族側の校舎にいらっしゃるのかしら?」
「案内板に書かれた通りに歩いていただけなんですけど……」
「歩いていただけでこちらに来られるわけがないでしょう? 嘘を吐かないでちょうだい」
「本当なんです!」
「卑しい身分でこちらに足を踏み入れるなんてなんて恥知らずなのかしら。しかもミランダ様にお会いしても道を空けないなんて……。これだから平民は」
怯えている平民の少女と、それを取り囲んでいるミランダと彼女の取り巻きの姿が私の目に入った。
なるほど。事情は把握した。
誤って貴族側の校舎に来てしまった平民の少女、彼女の顔には見覚えがある。
入学式のときに貴族の令息達から言い掛かりをつけられていた子だ。
あのときといい、今といいあの子は相当運がないというか……。
それにしてもミランダは、そんなちっぽけなことで彼女を責めているのか。
心に余裕を持ってこそ貴族だろうに、何をしているのか。
教師を呼ぶには距離がある。見ていない時間に彼女が何を言われるのか分かったものではない。
このまま見ない振りをするのは良心が咎めるし、貴族としてミランダの行動はどうかとも思う。
課題を終わらせる前に、こちらの問題を終わらせようと私は建物の影から出て彼女達の前に出た。
「そこで何をなさっているのかしら?」
いきなり現れた私にミランダを始めとする取り巻きの令嬢達は驚き、目を瞠って固まってしまった。
けれど、アリアドネだと分かると一様に皆がホッとしたような表情を浮かべている。
甘く見られたものである。
「ご覧になって分かりませんか? 平民がこちらにいるのですよ? 私達が教育して差し上げているのです」
「だからといってよってたかって責めるのは令嬢として、というか人としてどうかと思うわ」
「区別は大事ですから」
「嫌みや失礼な言葉で教えるのが貴族令嬢としての正しいやり方であると、そう仰るのね」
貴女方の今の姿は醜いものだ、と含ませて言うと、彼女達は唇を噛んで私を睨みつけてきた。
子供の睨みなどなんの怖さもない。迫力もない。
私は彼女達を見て鼻で笑ってみせた。
「何がおかしいのですか!?」
「ミランダ様に対して失礼ではありませんか!」
「失礼? どういうことかしら? 私はフィルベルン公爵家の人間よ。皇室から一番近い血縁であり、皇太子殿下のはとこにあたるけれど、その私よりもミランダさんの身分が高いと仰るのかしら?」
私の言葉に全員が口を噤んだ。
皇族を除いた社交界において一番身分が高い令嬢はフィルベルン公爵家令嬢である私とセレネ。
次いで皇太子の婚約者であるサベリウス侯爵家令嬢のシルヴィア。三番目にエレディア侯爵家令嬢のミランダ。
ほぼ同等ではあるが、明確な序列は存在している。
つまり私が止めた場合、ミランダは判断を私に委ねる必要があるのだ。
なのに彼女と取り巻きは私を軽視して文句を言ってきている。
あまり権力を振りかざしたくはないが、間違っている行動を見過ごすことはできない。
勿論、彼女達の言うことも理解はできる。けれど、やり方が間違っているのだ。
「そこの貴女。案内板に記載された通りに歩いてきたらこちらに出てしまったのよね?」
「は、はい! そうです」
「では、まずはその案内板のところに行って本当にそうなのか確認しましょう」
「え!? アリアドネ様、何を……」
「まさか我々に平民の校舎に行けと仰るのですか?」
「来たくなければ来なくていいわ。代わりに一緒に確認に行くから教師を連れて来てちょうだい」
取り巻きの令嬢達は顔を見合わせた後でミランダに視線を向ける。
判断をグループのトップに投げたのだ。
彼女達の視線を受けたミランダは悔しそうな表情を浮かべながら、取り巻きの令嬢の一人に教師を呼んでくるようにと言いつける。
しばらくしてボサボサ頭の男性教師がやってきて、案内板の確認に行ってもらえることになる。
ただし、私が平民側の校舎に行くのは許容出来ないとのことで平民の少女と教師が見に行った。
「……これで案内板が正しかった場合、あの平民の少女を庇った責任をどう取られるおつもりですか?」
主導権を私に取られて悔しいのか、ミランダは私を睨みながら吐き捨てるようにそう言った。
「責任? これはあくまで彼女の証言が本当かどうか確認するためのものよ。誤ってこちらに来てしまったのなら案内板を置いた者が罰せられるべきだし、彼女がわざとこちらに来たのなら彼女が罰を受けるべき。そう私は思っているけれど」
「時間の無駄ですわ。平民に恩情をかける必要などありません」
「案内板の表記が間違っていた場合、これからも平民がこちらに来ることになるでしょう? 要らぬトラブルになるのなら、早めに対処した方が双方にとって良いことだと思うわ」
「随分と平民の肩を持つのですね。貴族が使わなければ生きていけない人達だというのに」
「けれど、その平民の作った物がなければ私達のドレスや生活必需品、食料は手に入らないのよ。平民をまとめる存在は必要だけれど、だからといって馬鹿にしていいわけではないわ」
「……高貴な身分の私がどうして!」
「貴女が高貴な人間でいられるのは、貴女自身の功績ではなく先の方のおかげなだけよ。だから、私達はそういった方々に恥じないように振る舞わなければいけないの。貴族として威厳を持って、驕らずに慈愛の心を忘れずにね」
言葉が出ないのかミランダは口をパクパクと動かしている。
平民は決して私達が蔑んだり馬鹿にしていい存在などではない。
使い捨ての駒などではないのだ。
「あら、帰ってきたみたいね」
ミランダとの会話を切り上げた私は、平民の校舎の方から歩いてきた教師と少女を見て声を上げた。
帰ってきた教師は、やはり案内板の表記が間違っていた旨を私達に伝えてくれる。
すぐに新しい物に差し替えると言って立ち去っていった。
残されたミランダと取り巻きの令嬢は居心地が悪そうにしている。
教師に確認を取られた以上、その件で少女を責めることはもうできない。
「ミランダさんも令嬢の皆さんも貴族の矜恃をお持ちだし、この場所を守りたいという気持ちから言い方がきついものになってしまったのでしょう?」
「え、ええ……」
「二度目がないように学院側も対処して下さるそうだし、これで安心ね」
「そうね……。私にできることはもうないと思いますわ。後は先生にお任せするので、私達はこれで失礼します」
「ええ。ごきげんよう」
私はニッコリと笑ってミランダ達を送り出した。
彼女たちは私に背を向けて、心なしか足早にその場を後にしたのだった。
残された私は平民の少女に視線を向ける。
「さて」
「あ、はい。私も戻ります。早急に、すぐに」
「いえ、ちょっとお待ちになって」
「あ、はい」
「貴女もしかしてそちらの校舎で嫌がらせでもされているの? こうもトラブルに巻き込まれるなんて普通はないでしょう?」
「嫌がらせなんてとんでもない! 仲良くしてもらってますよ。ていうか、皆良い成績を残して良いとこに就職したいから他の人に構っている暇がないんですよね」
「確かに内申点を下げる、または退学になるような行いはするはずがないわね」
うんうん、と少女は何度も頷いている。
結局、彼女はそういう星の下に生まれてきてしまったということなのだろう。
お互い大変である。
戸惑っている少女に視線を合わせ、私は名乗るために口を開く。
「そういえば貴女の名前を聞いていなかったわね。私の名前はアリアドネ・ルプス・フィルベルンよ。貴女のお名前は?」
「えっと……アビーです」
「そう、アビーね。覚えておくわ」
「それとアリアドネ様のお名前は存じてます……」
「まあ、有名でしょうからね。それと少し質問があるのだけれどいいかしら?」
「え? えぇ」
何を聞かれるのか分からないアビーは首をかしげている。
折角、平民と話せるのだから聞いておきたいことがあったのだ。
「今、平民の中で西方諸島から入ってきた物は流行っているのかしら?」
「と、仰いますと?」
「帝国内でこれまで生産して使用されていた物が西方諸島から入ってきた物に置き換わっているとか、そういうことね。あと健康に良いと言われていて流行っているとか」
「あぁ、そういうことですか。……そうですね。西方諸島から入ってくるのは珍しい薬とか植物とかそういったものが多いです。同じような効果が得られて安価なので、そういう物は置き換わっていると思います。取り引きも多いみたいですね」
西方諸島から入ってきている物のリストはすでに手に入れてあるが、どこまで帝国内で浸透しているのかは分からなかったので聞けて良かった。
ネルヴァ子爵の取り引きを台無しにして、どう動くかを見ようと思っていたからちょうど良い。
リストの中に飲み合わせ次第で人体に影響が出る薬や植物があったから、クロードに伝えて制限をかけてもらおう。
同じ効果で安価なものはボナー男爵家が仕入れている物の中にもあるから、そちらを流行らせる方向に持って行けば自然と西方諸島の物の流通は少なくなるはずだ。
当面の行動が決まったところで、私はアビーに微笑みかけた。
「脈絡のない質問をして引き留めてしまったわね。興味深いお話を聞けて参考になったわ」
「いえ、私の答えが合っていたのなら良かったです」
「とても助かったわ。では、私はそろそろ失礼するわね。帰り道はさっき先生と一緒に行ったから分かるかしら」
「はい。大丈夫です! 入学式のときといい、今日といいありがとうございました!」
「無用なトラブルに巻き込まれないように気を付けなさいね。それでは」
アビーに挨拶をして、私は本来の目的地である図書館へと向かった。
が、時間が経っていたのか閉館していて、私は深いため息を吐き出したのだった。