作品タイトル不明
圧巻
更衣室の扉が、静かに開いた。
先に気づいたのは、衣擦れの、かすかな音だった。
白に近い金の髪が、背に沿って落ちる。
灯りを受けて、柔らかく光を返す色。
顔立ちは、主張が強いわけではない。
だが、整いすぎない輪郭が、かえって視線を引き留める。
金色の眼が上がった瞬間、場の空気が、わずかに張り詰めた。
その佇まいには、説明の要らない芯がある。
前に出ず、誇示もせず、それでも自然と中心に立つ在り方。
――王女の気品。
制服や私服では、布の下に隠れていた線が、今は、過不足なく形を成している。
無駄のない肩の落ち方。
腰の位置は高く、足取りは静かなのに、確かな存在感がある。
数多の令嬢を見てきたはずの店員たちが、思わず息を呑んだ。
評価の視線ではない。
確認でもない。
ただ、「これは、想定以上だ」という沈黙だった。
ルーカスも、言葉を失っていた。
彼は、見た目で人を選ぶ男ではない。
ましてや、飾り立てた姿に価値を見出すこともない。
それでも――
目の前の光景に、一瞬、思考が止まる。
服が似合っているのではない。
彼女が、場に“完成してしまった”のだと、理解するまでに、時間が要った。
「……」
何か言おうとして、結局、何も出てこない。
エルフリーデは、そんな視線を受け止めながら、
小さく首を傾げた。
「……変、でしょうか?」
その一言で、ようやく場が、呼吸を取り戻した。
店員の一人が、静かに一歩前に出た。
「――よく、お似合いです」
声に、飾りはない。
称賛でも、営業でもなく、事実を告げるだけの口調だった。
他の店員たちも、頷く。
誰一人、言葉を足さない。
それで、十分だった。
「……そうだね、似合ってる」
ようやく、ルーカスが息を吐いた。
「じゃあ、装飾品も必要だね」
その一言で、エルフリーデは嫌な予感しかしなかった。
「ま、待ってください!」
「会合用だろう? 首元が寂しいと、向こうの視線が散る」
もっともらしい理屈。
「ですから、それは最低限で――」
「あと、今後もこういう店に来る時、今の手持ちだと不便だろう?」
言いながら、ルーカスは既に別のラックへ向かっている。
「こっちも、こっちも……あ、これも」
迷いがない。
「……ルーカス様!」
エルフリーデは、はっきりと声を上げた。
エルフリーデがこんなに取り乱したのは初めてだった。
「そんなお金、ありません!」
「僕が買うよ」
即答。
「い、いけません!」
「仕事用だろう?」
「いいえ! それはさすがに、業務の範疇ではありません!」
きっぱり。
店員たちは、視線を落としたまま、動かない。
止めもしない。
だが、成り行きは見守っている。
「……厳しいね」
ルーカスは、少しだけ困ったように笑った。
「全部拒否されるとは思わなかった」
「当たり前です!」
一瞬、沈黙。
そして。
「じゃあ―― 一着だけ」
ルーカスは、そう言って、迷いなく一着を取り上げた。
落ち着いた色合い。
だが、定番からわずかに外した配色。
装飾は抑えられているのに、どこか視線を引く癖がある。
線は端正で、動きやすさを優先した仕立て。
公務にも耐える。
だが、社交用としては少しだけ、踏み込みが深い。
店員の一人が、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
――ああ、そういうことか。
言葉にせず、理解した顔。
「……これは?」
エルフリーデが尋ねる。
ルーカスは、答えない。
ただ、肩をすくめただけだった。
反論しようとして、エルフリーデは言葉に詰まる。
確かに。
鏡に映る姿を見れば、一目で分かる。
――ルーカスの視点を通した“彼女”
「……一着、だけですよ」
「もちろん」
満足げに頷く。
着替えを終えたエルフリーデを見て、ルーカスはようやく、きちんと笑った。
「うん。これなら、そのまま次に行ける」
「次、とは?」
「宝石店」
当然のように言う。
エルフリーデは、深く息を吐いた。
――誘ったのは、自分だった。
それを思い出して、小さく肩を落とす。
今日一日で、この男に振り回される覚悟だけは、嫌というほど整ってしまった。