作品タイトル不明
謝罪
夕方。
人の引いた本部の奥、主要動線から外れた階段は、ひどく静かだった。
窓から差し込む橙色の光が、段差を長く照らしている。
エルフリーデが階段を下りかけた、その時。
「……待って!」
少し掠れた声。
振り返ると、ルーカスが立っていた。
息が、はっきり分かるほど乱れている。
外套は羽織ったまま。
髪も整っている。
――なのに。
表情だけが、完全に取り繕えていなかった。
いつもは細められている目も、今ははっきりと開かれている。
「……ルーカス様?」
戸惑い混じりに呼ぶと、彼は一段、二段と駆け下りてくる。
「ごめん」
間髪入れずに、それだけ言った。
「さっきの、完全に僕が悪い」
早口だった。
いつもの、間を取る話し方じゃない。
「疲れてて……いや、違う。言い訳だ」
視線が泳ぐ。
「君が相談しに来たのに、ちゃんと向き合わなかった。」
一度、言葉を切る。
息を詰めるように吸って、吐き出す。
「……不安にさせた。ほんとに」
余裕のある笑みも、軽い口調もない。
そこにいるのは、焦って言葉を並べる一人の青年だけだった。
エルフリーデは、すぐに言葉を返さない。
手すりに指先を置いたまま、視線を落とす。
「……私は」
ぽつ、ぽつ、と言葉が落ちる。
「ただ……」
ルーカスの眉が、わずかに動く。
「知っていて、黙っていらしたのは……」
声が、ほんの少しだけ揺れる。
「引き抜かれても、構わないと……思われていたのかと」
言い切らない。
責めもしない。
それが、余計に刺さった。
「違う!」
思わず、声が大きくなる。
階段に反響して、ルーカスは慌てて口を押さえた。
「……違う、違うよ」
今度は、小さく。
「そんなふうに思ったこと、ない」
首を振る。
「一度も、ない」
一歩だけ前に出て、止まる。
「ただ……」
言葉が、絡まる。
「状況が思ったより、ずっと早くて。外からの動きも――」
そこで、はっと口を閉じた。
「……っ」
言いかけて、自分で止めた、という顔だった。
数秒。
沈黙。
肩が、目に見えて落ちる。
「……ごめん」
さっきより、ずっと弱い声。
「黙ってたのは……一人で片づけようとしたからだ。……それが、一番早いと思った」
苦笑にもならない表情。
「結果、君を一番不安にさせた」
エルフリーデは、ようやく顔を上げる。
取り繕う余裕もなく、言葉を選び損ね、立場も忘れて謝るその姿を見て――
胸の奥で、張りつめていたものが、少しだけ緩んだ。
「……いえ、私こそ」
小さく、首を振る。
「ルーカス様を疑ってしまって、申し訳ありません」
その一言で、ルーカスの表情が、はっきり緩む。
「……いいんだ」
息を吐く。
「そう思わせたのは、僕だ」
階段に、再び静寂が戻る。
そして。
エルフリーデは、少し首を傾げる。
「ところで」
穏やかだが、逃がさない声。
「先ほど……“外からの動き”と、おっしゃいましたが」
ルーカスは、一瞬だけ目を伏せた。
「あ……」
言葉に詰まる。
「……ここでは、話せない」
正直な声だった。
「でも」
視線を上げる。
「君に関係のある話だってことだけは、はっきり言える」
エルフリーデは、小さく頷く。
「それで、十分です」
その返答に、ルーカスは苦笑した。
「……ほんと、君らしい返しだね」
でも、その声には、確かな安堵が混じっていた。
夕暮れの光が、二人の影を長く伸ばす。
余裕のある統括官ではなく、
すべてを把握している王族でもなく。
ただ、取り乱しながらも線だけは守った一人の青年として立つルーカスを、
エルフリーデは初めて、はっきりと見ていた