作品タイトル不明
戻る
医療院の部屋は、静かだった。
白い壁。
規則正しく並んだ器具。
外の音は、窓越しにやわらかく遮られている。
ここが、王宮ではないという事実だけが、
空気そのものに滲んでいた。
エルフリーデは、ベッドの上で身体を起こし、
無意識に首元へ手を伸ばした。
――何も、ない。
指先が、空を掴む。
一瞬、何を探していたのか分からなかった。
だが、遅れて、思い出す。
(……あ)
ネックレス。
連邦にいた頃から、身に着けていたもの。
王宮に戻された時、外されたままになっていた。
(……仕方ない)
あの時は、そう思おうとした。
あれは、連邦での立場を示すものだ。
ここでは、不要なものだと。
むしろ、持っていてはいけないものだと。
だから、何も言わなかった。
言えなかった。
なのに。
首元に残る、何もない感触が、
思った以上に、胸の奥を冷やした。
寒い、とは違う。
軽い、とも違う。
“空いた”感じが、そこにあった。
「……?」
扉が、控えめにノックされる。
「入るよ」
返事を待たずに、ルーカスが入ってきた。
書類は持っていない。
外套も着ていない。
いつものようでいて、
今は、仕事の顔ではなかった。
「体調は?」
「……大丈夫です」
反射的に答えながら、
エルフリーデは視線を逸らす。
首元を、見られたくなかった。
ルーカスは、その仕草を一瞬だけ見て、
何も言わずに、距離を詰めてくる。
足音は、相変わらず静かだ。
「動かないで」
低い声。
理由を聞くより先に、
首元に、ひやりとした感触が触れた。
金属。
「ちょっと冷たいかも」
それだけ言って、指先が動く。
留め具が、静かに噛み合う音。
エルフリーデは、息を止めたまま、動けなかった。
重みが、戻ってくる。
ずっとそこにあったはずの場所に。
何事もなかったみたいに。
――戻る。
言葉より先に、感覚が理解した。
「……」
声が、出ない。
喉が、詰まる。
ルーカスは、すでに一歩引いていた。
説明しない。
理由も言わない。
まるで、
落ちていた物を拾って戻しただけみたいに。
「大丈夫?」
視線も合わせず、
いつもの調子で、体調を訊くだけ。
エルフリーデは、ゆっくりと首元に触れた。
確かに、ある。
確かに、戻っている。
体温で、少しだけ温んだ金属。
「……はい」
掠れた声。
それだけで、十分だった。
これは、取り返されたものじゃない。
最初から、奪われるはずのなかったものだ。
そう、今なら分かる。
王宮で外されたのは、
“立場”でも、“権限”でもない。
――自分の居場所だった。
ルーカスは、それ以上何も言わず、椅子に戻って腰を下ろした。
視線を落とし、まるで、最初からそうしていたかのように。
エルフリーデは、もう一度、ネックレスを握る。
胸の奥に、じんわりと熱が広がった。
ここにいていい。
戻ってきていい。
その許可を、
誰かに与えられたのではなく――
当たり前のように、返されたのだと。
まるで、最初からそこにあるものを、元の位置に戻しただけみたいに。