作品タイトル不明
クレシェント夫人
「この街に新しいガブリエル商店を作るつもりなんだよ!」
「!!」
ロザリーがグラスをテーブルに置いた。
「へー、あの女、この街に帰ってくるんだ」
ジャックは黙っていた。ガブリエルが、という言葉が、頭の中で静かに繰り返された。
「で、どうすんだい?」
「!?」
「まさか、今更のうのうと商売させるつもりはないんだろ?」
ヴィンセントが口の端を上げた。
「へっへ、店ができたらこっそり火を付けてやろうか?」
「放火は重罪だよ。バレたら死刑間違いないからね」
「そこは、ほら? 一億Rの借金がある旦那がやればいい。うまくやれば借金はチャラとか?」
「か、勘弁してくれ」
「ちょっと待っておくれよ」
マリアが声を上げた。
「せっかく、この街での商売が上手くいき始めたんだ。そんなのバレたら全部台無しになっちまうだろ。私はガブリエル商店と真っ当に戦いたいんだ。みんな、そのための知恵を出しておくれよ」
「真っ当勝負は厳しいんじゃないかい」
ロザリーが腕を組んだ。
「あいつには、あのニッキーって商人がついてるだろ?」
「新聞広告を出すなんざ、王都の商売もうまくいってるってことだ」
「やっぱ旦那が火をつけるしか?」
「ひっ」
マリアが一同を見回した。誰も、まともなことを言わない。
「いいかげんにしなよ!」
居間が静まった。
「この家に来てから、みんなダラダラしてばかり! ちゃんと働いているのはあたしだけじゃないか!」
「マリア、私も含めてみんな自分の役割は果たしてるじゃないか」
「違う!」
マリアが前に出た。
「私が言っているのは未来のことよ。商売に現状維持なんかない。状況はいつだって変わる。今よくても未来がだめだったら意味ないじゃないか。みんな、これからうちらの商売が大きくなるように考えてよ」
ロザリーが、ゆっくり息を吐いた。
「マリア、商売ってのは確かに移り変わるものだよ。今は帽子を売ってるけど、売れなくなったら花を売ってもいいんだ。私らはそうやって生きてきたじゃないか」
「……」
ロザリーが立ち上がった。
「わかったよ。じゃあ、ママ……クレシェント夫人に相談するしかないね」
マリアの顔が変わった。ヴィンセントが舌打ちをこらえた。トーマスが黙った。
「クレシェント夫人って……あのフィリック・クレシェン伯の夫人のことか?」
ジャックが口を開いた。
「あの女に相談なんかしたら、一生その呪縛から逃れられないぞ。彼女が操っているのは表向きの商売だけじゃない。裏社会でも彼女の手は回っている……知らないのか?」
「そんなこたあ、わかってますよ」
トーマスが静かに言った。
「なんせあっしら」
ヴィンセントが続けた。
「全員、クレシェント夫人の孤児院出身ですから」
ジャックの喉が、音を立てた。
◇ ◇ ◇
素敵な建物だった。
石造りの外壁、大きな窓、通りに面した入り口。以前の店より立地も広さも上だ。
「こんな建物が借りられるなんて、流石ニッキーね」
「ええ、ここなら前のガブリエル商店より立地も負けていません。床面積も広いですよ」
ニッキーが建物を見上げながら言った。
「ガブリエル商店の名を借りてカートライト商会が運営する店ですから、ガブリエルさんに恥をかかせられませんよ」
「とてもありがたい条件です。私たちに王都とブレンナールの二拠点経営は、まだ無理ですから」
「じゃあ、ホテルに帰りましょうか」
「はい」
廊下を並んで歩き、それぞれの部屋の前に辿り着いた。
「では、おやすみなさい」
「おやすみなさい、ニッキー」
扉の前に立ち、鍵を取り出す。
──一緒に泊まるって言われた時は、ちょっと意識してしまったけど。
この人の頭の中は商売のことだけでいっぱいなのだわ。
──……まあ、いいんだけどさ。
「あの、ガブリエルさん!」
「はい!」
思わず大きな声が出た。
ニッキーが廊下に立っていた。片手に、小さな箱を持っている。頬が、少し赤い気がする。廊下の灯りのせいかもしれない。
「そ、その、街で見つけて買ってみたんですが」
「……?」
「あ、あなたにお似合いになるかと思いまして」
箱の蓋が、開いた。
ランプの光が、石の上で散った。
ダイヤのペンダントだった。