作品タイトル不明
257 新たなる学園イベント 1
「一国の王子ともあろう者がよく知らない、しかも評判の悪い女子生徒から旅行に誘われたら、断るのは当然よね」
「夏の庭」でカールと別れた私は、再び学園の校舎に戻ってくると、廊下を歩きながらぶつぶつと独り言を呟いた。
つい先ほど、カンナ侯爵領を一緒に訪問しないかとカールに誘い掛けたところ、「少し考えさせてくれ」と返されてしまった。
カールは難しい顔をしており、悩んでいるように見えたけれど、どう考えても悩むような案件ではない。
「考えさせてくれ」というのは婉曲なお断りの言葉だろうから、実際にカールが検討していると期待してはいけないのだ。
そもそも私の誘いは、非常に不躾だったに違いない。
突然、よく知りもしないカールに対して、何泊もしなければならないような遠地に一緒に行こうと誘ったのだから。
「うーん、もしかしたら私の行動は、王子妃の立場を狙ったハニートラップかもしれないと思われたんじゃないかしら?」
「王子妃の立場を狙ったハニートラップ!?」
突然、思考を遮るような声が響いたため、驚いて立ち止まると、目の前にエルネスト王太子が立っていた。
思わず見上げたところ、彼の頬が普段になく赤らんでいたため、不思議に思って首を傾げる。
すると、エルネスト王太子はごくりと唾を飲み込んだ。
「……確かに、効果的なハニートラップだな」
まあ、王太子ったら、ただ見上げただけで何を言っているのかしら。
王太子の顔が赤いのは熱があるからで、そのため支離滅裂なことを言っているのかしら。
王太子が心配になり、思わず手を伸ばして頬に触れると、そこは明らかに熱を持っていた。
「まあ、すごく頬が熱いですよ! もしかして熱があるんじゃないですか?」
「……あるだろうな。体温がこれほど一瞬で上がるものだと、私も驚いている」
「えっ、激しい運動でもしたんですか?」
びっくりして聞き返すと、王太子は下ろしていた手を上げ、彼の頬に当てた私の手に自分のそれを重ねた。
「いや。恐らく……急激に体温が上がらざるを得ないような、美しく愛らしい者を見たのだろう」
「ぴゃっ」
突然、王太子が艶のある声に切り替えたので、何事かしらと肩を跳ねさせる。
あれ、あれ、私は廊下を歩いていてエルネスト王太子に出会っただけよね。
それなのに、どうしてたちまちおかしな雰囲気になっているのかしら。
現状を把握できずにぱちぱちと瞬きをしていると、エルネスト王太子は私の手を掴んだまま、考えるように目を細めた。
「『王太子妃』でなく『王子妃』と発言したということは、君は私以外の男性を思い浮かべていたのだろうな。もちろん君は自由に行動する権利があるが……何とも私の嫉妬心を煽る発言だな」
「えっ、あの」
まずいわ。よく分からないけど、ここは全力で否定する場面よねと思ったものの、私が答えるより早く王太子に言葉を続けられる。
「君がハニートラップを仕掛けたとして、一般的にどのような効果があるものかと試してみたが……確認役として、私は全く適役でなかったようだ」
「えっ、えっ?」
王太子が言っていることがよく分からない。
私は王太子から何を確認されたのかしら、と彼にされたことを思い返していると、王太子は私を握る手にぐっと力を込めた。
「私は色々と厳しく育てられたが、ハニートラップへの対応だけは不十分だった。己が誘惑に強いと信じていたから、そんな対策は不要だとはねつけたのだ。なぜあれほど自分に自信があったのか、今となっては不思議で仕方がない」
首を傾げながら呟かれたけれど、ちっともそんなことはないと言い返す。
「と、当然のことですよ。エルネスト様はものすごく誘惑に強いですから! だって、何でもそろった世継ぎの王太子だというのに、これまで浮いた噂一つないんですから」
言うまでもないことだが、この学園で一番人気なのはエルネスト王太子だ。
優秀で人当たりのいいイケメン王太子ということで、多くの女子生徒が彼に好意を持っているのだから。
そのため、多くの女子生徒がエルネスト王太子に誘い掛けているけれど、彼はこれまでどんな女性の手も取ったことがないのだ。
間違いなく誘惑に強いに違いない。
そう考えながら王太子の言葉に同意したのだけれど、なぜか彼はじっと私を見つめてきた。
「その時の私はまだ、ルチアーナ嬢の素晴らしさを理解していなかったからな。誘惑が何かを理解していなかったのだ」
「えっ?」
「もしも君に対しても心が動かないとしたら、私はきっと石か木でできているのだろう。しかし、私は石木でできているわけではないからな」
「そ、そうですよね」
あっ、まずいわ。止めようという私の努力も空しく、どんどんおかしな雰囲気になっているわ。
そして、これはきっと、答え方を間違えたらマズいやつだわ。
でも、大丈夫。NGクエスチョンは「どうしてエルネスト様が石や木でできていないことに気付いたんですか?」だということは理解しているから。
よかったわ、どうやら私も日々成長しているようね。
そう嬉しく思いながら、できるだけにこやかに王太子に注意喚起を促す。
「エルネスト様、学園内でそのようなことを発言するのは控えた方がいいかもしれないですね。私と噂になるかもしれないですよ」
エルネスト王太子は私に告白してくれたけれど、評判の悪い私と噂になるのは別の話だろうと思っての発言だ。
けれど、王太子は異なる考えを持っているようで、問題ないと請け合った。
「君に迷惑をかけるつもりはないから、場所は選んでいる。学園内と言っても、ここは生徒会室につながる廊下だから、関係者以外通りはしない」
しかし、その時、王太子の発言を否定するかのように冷ややかな声が響いた。
「その通りだ。逆に言うと、関係者であれば通る可能性がある。今の私のように」
声がした方を振り返ると、黒百合の貴公子であるフリティラリア公爵家のラカーシュが立っていた。
いつものように艶やかな黒髪の下で黒ダイヤのような瞳が輝いており、その完璧な美貌には一分の隙も見当たらない。
助かった。理性的な彫像様がご登場だわ。
私一人では対応に困っていたからありがたいわ、と期待を込めて見つめると、ラカーシュは私と王太子を遮るような位置に立ち、咎めるような声を出した。
「エルネスト、ルチアーナ嬢が困っているぞ。ここのところ立て続けに様々なことが起こったから、お前の恋心が急激に育ったことは分かるが、それはお前の問題だ。純粋なご令嬢に所かまわず恋を囁くものではない」
「そんなつもりはなかった! なかったが……結果として、そうなってしまったな」
エルネスト王太子は項垂れると、反省したように私を見た。
「ルチアーナ嬢、すまない。感情コントロールは得意なはずだが……少しばかり混乱しているようだ」
王太子が混乱しているというのは納得できる説明だったので、こくこくと頷く。
その場の雰囲気が緩んだところで、ラカーシュが私に向き直った。
「ルチアーナ嬢、呼び出してすまない。セリアがどうしても君の助言がほしいと言っていたので、君に相談したいことがあったのだ」
「い、いえ、私もセリア様に会いたかったので、ちょうどよかったです」
そう、私はラカーシュから「用事がある」と生徒会室に呼び出されていたのだ。
約束の時間には少し早かったから、「夏の庭」に行っていたのだけれど、セリアの話とは一体どんなものかしら。
エルネスト王太子とラカーシュとともに生徒会室に入ると、セリアが椅子から立ち上がり、私のもとまで走ってきた。
「お姉様、お忙しいのに来てくれてありがとうございます! ここのところずっとお忙しそうだったので、声をかけられずにいたのですが、やっぱり私ではどうにも楽しくできないので、お力をお借りしたいんです!!」
「楽しくできない?」
一体何のことを言っているのかしらと首を傾げると、セリアは真剣な表情で言い募ってきた。
「はい、どうしても『聖夜』のイベントが面白くならないんです!」
「まあ、それは一大事だわ!」
私は驚いて目を丸くしたのだった。