軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

女王の餞別と、夜明けの再会

ハーピーマットリアークが、その気高い頭を一度だけ静かに下げた。

張り詰めていた殺意が霧散し、灯室を満たしていた圧力が嘘のように引いていく。

俺は静かに床に置いた愛刀を拾い、鞘に納めた。

女王はそれ以上威嚇することなく、再び巣の中の卵に意識を戻す。

その横顔は、もはや魔物の長ではなく、ただ子を案じる母のものだった。

「……行くぞ。ここはもう、俺たちの居場所じゃない」

俺が、まだ状況が飲み込めず呆然としているガレックたち討伐隊、そしてクリスに撤退を促す。

一行が灯室を去ろうとした、その時。

女王が、短く、しかし鋭くはない鳴き声を上げた。

俺たちが緊張して振り返ると、女王は自らの美しい黒い翼から数枚の羽根を嘴で抜き取り、巣の縁に置いた。

そして、軽く羽ばたきを起こす。

その風は、羽根をふわりと宙に舞い上がらせ、まるで導くように俺の足元へと運んだ。

「……餞別、か」

冒険者をゆうに超える存在からの、敬意の証。

俺は驚きつつも、「ありがたく貰っておく」と、そのカラスの濡れ羽色に輝く羽根を静かに拾い上げた。

一行は今度こそ灯室を後にし、血と死臭が残る螺旋階段を、今度は下界の光を目指して下り始めた。

討伐隊が灯台から出ると、ふもとで待機していたメンバーが、仕留めたホブゴブリンの死骸を片付けているところだった。

俺たちが倒したリーダー格の首も、討伐の証拠として部下の一人が担ぐ。

夜が白み始め、東の空がわずかに明るくなり始めた崖道を、一行はリューベックへと戻っていく。

道中、クリスは俺の数歩後ろを、何かを考えるように黙って歩いていた。

松明の光が、その青ざめた横顔を照らしている。

「師匠……」

「なんだ」

「いえ……その、先ほどの……」

言葉にならない、という様子だった。

無理もない。

師匠であるエドの背中を目指している彼にとって、今日の出来事はあまりに規格外だった。

「あの魔物は、書物でしか見たことがありません。あれほどの存在が、本当に……」

「ああ。だが、俺たちの敵じゃなかった。それだけのことだ」

俺が短く応えると、横からガレックが豪快に口を挟んできた。

「敵じゃなかった、だと? おい、エド……ありゃあ一体何なんだ。ランク不明だが、A級クラスどころじゃねえぞ。もしあいつと戦ってたら、俺たちのうち、何人生きて帰れたか……」

その言葉に、同行していた討伐隊のメンバーがゴクリと唾を飲む。

クリスも、師があの空間で単独で対峙していた時間の重さに、改めて気付かされたようだった。

ガレックは続ける。

「そんな化け物と睨み合ってた上に、お前さん、二階のあのデカブツを単独で仕留めたんだろ……。一体何者なんだ、あんたは」

ギルドで揶揄した男とは別人のような、純粋な敬意を込めた視線。

俺は、ただ夜明けの空を見つめながら応えた。

「ただの元衛兵だよ。それより、ギルドには正確に報告してくれ。あいつは『討伐対象』じゃない、『監視対象』だ。卵が孵れば、あいつはここを離れる」

「……へっ、わーってるよ。元衛兵サマ」

ガレックは、そう言ってニヤリと笑った。

冒険者ギルドにたどり着くと、ギルドマスターが徹夜で待ち構えていた。

ガレックと年配の冒険者が、事の顛末――ゴブリンとホブゴブリンの掃討、そして灯室に潜む「ハーピー・マットリアーク」の存在と、俺が結んだ「停戦協定」を詳細に報告する。

ギルドマスターは、ホブゴブリンを三体(うち二体は俺が単独で)討伐したという事実にまず驚愕し、S級を超える可能性のある魔物と対峙して生還した俺を、信じられないものを見る目で見た。

やがて、彼は重々しく頷く。

「……承知した。ハーピー・マットリアークについては、こちらで厳重に監視体制を敷く。灯台周辺は即刻立ち入り禁止とし、卵が孵るまで手出しはしない。これがギルドの総意としてだ」

こうして、俺と討伐隊に、今回の依頼の達成報酬と、ホブゴブリン討伐の特別報酬、さらに事態を穏便に収めたことへのボーナスが手渡された。

俺は懐の羽根のことについては、何も報告しなかった。

ギルドの手続きを終えた俺とクリスは、ずしりと重くなった報酬の袋を手に、真っ直ぐベックの家へと向かった。

港は、すでに朝の活気が満ち始めている。

家の扉を叩くと、すぐに戸が開かれ、心配で眠れなかった様子のローラが飛び出してきた。

「あ! クリスさん!」

その声に、家の奥から、同じく起きて待っていたベックと、そして、小さな人影が姿を見せた。

ロウェナだった。

彼女は、俺の姿を認めると、一瞬大きく目を見開いた。

そして、それまでの不安が全て決壊したかのように、叫んだ。

「えど……!」

ロウェナは、俺の胸に、小さな砲弾のように飛び込んできた。

俺は、駆け寄ってきたその小さな体を、力の限り強く抱きしめた。

温かい。

生きている。

「ああ。約束通り、街で会えたな」

俺の胸の中で、ロウェナは声にならない声を上げ、ただただ泣いていた。

港に朝日が差し込み、活気ある一日が始まろうとしている。

その明けの陽の光が、戸口から差し込み、俺たちを照らしていた。

クリスは、ロウェナを預かってくれたベックとローラに深々と頭を下げて礼を言う。

ベックは「無事で何よりだ」と短く応え、ローラは泣いているロウェナの背中を、心配そうにさすっている。

俺は懐から、女王から貰った黒い羽根を取り出した。

「ロウェナ、土産だ。灯台の主から貰ってきた」

涙で濡れた顔を上げたロウェナが、その羽根を小さな手で受け取る。

黒一色に見えた羽根は、朝日に照らされた瞬間、まるでカラスの濡れ羽色のように、青や緑、紫の複雑な光沢を放ち、この世のものとは思えないほど美しく輝いた。

「……きれい……」

ロウェナとローラは、その神秘的な輝きに、しばし見入っていた。

俺たちは、ようやく訪れた平穏の中で、リューベックの眩しい朝を迎えていた。